六百三(その二)、1.ニセ(自称東京)新聞、拝米の馬脚を現す(マスコミの横暴を許すな24)、2.山口二郎氏批判(その二十二)

八月二十五日(月) ニセ新聞の平和記事、拝米の馬脚を現す
今回は一旦終了したがニセ新聞があまりに悪質なので重ねて批判することにした。まづは二十四日の朝配布物の 「さまよう 日章旗」の文章である。
大学職員のロレイン・エンライト(五八)は、米バージニア州ウィリアムズバーグにある職場のパソコンで最後の メールチェックをしていた。
えっ。一通のメールに手が止まる。「素晴らしいニュースがあります・・・」。知らず涙がこぼれた。思わず、叫んだ。
「分ったのね!」
「一郎君」という日本兵への寄せ書きがある日章旗。(以下略)


そしてエンライトさんといふ女性の写真まで載つてゐる。アメリカ人を登場させるときは美談に仕立て上げる。日本人の 場合は悲惨な物語にする。反日(自称、朝日)新聞以上の反日拝米である。反日新聞の場合は元主筆船橋洋一のアメリカ 政府新自由主義系シンクタンクの会員であることが後に暴露されたが、ニセ新聞も馬脚を現した。

八月二十六日(火) OBON2015
二十五日の「さまよう 日章旗」は本物の美談である。日章旗の持ち主が分かったことを知り
米オレゴン州に住む啓子・ジーク(四六)は「うれしくて泣いてしまった」という。(中略)戦後七十年の来年夏(お盆)に向け、 日章旗の返還に取り組む「OBON2015」を夫レックス(六〇)とともに主宰している。

船橋洋一の英語公用語に始まりそれが無理だと判るや小学生に英語だの大学の授業を英語だのと騒ぐ連中が国内にゐる。 それらに反対する一番目の理由はこれはアメリカの日本属領化政策の言ひなりだからであり、二番目に英語を偏重することに よる日本社会への影響である。三番目は日本語を得意とする人をもつと活用すべきだ。私がアメリカ滞在中、夏に盆踊りが あり、加州(カリフォルニアの日系人はこう書く)サンマテオ市の日本街に行つた。真宗の別院があり住職が日本語で挨拶した。 日本は日系人をもつと活用すべきだ。そのときさう思つた。

八月二十六日(火)その二 敗戦嫌悪運動はいけない
この日の一ページ目先頭(本物の新聞なら一面トップ)に学校 戦争伝えようといふ 見出しの文章が載つた。これまで何回も述べたが平和運動には二種類がある。戦勝国側の平和運動と敗戦国側の平和運動 である。ところが日本では社会党が解体して以来、米軍の存在には目をつぶりそれでゐて護憲を叫ぶ奇妙な連中が出てきた。 これは平和運動ではない。敗戦嫌悪運動である。
当時の米英仏蘭は世界中を植民地にした。そのことは無視して米英仏蘭は正しくて日本は間違つてゐると奇妙な方向に向かふ。 勿論西洋列強が植民地を持つたからといつて日本が真似をしてはいけない。
学校が戦争を伝へるなら欧米が世界中を植民地にしたことと日本を無理やり開国させた。日本は欧米の猿真似をして第一次世界 大戦のときから変質した。そこを教へるべきだ。

八月二十七日(水) 嘘は百回言つても嘘にしかならない
国内に外国軍が居座る。これは属領である。普通の感覚ならこれに反対するのは当然である。六十年安保闘争はまさにこの闘争 だつたが、米ソ冷戦に巻き込まれた。ところが二年前に山口次郎氏が反安保運動はA級戦犯の岸に反対するものだといふ 巧妙な歴史の書き換へを行つた。少なくとも平成の始め辺りまではこんな珍説を言つても誰も信用しなかつたが、世代が交代した のと昭和の終りのプラザ合意で世の中が変になつた。西洋かぶれが増へて現業を軽視し他のアジア各国を馬鹿にするようになつた。
その流れで反安保を反米から反A級戦犯即ち拝米に持つて行かうと企んだのであらう。二十三日のニセ新聞は性懲りもなくこれを持ち出した。 「こちら特捜部」といふページに60年の「反岸」 デモ 危機感は同じといふ見出しを付けて、
当時は、終戦からわずか十五年。しかも岸氏は、太平洋戦争開戦時に閣僚を務め、戦後はA級戦犯として投獄された人物だ。後に 不起訴となったものの国民の警戒心は強く、「反安保」から「反岸」へと流れが変わっていった。


当時は反安保があるから強引に安保を進める岸に反対した。決して反岸があるから反安保闘争を開始したのではない。ニセ新聞 は嘘も百回言へば本当になると思つてゐるようだが、嘘は何回言つても嘘にしかならない。

マスコミの横暴を許すな23マスコミの横暴を許すな25

八月三十一日(日) 不完全な山口二郎氏のコラム
山口氏のコラムは表面しか見ないと前に批判したことがあつた。本日のコラムも同様である。
先日、保育園が迷惑施設と受け止められているとか、公園で遊ぶ子供たちに静かに遊ぶよう指導が行われているという記事を読み、暗たん たる気分になった少し前、銀座の泰明小学校の横を通ったとき、都心なのに子供の黄色い声が聞こえて妙にうれしい気分になったことがある。 こんな受け止め方は少数派なのだろうか。

この書き方は極めて不十分である。山口氏は今年三月まで国立大学の教授だつた。この程度の書き方に長年税金で給料を払ふ必要があつた のか。まづ保育園や公園で静かに遊べといふのは社会の異常事態である。なぜ異常事態が起きるかといへば一つには社会が崩壊したためで あり、二つには大都市の行き着く先である。
社会が崩壊した最大の理由は独身者の増大である。結婚するのが普通だといふ世の中にしなくてはいけない。自由だ西洋化だと騒ぐニセ新聞 や反日(自称朝日)新聞にまづ責任がある。次に拝米反アジアの国売り(自称読売)と白人崇拝KKK(自称サンケー)にも責任がある。その理由は 日本の文化の大半はアジア各国から入つたものだから反アジアだと日本そのものに反対することになつてしまふ。
大都市化が進めば住民の精神が変になることは判り切つたことだ。大都市化を防ぐには円高を抑へて農業を振興し、併せて他の産業を全国に 配分すべきで、それには消費税の廃止と所得税の累進強化がよい。ところがシロアリ民主党に異常に肩入れする山口氏にはその主張ができない。 山口氏は
大人がこれほど自己中心的になれば、少子化や人口減少は止まるはずがない。

これは先ほど述べたように逆である。大人と子供と老人がそれぞれゐるのが社会である。独身者が増へて子供が減り、更に少子化でますます子供が 減れば社会が変になり自己中心的な人も出てくるだらう。決して大人が自己中心的になれば少子化や人口減少になるのではない。
大人が子供に不寛容になっていることは、最初から使える完成した人材を求める社会の風潮の一部である。(中略)大学に対してはすぐに使い物に なる人材を送り出せという圧力が強まってきた。

今までの山口氏のコラムをまとめると保育園や公園は静かにしろといふのは最初から使へる人材を求める社会の風潮の一部といふことになる。しかし この主張は完全に間違つてゐる。大学に最初から使へる人材を求められたとしたらそれは目的に対してだから正しい。それに対し保育園や公園に求め られたらそれは途中の過程に対してだから正しくない。こんな矛盾だらけの文章を書くから、コラムの最初から最後まで呼んでも、山口氏が少数派で 大学には圧力が強まつている。全然意味のない話で終つてしまふ。(完)


山口氏批判(その二十一)へ 山口氏批判(その二十三)へ

メニューへ戻る (その一)へ 次へ