七百七十七(甲) 待乳山聖天の夜間開堂(法話とおつとめ)、川崎大師の二箇大法要

平成二十七乙未
十一月二十九日(日) 各宗派の講演会
各宗派は布教のため講演会などを催す。ほとんどが無料のため、参加させて頂いたあとは、別の日にそのお寺に参拝しお賽銭を入れることにしてゐる。まづ築地本願寺の仏教文化講座で出久根達郎氏の講演を聴いた。そのあと、常例布教、真宗連続講座、英語法座、法友と計六回参拝した。
浅草寺の仏教文化講座に参加し、このときは浅草寺のホームページを見ると末寺の待乳山聖天で浮世絵展があることを知り、参拝を兼ねて拝観に行つた。浮世絵展のお礼のため夜間開堂(法話とおつとめ)にも参加した。
川崎大師の夏期講座に参加したので、二箇大法要に参加した。

十二月五日(土) 待乳山聖天の夜間開堂(法話とおつとめ)
待乳山聖天は浅草寺の末寺で、正式名は待乳山本龍院といふ。参拝を兼ねて浮世絵展を拝観に行つた。江戸時代の風景で浅草観音と待乳山聖天の描かれた浮世絵が印象に残つた。
後日、夜間開堂(法話とおつとめ)に参加した。夜間開堂は「法話とおつとめ」「坐禅の会」が一箇月ごとに交互にある。天台宗(戦後に浅草寺は分離して聖観音宗)式の読経は初めてで、途中に何回も陀羅尼が出て来るところが物珍しかつた。漢語の部分は漢音読みだと思ふが、始めてなのでそこまで気が付く余裕がなかつた。
住職のご子息が、住職から法話をしてみるよう言はれたといふことで、初めての法話を聴くことができた。各宗派の布教師の話に聴き慣れたから、それと比べれば下手なのは当然で、そのことは問題ない。大切なのは話の中身である。あと普段の心がけが話の態度に現れる。若いうちから話す機会があるから、将来、聖観音宗の中心的な布教師になることは間違ひない。
おつとめの後は、住職が話された。そのときのメモ書きを紛失したので記憶をたどると、古い堂だが今でも歪みを生じてゐない、昔の建築は堅固に作られてゐる、昔の声明をテープで聴いたが今と異なるのは西洋音階の影響だらう。そのような内容だつた。
ご子息も住職もメモを見ながら話されたが、これはよいことだ。私も授業のときは生徒に配るプリントを自分でも見て話をする。人間は話に神経を注ぐと、全体構成まで注意が回らなくなる。10分程度ならよいが、長いときはメモを見るべきだ。
野球解説者の野村克也氏は昔、話が下手なので講演の名人に相談したところ、メモを見るよう云はれ、それ以来、上手になり、その後、日本でも有数の名野球解説者になり、講演でも全国を回つて大活躍をされた。

十二月十日(木) 川崎大師の二箇大法要
二箇大法要は初めて聞く名称である。川崎大師のホームページを引用すると
当山で1年に5回修行される特別な法要で、経文に曲調をつけて奉唱し、み仏の徳をたたえる「梵唄(ぼんばい)」と華をまいてみ仏を供養する「散華」という2つのお経を中心とした法儀です。
大本堂内では大勢のご信徒が参列するなか、信徒安全・興隆仏法祈願の大護摩供の修行とともに、密教色豊かな格調高い法儀がつぎつぎにくりひろげられます。この法要のなかで僧侶が「香華供養仏」ととなえ、いっせいに華を散じ、その華がハラハラと舞うさまは、まさに法悦の境地といえます。

木製の靴を履いたまま畳を歩くところでまづ驚いた。どちらかといふと悪い方向で驚いた。耳が慣れてゐないので曲調をつける奉唱をよく理解できなかつた。といふことで一回目は不調だつたので、もう一回来年の二箇大法要に参拝してみたい。今回は最初から本堂に座つたため、行列を見ることができなかつた。荘厳な行列も見たいものだ。

境内は七五三の衣装を来た大勢の家族連れで賑はつた。私は仏法僧への礼拝と瞑想で功徳を積むといふ方法だから護摩を申し込むことはしないが、七五三の参拝者は幸せになつてほしいと願ふ。護摩の申込者も願ひがかなつてほしいと思ふ。前回、来たときもさう思つたし、前々回に来たときもさう思つた。護摩の申込所は何となく、場外馬券売り場みたいな建物といふか、香港からマカオに行くフェリー乗り場みたいな建物だが、大きく異なるのは参拝者の信心と願ひが漂ふ。

十二月十一日(金) 待乳山聖天の御開扉
八日は待乳山聖天の「御宮殿御開扉」があり、参拝した。お寺発行の「いちょう」紙によると
秘仏の御前立ち十一面観世音菩薩様を参拝できます。
とある。私が待乳山聖天を好きな理由は、本堂でお経本を見ながら参拝する人が十人ほどゐることだ。お寺はかうでなくてはいけない。あと金網の内側の内陣が広い。これも昔の形式を守つたものだ。今回はその内陣に入り参拝できるのだから、有り難いことだ。

十二月十三日(日) 待乳山聖天の日曜勤行
月に一回朝九時から日曜勤行があり参拝した。まづ手に香を塗つた。これは川崎大師の夏季講習で経験があるので驚かないが、鎌倉系仏教の人は初めてのときに驚くだらう。お経の読み方は漢音ではなく普通の読み方だつた。これで二回目になるが陀羅尼の部分が速く付いて行くのが大変だつた。
今までは江戸通りを歩いたが、今回初めて浅草寺を経由した。往路で本堂に参拝し、馬道に出たので言問通りを隅田公園まで歩いた。トロリーバスの時代だらうそれとも廃止になつて代替バスの時代だらうか。男の車掌が停留所名のほかに「馬道観音」といふので、浅草観音のほかに馬道観音といふものがあるのかと当時は小学生だつたが思つた。
帰りは街中を歩かうとしてまた馬道の交差点に出た。浅草寺の境内に影向堂といふものを見つけた。昔はなかつた気がする。案内を読むと十九年前に移動し新築したとある。中で読経する参拝者が二人ゐた。お寺はかうでなくてはいけない。お賽銭を上げて合掌するだけで帰るのもよいし、堂内で読経してもよい。どちらもできてこそお寺り意味がある。(完)


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