八百十八 万障を繰り合はせて浅草寺文化講演会に出席(1.宮本元駐中国大使、2.恵心僧都一千遠忌)

平成二十八年丙申
二月二十四日(水) 事務所内全面移転の翌日
浅草寺仏教文化講座は新宿駅前の明治安田生命ホールで開かれる。月曜は午前中授業を受け持ち、45分の昼休みを取り会社に戻ると1時45分を過ぎる。といふことで午後半休を取り学校から会場に向かふことにしてあつた。ところが二十日と二十一日に勤務先で事務所内全面移転があつた。
或る事業所を閉鎖し、中野に統合する。それに併せて中野の古い机を全面廃棄し、閉鎖する事業所の新しい机と交換する。今月の題が何だつたか忘れたので、一旦は午後半休を取り消したが、勤務先の御好意で休んでもよいといふことになつた。ところが月曜に電話があり、無線LANが無いといふ。昼休みを削れば会社に戻つてもぎりぎりで間に合ふと思つたが、二度目の電話が授業中にあり、留守電で聞くと見つかつたといふ。
といふことで、今回は万障を繰り合はせての出席となつた。題を見て、参加できてよかつたと改めて思つた。それは宮本元駐中国大使の講演と、天台宗勧学による恵心僧都一千遠忌の講演だからだ。
日本文化への中国の影響は大きい。中国文化を批判して日本文化の保持はあり得ない。中国共産党の批判はいくらしてもよい。しかし西洋の猿真似で人口一人当たりのGDPが日本は突出したからといつて、他のアジア諸国を蔑んだ目付きで眺めてはいけない。宮本元駐中国大使の講演はぜひ聴く必要がある。
恵心僧都は、昔、創価学会が日蓮正宗の信徒団体だつたときに、日蓮正宗から隠居状態になり、正信会が顰斥(ひんせき、僧籍剥奪)のときにいつしよに顰斥になつた手塚寛道師が、生前によく天台宗の恵心流、檀那流の話をされた。といふことで恵心僧都の話も聴きたかつた。

二月二十五日(木) 桐谷征一師の講演
中国といへば池上本門寺で行はれる桐谷征一師の仏教のふるさとを散歩する ~中国編~もぜひ聴きたい講演だ。こちらに参加しなくなつたのは、最前列に席を陣取る怪しげな人たちが、今回のシリーズになつても参加するからだ。前回の宮澤賢治シリーズのときに、突然、最前列の席八人分くらいに荷物を置き、しかも全員来なかつたといつて開始直前に一部を開放する奇妙な人たちがゐた。
日蓮宗の信徒ではなく、どこかの宗教団体だと思ふ。周囲の目を全く気にしないからだ。宮澤賢治シリーズが終つたから来なくなるかと思つたら、次のシリーズにも来る。ああいふ人たちといつしよは嫌だから、出席を見合はせることにした。

二月二十五日(木)その二 宮本雄二氏の講演、前置き
宮本氏はミャンマー大使も勤め、ミャンマーは仏教の影響が大きい。日本に戻つて山手線に幸せさうな人がゐない。ミャンマーは平均寿命六十歳だが、皆が幸せさうな顔をしてゐる。と話された。私の勤務先の机にはミャンマーのカレンダーが貼られてゐる。これは安倍首相夫人が名誉委員長のミャンマー祭りに出展した在京ミャンマー寺院のブースで頂いたもので、在日ミャンマー人の寄進による。善意を無駄にしないため、私の席に貼つて仕事の予定を入れて大活用してゐる。
宮本氏は次に中国の話題に入り、中国は血ではなく文化で一つの国を形成。孔子は身長が2mあつたが山東省の人は190cmくらいが普通で顔が四角、広東人はアグネスチャンのように小柄で丸顔。少数民族が五十五あるが、今までに多くが同化し、残つたものが五十五。

こののち本題に入られた。

二月二十五日(木)その三 宮本雄二氏の講演、本題
毛沢東の半分は喧嘩闘争だが、半分は夢。実務は周恩来にやらせて暇だつたから歴史書をよく読んだ。
鄧小平の時代の最初の10年間は日本が支へた。大平首相の円借款。WTOに入つてから世界が入つてきた。
90年代にナショナリズム、タカ派が強まつた。胡錦濤の初めまでは、普通に豊かで強いだけだつた。
2008~9年のリーマンショックで変はつた。アメリカは何をしてよいか判らず、中国は4兆元の経済政策で回復。それから舞ひ上がつた。
2012年に共産党が割れ掛かる。外に強く出ないと失脚する。しかし宮本氏曰く「強硬路線は長続きしない」「強硬路線が続くなら資本を引き上げるべきだ。強硬路線が続くようなら共産党の力が弱まつた」
一人に権力が集中したのは毛沢東だけ。鄧小平のときは陳雲といふ保守派がゐた。
反日デモで、学生が多ければ反日、労働者が多ければ反政府。
人民解放軍は何のため増強するか説明できない。アメリカ軍に代はることできない。アメリカ軍もイラク、アフガニスタン、古くはベトナムで出来なかつた。
中国人の対日感情は今後よくなる。来日した中国人がLineで日本を誉める。500万人が書き5億人に影響する。
中国に行く日本人が減つたのが原因。中国に行つてほしい。
以上の内容だつた。根底に日中の国民レベルでの親善の精神が流れる善い講演だつた。だから中国が強硬路線を続けるなら資本を引き上げるべきだといふ主張に、私も反対ではない。或いはかつて宮本氏が、中国共産党は何年に崩壊するといふ私的文書を知人に配つたといふのにも反対ではない。
とかくここ二十年ほど、アジアで唯一先進国入りした日本といふ思ひ上つた目付きでアジア各国を批判する連中が多い。それでは列強の仲間入りをした日本といふ戦前の思考と何ら変はらない。宮本氏の講演は貴重な内容だつた。

三月五日(土) 武覚超師の講演
次に天台宗勧学、武覚超師による「一千年ご遠忌を迎えた恵心僧都源信-その生涯と教え-」を拝聴した。覚超師の手書きの資料はすごい。難しい語にはふりがなももワープロで作れば修正が簡単だし、次回も使へる。しかし手書きには手書きの良さがある。片仮名、平仮名を交へた手書きは平安時代からの歴史がある。
「一、はじめに」で恵心僧都について
名著『往生要集』三巻を著して日本浄土教の基礎を確立され、のちに法然、親鸞、真盛など浄土各宗の祖師を比叡山から輩出することになった。また『一乗要決』三巻を撰して、伝教大師以来の一三権実論争に決着をつけるなど、法華一乗思想を闡明にしていかれた。
とある。これから先が楽しみだ。次に「二、恵心僧都の出自と修学時代」で
大和国葛城下郡大麻郷の当麻寺近くに誕生。(中略)3人の姉妹がいてともに出家して尼になる。
(中略)
朝廷からの公請による賜り物を母に贈ったとき、母は泣いて「送る所の物、喜ばざるに非ずと雖も遁世修行こそわが願うところなり。」といましめる。以後、万縁を絶ち山谷に隠居して(以下略)
「三、『往生要集』の撰述」では、思想的背景として最澄の「止観念仏」、円仁の「五会念仏」、良源の「極楽浄土九品往生義」を挙げ、十門組織を説明され、『往生要集』が遣宋され
婺州(浙江省金華市)の沙門行辿の本書を讃える書状と漢詩(990年4月付)
天台山国清寺での贍仰慶讃、「南無日本教主源信大師」と礼拝
趙宋天台(知礼、遵式)の反響
とある。「四、『一乗要訣』と『霊山釈迦講』」では
65才のとき、『一乗要訣』を撰述し、(中略)本書末尾には「我れ今、(法華)一乗経を信解す。願わくば無量寿仏のみ前に生れて、(以下略)」とあり、「念仏」と「法華」の教えや信仰は、何の矛盾もなく受容されるべきものと説いている。(完)


全宗教(百八)その二全宗教(百十)

メニューへ戻る 前へ 次へ