七百六十一 五つの行事が重なつた日(1.「インド密教の瞑想」、2.「仏教のふるさとを散歩する ~中国編~」、3.現された「満洲国」講演会、4.「作家X忌法要」、5.私的セミナー)

平成二十七乙未
十一月二十八日(土) 第二回に参加
翌月、二回目に参加をしたときに、一回目の資料を頂いた。桐谷征一(中国仏教専家、元立正大学大学院講師、文博)と名乗られ、その下に二つの地図がある。右側は中国全土で、新疆ウィグル自治区のタクラマカン砂漠と、その周りをウルムチ、カシュガル、ホータン、楼蘭(字が小さく難読、インターネットの地図だとロプノール近辺)の町が囲む。砂漠の中にコルラの町がある。
左側の地図は拡大図で、一番下にヒマラヤ山脈が左右に走り、その北にカラコルム山脈とチベット高原、その北にパミール高原と崑崙山脈が左右に広がる。その北にタリム盆地とタクラマカン砂漠があり、北側は天山山脈が取り囲む。
天山山脈のふもとを天山南路が左右に走り、左からカシュガル、アクス、クチャ、コルラ、カラシャールの町を経由し、トルファンで山脈の北側を廻りウルムチを出てすぐの天山北路と合流する。以上がタクラマカン砂漠の北側である。
砂漠の南側はカシュガルで天山南路を分岐した西域南道が左右に走り、崑崙山脈の北側をホータンを経由して崑崙で、天山南路、天山北路と合流する。

十一月二十九日(日) 本文
本文は第一回平成27年10月24日/「(1)はじめに」とあり、抜粋すると
・初訪中は、ぜひ、シルクロードから北京へ入りたかった。
・1930年代までは現地調査が可能だった。しかしその後は、、、。
・1979年11月に初訪中。以来、30回以上の現地調査。
・ライフワークは、テーマ「中国石刻経研究」

裏面は、まづ中国のGDP成長グラフが載る。1977年以降すごい伸び率である。しかし地球を守るためには、この程度の生活が良かつたのではないか。地球を破壊せず貧しさが残る中で皆が幸せになる方法が仏教であり、社会主義でもあつた。日本で昭和五十年辺りまで革新政党に人気があつたのは、昔の農業国日本の記憶が残る国民に支持されたと考へることができる。桐谷師の資料は続けて、
・あこがれの"タクラマカン砂漠"に立つ
・"仏教"は生き残ったか?
・中国の"いま"を見る
・売り出し中"観光中国"

として、当時の中国の写真を紹介されたのだらう。私は欠席だつたので見られなかつた。


「仏教のふるさとを散歩する ~中国編~」その二

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