94、いまだに丸山真男を信奉する者は現代の軍国主義者である

平成ニ十年
九月ニ十五日(木)(丸山真男)
いまだに丸山真男を信奉する者は現代の軍国主義者である。その理由は次の二つである。
1. 明治政府は欧米の模倣であり、一方で丸山は戦後昭和30年代までの著書を読む限り、極めて悪質な欧米かぶれである。
2. 丸山本人の責任ではないが、盲信者は平衡感覚に欠けている。敗戦直後の丸山の主張には軍国主義に対する平衡作用の一面はあった。あれだけの犠牲者がでたのだから、丸山の主張はやむを得ない。しかし現在の日本に軍部がいるか。参謀本部や関東軍があるか。今でも丸山真男を盲信する者は平衡感覚に欠けている。先の大東亜戦争は日本人の平衡感覚の無さが原因であった。

九月ニ十六日(金)(超欧米かぶれまたは極端欧米崇拝者)
丸山は「現代政治の思想と行動」で次のように言う。

日本国民を永きにわたって隷従的境涯に押しつけ、また世界に対して今次の戦争を駆りたてたところのイデオロギー的要因は連合国によって 超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム) とか 極端国家主義エクストリーム・ナショナリズム) という名で漠然と呼ばれているが、その実体はどのようなものであるかという事についてはまだ十分に究明されていないようである。

ずいぶん寝ぼけたことを言っている。欧米の植民地主義や帝国主義者の猿真似をして、 元祖植民地主義(ファウンダー・オブ・コロニアリズム) または 先任帝国主義者(シニア・インペリアリスト) に敗れた。十分に解明されているではないか。寝ぼけたことを言っていると 超凡人(ウルトラ・ミディオゥカー) または 極端愚人(エクストリーム・フール) と言われかねない。

九月ニ十八日(日) (諸悪の根源は日本に流入した西洋文明にある)
丸山は昭和二十一年に次のように書いている。

今年初頭の詔勅で天皇の神性が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の地盤がなかったのである。


有史以来昭和21年までずっと天皇の神性があったような言い方だが、明治維新以後の話である。欧米では一神教によって国を纏めているので明治政府はその猿真似をして天皇の神性化を図った。
それまで天皇の役割とは、最高権力者を任命することであった。軍事力を持たない天皇がなぜ将軍を任命できたのか。そこには神性のような権威はある。しかしそのことが信仰の自由を奪ったか。江戸時代は寺請け制度で信仰の自由はなかったが、それはキリスト教が日本に広まり島原の乱などが原因であった。
寺請け制度といい維新後の天皇一神教化といい、諸悪の根源は西洋文明の流入である。
法然も道元も日蓮もキリシタンも弾圧された。だから近代欧米式の信仰の自由が有史以来日本になかったといえばなかった。しかし丸山はそういう文脈で論じていない。そしてなかったのは近代以前の西洋も同じである。そもそも近代欧米式の信仰の自由は必要なのか。弾圧を受けても広まった法然、道元、親鸞、日蓮、隠れキリシタンこそ真の宗教である。広まったということは信仰の自由はあったと言える。江戸時代の寺請け制度や昭和20年以降の宗教放任政策による毒ガスを撒いたりカネを集めるインチキ宗教の乱立とは大きな違いである。

九月ニ十九日(月) (中性国家という名の欧米式国家)
宗教改革や長い宗教戦争を経ない日本が、中立的性格を表明しようとしなかったのは当然である。内容的価値の選択と判断を教会に委ねるといっても、日本では神仏分離、僧侶妻帯、排仏毀釈で宗教を無力化してしまった。更にその前の江戸時代の寺請け制度で仏教は堕落していた。
これらは丸山だって判っているではないか。判っていて自分だけは無関係とばかり祖国を批判し、しかも中性国家たる欧米が世界を植民地にしアメリカ大陸の先住民を滅ぼした事実を無視する。そもそも中性国家など存在しない。中性国家という名の欧米式国家である。
イギリスの国王は国教会の首長であり、アメリカの大統領は聖書に手を載せ宣誓し、ドイツには教会税がある。これらを取り除いても、中性国家そのものがやはり欧米式である。

九月三十日(火) (巧妙なマインドコントロール)
下士官は実質的に兵に属しながら、意識としては将校的意識をもっております。この意識を利用して兵を統制したところが日本の軍隊の巧妙な点です。
下士官は欧米式軍隊の制度である。それなのに読者は日本だけが巧妙だったように思ってしまう。しかもここは軍隊について述べた段落ではなく、社会一般の中間層の役割について述べた部分である。もし「日本軍の下士官について」という論文でこのようなことを書いたらたちまち反論されるだろう。他の論点に混ぜて読者を無意識のうちに日本はずる賢かったのだと思い混ませてしまう。巧妙なマインドコントロールである。

十月三日(金) (無責任インテリ)
丸山によると日本の中間階級には二つの類型があるそうだ。 丸山は第一のグループを擬似インテリまたは亜インテリと呼び、日本のファシズムの社会的基盤になったという。そして第二のグループが本来のインテリでファシズムに追従はしたが積極的な推進者ではなかったのだそうだ。追従したくせに敗戦すると内心では反対だったと、したり顔でいう。ずいぶん無責任な話だ。そのようになった理由を丸山はつぎのように述べる。

日本のインテリゲンチャが教養において本来ヨーロッパ育ちであり(中略)、頭から来た知識、いわばお化粧的な教養ですから、肉体なり生活感情なりにまで根を下ろしていない。

だったらどうすればいいのか。肉体なり生活感情まで欧米化するしかなくなる。それを戦後ずっと続けて今日の不安定で醜い日本ができたのではないのか。

この話の次に先日の下士官の話が続く。日本を戦争に導いたのは決して下士官でも第一のグループでもない。欧米式の士官学校を卒業し欧米式の軍隊に属し駐在武官として欧米式の生活を送った将校たちである。そして戦争を煽ったのが朝日新聞などのジャーナリズムや学者たちの第二グループ。丸山の主張には重大な欠陥がある。

十月四日(土) (金持ち国と貧乏国)
明治維新以降、日本の農村は富農と貧農に分裂した。資本主義の萌芽と共に都市貧困層も増大した。政情が不安定となるのは必須であった。そこにアメリカという無責任な国が世界大恐慌を引き起こした。
丸山の「日本ファシズムの思想と運動」は58ページに亘って日本のファシズムについて述べている。滑稽なのは随所に日本のファシズムはドイツやイタリアと比べて劣っているまたは異なっていることを述べている。そんなところまで西洋かぶれにならなくてもいいのに。
しかしなぜ日本、ドイツ、イタリアにファシストが生まれたのかという肝心なことが抜けている。その理由とは、イギリスとフランスは広大な植民地を持ち、アメリカはそもそも国全体が植民地を乗っ取ったものである。一方のドイツは第一次大戦ですべての植民地を失い、イタリアは植民地が少ない上に第一次大戦の外債を抱えていた。
金持ち国は自分たちの権益を守るために平和を唱え、貧乏国は植民地の再配分を狙う。どちらの陣営も植民地の人々が平和に暮らしているという観点が抜けている。連合国の肩を持つ丸山はとんでもない植民地主義者である。

十月五日(日) (真の戦犯)
以上見て来たように、丸山の終戦後の言論はとんでもない欧米かぶれである。しかし戦前の言論や戦後年月を経てからのものには偏向は見られない。「丸山真男回顧談」から幾つか挙げてみよう。 丸山真男の終戦直後の言論だけを取り上げるマスコミには困ったものだが、なぜ戦後の年月を経た言論は取り上げないのか、二つの理由がある。一つは朝日新聞(及びそれに類似する毎日新聞と中日新聞)と読売新聞、産経新聞は逆の立場からそれぞれ欧米かぶれである。
もう一つは、真の戦犯はマスコミであった。自分たちを批判することはできない。
日本のソフトウェア業界には中国人技術者がたくさん来ている。5年ほど前、職場の忘年会の余興で流行歌の前奏の一部を聴いて曲を当てるクイズがあった。最近の流行歌は私には分からないが中国人技術者も分からない様子だった。私が「こういう曲なら分かるのだが」と日本語名では「社会主義中国」などと呼ばれている曲の最初の二小節を日本語の歌詞で歌った。その技術者は「そういう時代があった、と両親から聞きました」と答えた。若い人たちにとっては文化大革命は親の世代の話である。ましてや国共内戦や日本の侵略は祖父母の世代の話である。
「社会主義中国」は北京オリンピックの開会式で少女が歌い一躍世界に知れ渡った。口パクだったというおまけもついたが。
日本人は中国に対して変に萎縮するかその裏返しで高圧的になるか両極端の人が多い。これは長期に見れば好ましくない。日本人の萎縮を直すには、当時の中国は分裂状態だったことを示すのがいいのか、と考えていたところ丸山真男が同じことをいっていた。


十月十日(金) (軍国支配者の精神形態)
丸山が「軍国支配者の精神形態」という章で珍しくドイツより日本を誉めている。
ナチスと日本では言っていることまで全然異なるという。
「ナチスと日本にはこれほど違いがある。日本はナチスと組むべきではない。」と主張すれば輿論を納得させることもできた。日独伊三国同盟を破棄させることはできた。丸山など学者は主張すべきだった。更に日本が皇道の宣布であり慈恵行為だと主張しているのなら、それに反する行為があった場合はこれを咎め正しい皇道の宣布と慈恵行為となるよう主張すべきだった。ところが丸山などはそれをせず、戦後になって消極的な賛成だった、などと無責任なことを言っている。しかも丸山はアメリカの元駐日大使グルーの次の言葉まで引用している。 移民がアメリカ大陸に侵入したとき、先住民と比べ小数であった。武力による土地の強奪は民主主義に反している。アメリカはじめ当時の列強は世界の人口比に比例せず専ら軍事力で他を支配していたし今もしている。そのアメリカが民主主義を唱えることは彼等自身を騙しているし実に扱い難い。

十月十一日(土) (社会に貢献しない学者1)
丸山の「自由について七つの問答」という本は内容がない。まず異端と正統について意味の無いことを述べている。権威のあるほうが他者を異端と決め付ければ異端となるし、自分たちが少数でも正統だと思えば正統になる。こんな分かりきったことを長々と論じている。論じるとすれば、日本人は長いこと自分たちの生活を続けてきたのだから欧米から見れば異端でも我々から見れば正統だし、国際問題で欧米が自分たちに都合がいいようしないように、非欧米地域は正統と異端を使い分ける必要がある。そのように社会に役立つことを論じてもらいたい。

十月十三日(月) (社会に貢献しない学者2)
丸山は仏教について次のように述べている。
仏教は、日本に鎮護国家思想として入ってくるのですね。鎮護国家の「国家」は、王室という意味です。今日の「国家」という意味はない。
最初から間違っている。歴代の王室のなかには自分の地位や権力を守ることしか関心がなかった人も多かったかも知れない。しかし国民のことを考える人だって少しはいたはずである。それは歴代の将軍や執権や藩主や奉行にも当てはまる。丸山は今日の国家と言うが今日の国家とは何か。首相、大臣、国会議員になりたい人ばかりではないか。丸山の言葉には、欧米のものは正しく東洋古来のものは卑しく矮小なものだという思いが随所に見られる。そのため古いものを現代から断ち切ろうとしている。しかし人間の心は昔も今も変わらない。

十月十四日(火) (社会に貢献しない学者3)
丸山は宗教を、聖(仏法)の享受と実践、俗(王法)の消極、積極の二次元の4つに分類している。
             聖(仏法)享受
脱王法(F)在王法(I)
断王法(O)向王法(T)
 ↑
 |
 ↓
             聖(仏法)実践
俗(王法)消極的 <---> 俗(王法)積極的

この分類はまったく意味がない。親鸞は断王法で日蓮は向王法だそうだが丸山が認めているように蓮如は向王法である。蓮如が法華宗に改宗したのなら別だが丸山は理由を述べていない。理由は周囲が変化したに過ぎない。親鸞の時代は旧仏教以外に優勢なものはなかった。日蓮の時代には既に念仏や禅が広まっていた。それでいて飢饉や疫病が蔓延し蒙古が侵略しようとしていた。それぞれが周囲に合わせたことを、さも本質であるかのように分類する。このような男に国庫から給料が払われていたとは驚く。

十月十九日(日) (社会に貢献しない学者4)
丸山に限らず文系の学者は社会に貢献していない。その理由は欧米の猿真似だからである。そして目が欧米の学会にばかり向いている。更にこれは重要なことだが外国語の論文を読みすぎると馬鹿になる。
文系は日韓中で学会を作ると好い。欧米の学者が何を言おうと誰がノーベル賞を受賞しようと関係ない。参考資料として読めば好い。
一方で理系は欧米と対等に張り合うべきである。しかし外国語の論文を読むことは時間の無駄だし頭が悪くなる。自動翻訳システムを開発すべきである。
理系文系ともアメリカには留学しないほうがいい。今はインターネットが発達しその必要はない。どうしても行く場合は欧米かぶれにならない、と行く前に誓書をしたためる必要がある。

十月ニ十日(月) (学者は日本の社会のために働け)
丸山の「日本の思想」という論文はよくない。冒頭から
外国人の日本研究者から、日本の「インテレクチュアル・ヒストリィ」を通観した書物はないかとよくきかれるが、そのたびに私ははなはだ困惑の思いをさせられる。
日本の学者は欧米研究者の下請けではない。もしそのような研究が必要だと思ったら欧米人の発言とは無関係に、日本社会のために行えばいいではないか。
その一方で日本のことは
「あつものに懲りてなますを吹く」私達の過敏症
「伝統」思想のズルズルべったりの無関連の潜入
人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形
縦にのっぺらぼうにのびた封筒
と悪口を繰り返している。

十月ニ十一日(火) (鈍感な欧米かぶれ)
丸山は「伝統」思想も明治以後のヨーロッパ思想も、本質的なちがいは見出されない。と鈍感なことを言っている。
ある地域で作り出されあるいは他から入ってきた文化は、その地域に影響を与え、うまく適合できれば地域は繁栄しできなければ地域は衰退する。通常は新たな文化自身が滅びるかその地域に適合するよう変化する。そして地域は安定期に入る。
この安定期に入ったときの文化が伝統ではないか。明治以後のヨーロッパ思想は日本では安定期に達してはいない。安定するまでに欧米もまた変化するから永久に追いつけない。日本が欧米列強の植民地獲得競争の猿真似をする間に列強は既得権維持政策へと変化していた。そして大東亜戦争に負けた。丸山はそんなことさえ気が付かないのか。
更に、東洋と西洋では思想形態が異なる。しかも欧米文明は地球環境とは適合せず欧米文明か地球が滅びる。人類および生物のために地球ではなく西洋文明を滅ぼさなくてはならない。

十月ニ十四日(金) (唯物論研究会)
戦前丸山は唯物論研究会(略称、唯研)に関係していた。社会民主主義者や共産主義者が転向すると多くは社会に有害な存在になる。それは唯物論を放棄せずに共同志向を捨てるからである。
丸山と朝日新聞は偽善進歩主義である。大阪府知事が最近「朝日みたいな新聞社は、なくなった方が世の中のためになる」と発言したことは一理ある。
                           伝統主義

封建主義
 
村落共同体
 
道徳社会
 
自由主義
(読売)
反共主義
(産経)
東洋共産主義
欧州社民主義
新自由主義
(アメリカ)
偽善進歩主義
(丸山、朝日)
共産主義
 
 ↑
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 ↓

                            唯物論
利己主義  <--------------->  共同志向

上図では東洋共産主義と欧州社民主義を同じ分類にした。自由だの民主主義だのという言葉は欧米が自分たちのやり方を押し付けるための口実に過ぎない。自由と民主主義以外の視点から見れば、アジアの共産主義と欧州の社民主義は類似している。


十月ニ十五日(日) (現代の狼少年)
偽善進歩主義の悪いところは3つある。
  1. 日本や東洋のものを批判し欧米を無批判に賞賛する。これにより日本社会は過去と不連続となり不安定となる。
  2. 在日アメリカ軍の存在を認めながら平和を叫ぶ。世界最悪の暴力団と組みながら「明るい社会を築きましょう」と叫ぶに等しい。
  3. 平和時に平和を叫ぶことは狼少年である。戦争に巻き込まれそうなときに平和を叫んでも、皆が「またか」と無視するようになる。
偽善進歩主義は新自由主義についで有害である。


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