六百五十九、右翼と左翼(これまでの認識と調査後の変化)乙、松本健一氏「思想としての右翼」(その二)

平成二十七乙未
二月四日(水) 第一章(その十一、アジア主義)
日本のナショナリズムが欧米の先進資本主義列強の圧迫のもとに抵抗として成立した思想であるなら、同じようにアジアにもナショナリズムがわきあがっていた。このとき、明治維新によって辛くもその植民地化を逃れた日本人が、(中略)アジアのナショナリズム運動に同情したのは、当然のことといえよう。いや、植民地化の危機感は日本にもながく残っていた。

ここまで同感である。一方で日本は日露戦争の後に二十一か条で帝国主義の道を歩んだ。右翼はアジア主義から帝国主義に宗旨替へをした。しかし戦後の日本に帝国主義は存在しないから、右翼と左翼が分裂する理由はなくなつた。

さて戦後もしばらくは世界中に植民地が残つたが、今は植民地化の危険はない。しかし経済と西洋文明といふ新型帝国主義が発生した。アメリカはこのようなことを次々と考へるから警戒を怠つてはならない。アジア各国は西洋文明のうち必要な部分だけを取りいれて不必要なもの(例へば日本で云へば消費税)は取り入れないようしなくてはいけない。
アジア全体が西洋化して日本だけ伝統を保つのは不可能である。だからアジア全体で伝統を保たう。これがアジア主義の神髄である。別の云ひ方をすればアジア全体で各国の国民の生活を守る。これがアジア主義である。

二月五日(木) 第一章(その十二、似非アジア主義とリベラル)
日本が先進資本主義列強の脅威から完全に脱却するためには、ひとつに欧米の模倣をして脱亜化することであった。しかしこれは、ナショナリスト=右翼の採る道ではなかった。

ところが日本は帝国主義を歩み始める。
このとき、右翼はアジア主義を手放した。(中略)かれらはアジア主義を保持しつづけているようなふりをしながら、侵略的日本に抵抗しないアジアを求めて手を組んだ。これは、アジア主義の堕落である。それが堕落であるからこそ、それまでアジア主義者を疎外していた支配階級が、喜んでアジア主義者歓迎の素振りをみせはじめたのだ。大東亜共栄圏(昭和十五年)といい、大東亜文学者大会(昭和17年)というのが、この素振りの典型である。(以下略)
大東亜文学者大会が、似非アジア主義者であることを見破っていたひとりは、支配階級のリベラルに属する長與善郎であった。長与は『わが心の遍歴』に「先方側(中国)ではどうせ愛国的気骨のある思想、技能も優れたと言いうる目ぼしい作家は皆奥地にひそんで、敵国日本の文学報国会が勝手に呼びかける大会にのめのめ出席する筈がない」と書いている。にもかかわらず、長與は第三回南京大会に日本人団長として出席するのである。
リベラルというのは、やはりおそろしい。それが似非アジア主義の大会であることを知りつつ、アジア主義者の顔を装って、この役を演ずるのである。なぜなら、そのことが支配階級の権力維持に役立つからである。


左翼の振りをする左翼崩れ、労働組合の振りをするシロアリ連合、保守の振りをする拝米の連中にそつくりである。リベラルはみにくい。

二月六日(金) 第一章(その十三、竹内好のアジア主義)
だが、大東亜文学者大会を公然と批判したアジア主義者はいなくはなかった。竹内好が、これである。(中略)「僕は、少くとも公的には、今度の会同が、他の面は知らず、日支の面だけでは(中略)日本文学の栄誉のために、また支那文学の栄誉のために、承服しないのである。承服しないのは全き会同を未来に持つ確信があるからである。つまり文学における十二月八日を実現しうる自信があるからである。」
十二月八日というのは、(中略)理論的にいえば、日本がアジアの命運を背後に負って、先進帝国主義列強に宣戦布告をした日である。竹内は文学におけるそれを実現しうる自信があると書いているが、これは、かれのアジア主義者であることの表明といってよいだろう。そのアジア主義者の目からすると、大東亜文学者大会は似非アジア主義の大会であった


十二月八日が出て来たことで竹内を軍国主義者だと短絡させてはいけない。アジアのほとんどが植民地になるといふ帝国主義の世界にあつて戦争は避けられないとも言へるし、既に戦争は始まつたからその状況で書いたとも言える。
アジア主義は、かくして右翼ならざる人物によって、その保持をえた。いや、右に引用した文章からよみとれるように、竹内好のロマン主義的性向とナショナリズムとは、そのアジア主義とともに(中略)思想としての右翼をもっともよく引き継いだひとである、という表現さえ、あるいは可能かもしれない。
しかしまた、かれが思想としての右翼を引き継ぎえた所以は、かれが右翼だったからでも、右翼の人物たちと関係をもっていたからでもない。(中略)民衆の心性(エトス)に関わりえた右翼の思想を、竹内好はかれ自身のまえに対象化しえたのではなかったか。


二月七日(土) 第二章第一節(新右翼と新左翼の転位、その一)
昭和四十九年に連合赤軍事件で獄中にある坂口弘が「北方領土返還」を主張しはじめるに至って(中略)新左翼のスローガンにもなりはじめたらしい。(中略)しかも、この民族自衛闘争のためには、安保条約を「必要悪」と認め「一時的にこれを利用しなければならない」として、かつての安保条約破棄を訂正する。また、米軍、自衛隊、警察に対して「武装闘争」をやると、ソ連をよろこばせることになるので、これはやらない、として、かつての武装路線を放棄するのである。

松本氏はすぐその反論に移るが、その前にこれは当時の中ソ対立を反映したものだと気付かなくてはいけない。中国共産党は文化大革命の最中でソ連とは厳しく対立した。その一環として日本の北方領土を支持した。坂口はその流れで主張した。ここで日本の左翼は外国と無縁ではないことを示す。その一方で日本共産党は中ソとは違ふ独自路線を掲げてゐたし北方領土は千島列島を含めて日本の領土だと主張したから当時の共産党は外国とは無縁でここは評価すべきだ。松本氏は続けて
この二十日後には、山本英夫が『新左翼』十一月五日号に、坂口路線をブルジョア民族主義だ、と批判している。
それは、およそ次のような論旨である。千島列島がソ連の「領土」であるか日本の「領土」であるか、などという議論は、「プロレタリア人民」にとって実はどうでもいいことである。なぜならば、領土というのは、「国家」が「搾取と収奪」のために、原始共同体や他民族を侵略したとき成立した概念であるから、だ。(以下略)
山本英夫の考えは、こと北方領土に関するかぎり、わたしと同意見である。


私も同意見である。しかし領土問題をブルジョア民族主義と批判するのではなく、領土といふ概念自体が近代西洋文明の産物であることを批判すべきだ。野生生物の生息分布と同じく人類にも生息地域がある。その中で各地にそれぞれ古来独自の文化を持つ人たちが住むのであり、これを尊重すべきだ。だから日本の本来の領土は本州、九州、四国と、北海道の松前藩の範囲。北海道のそれ以外の地域は少しづつ人口を減少させてアイヌと野生生物の生息地とすべきだ。ロシアはアジア地域から少しづつロシア人を減少させ先住民の管区とすべきだ。中国も満州から少しづつ減少させ、アメリカは移民を停止するとともに十三州に少しづつ移動すべきだ。

二月八日(日) 第二章第一節(新右翼と新左翼の転位、その二)
北方領土返還要求は、昨今の日本政府より以前に、(中略)既成右翼が訴えていたことである。新右翼はこれを踏襲しているわけであるが、新右翼にとってそれが主要課題としてクローズ・アップされてきたのは、沖縄返還の実現に見通しがついた時点からである。(以下略)
新右翼の北方領土返還要求がかくのごとくであれば、その主張は既成右翼と変わらない、といってもよいだろう。だが、かれらは(中略)「もはや、日本民族主義を領導する右翼正統=日本学生会議は現Y・P(ヤルタ・ポツダム)体制を黙認した形での北方領域返還を断念したのである。(中略)Y・P体制打倒への展望を保有しない、独立した返還運動の効力は、零でしかないだろう」、と。
なお、ここでのY・P体制、あるいはポツダム防衛機構体制というのは、新左翼のいう日米安全保障条約によって守られた戦後民主主義体制というのと、ほぼ同意語である。すなわち、新右翼はこの体制の解体をいうことによって、安保条約をほぼ全面的に認めてしまう既成右翼を否定しているわけだ。


ここまで同意見である。Y・P体制の解体といつても日本が戦前に戻るわけではない。といふか今の日本は戦前と変はらない。西洋列強が帝国主義の時代はその真似をするし、新自由主義の時代はその真似をする。だから戦前に戻る戻らないの議論はまつたく無意味である。だからY・P体制の解体といふのは平成三年までは安保条約の破棄のことであり、一方でこのことが米ソ冷戦に巻き込まれて既成右翼を安保賛成に追ひやつた。この年にソ連が解体するとアメリカの対日戦略が変化した。だから今では日米安保条約なんかどうでもよいから精神的にアメリカからの独立。これが大切である。
さてしかし、新左翼と新右翼とが、北方領土問題あるいは沖縄返還闘争において、ほぼ同一歩調をみせていることは、いったい何を意味するのか、(中略)かくのごとき思想状況は、従来、階級闘争一辺倒だった左翼が、「民族」という躓き(つまづき)の石に躓いたことによって招来された。躓かなかったような振りをしている旧左翼日共は、じつは躓かなかったのではなくて、この問題を回避したのであった。そのことによって、日共はつねに主人持ち、あるいは主人待ち、の状態を保ちつづけた。外における主人持(待)ちの態度は、内における奴隷根性の要求となってあらわれるわけだ。とまれ、躓かなかった日共が悪いか、躓いた新左翼がダメであるかは、ほぼ同一の問題に帰着する。すなわち「階級」に対する「民族」という反措定は、依然としてジン・テーゼを導きだせていない、ということである。

ここは私と松本氏の最も意見の食ひ違ふ部分である。ライオンを急に草食動物にしようとしても無理である。ヤギを肉食動物にしようとしても不可能である。同じように人類もそれぞれの地域で先祖伝来の文化を破壊してはいけない。なぜなら人類は文化を持つ生物なのだから。ここで不都合な伝統なら改めたほうがよい。不都合ではないものを外国の去る真似で変へることは止めたほうがよい。資本主義が従来の文化、但しこの文化はあるべき者が堕落したものではあるが、文化を破壊しようとして社会が混乱した。だからマルクスが階級を唱へた。つまりマルクスの階級思想は従来文化の破壊への阻止機能だつたことに気付けば、「階級」と「民族」は矛盾しない。

二月八日(日)その二 第二章の第二節、第三節、第四節
第二節「日本農本主義と大陸」、第三節「満州国の建国とその思想的基底」、第四節「満鉄調査部論」はいづれも満州に関係する。日本には無責任な言論人が多い。戦前は再三再四どころが常時に好戦論をばらまき戦後は平和を唱へる。といふことで私は戦前に非戦論、戦後に戦前を継承する人を応援することになる。石原莞爾は最初悪い印象だつたが調べてみると全然違ふことに愕然としたのは今から4年前のことだつた。石原莞爾は無責任な言論人どもの犠牲者といつてもよい。だから私は石原莞爾を援護することにした。
ここで戦前を継承する人を応援してよいのかと質問が出さうだから予め答へておくと私が30歳になるまでは周りの年長者はすべて戦前を継承してゐた。だから砂川基地反対闘争で闘つたし、安保条約反対運動で死者まで出したし、アメリカ大統領来日を阻止したし、成田空港反対闘争を闘つた。あるいは東亜連盟幹部だつた自民党田中派の国会議員が訪中して周恩来と東亜連盟の話をしたこともあつた。ところがマツカーサが偏向政策を日本に押し付けたせいで戦前を継承しない連中が増へてきた。護憲だの死刑廃止だの民主主義だの自由だの新自由主義だのを叫ぶ奇妙な連中が増へた。なぜ民主主義と自由を叫ぶことが奇妙かといへば、江戸時代に叫ぶなら偉い。東条内閣のときに叫んでも偉い。今叫ぶ事は偽善である。
といふことで三節の評論は避けるが、ここで満州事変について述べると、まづその前の日露戦争は犠牲者数の予想と実際は1桁ずれがあつた。そのため日本は満州を手放せなくなつた。次に21か条があつてこれで日華の関係は修復不可能になつた。諸悪の根源は21か条である。日本は満州を張作霖といふ日本の言ひなりの独裁者に任せたが、張作霖が日本の反対にも関はらず蒋介石と戦争を起こして北京を占領し、しかし戦闘に負けて戻つてきたので爆殺した。日本はすぐに息子の張学良と関係修復の工作を行つたが学良は張作霖の側近を殺害して実権を握つた。
陸軍省の永田鉄山は関東軍に大口径砲を送つた。日本軍は高射砲と称して北大営に照準した。これでは日本が勝つ。それを石原莞爾の謀略と責任になすりつけるのが戦後の言論人である。なを松本氏は三節で石原莞爾を悪くは書いてゐない。といふことで第五節に移りたいと思ふ。


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