二百八十四、山口二郎氏批判(その二、山口氏は國立大學教授失格だ)

平成二十四年
六月十八日(月)「歴史を正反対に捏造する山口氏」
前回に続き山口氏を批判せざるを得なくなつた。数千の市民が原発再稼動に反対し首相官邸に集結した。このことについて山口氏は突然五十二年前の安保反対運動に言及する。といふより題名からして「戦犯は引っ込め」だから、原発に事寄せてフルブライト奨学生としてアメリカに留学した山口氏が拝米活動をしようといふ仕儀である。拝米活動といふ表現は穏健な言ひ方であつて世界の常識では売国行為である。こんな男を国立大学の教授にしておいていいのか。
あの時の市民は、安保条約そのものを理解して反対したというよりも、A級戦犯だった岸信介首相(当時)が強行採決で安保条約を可決させ、戦後民主主義を踏みにじったことに怒ったのだろうと想像する。

それにしても驚く。安保反対運動は安保条約に反対したものだ。米ソ対立に巻き込まれるといふ不幸な面はあつたが、多くの参加者は外国軍が国内に駐留することに反対して参加したものだ。ところが山口氏は歴史の捏造を始める。

六月十九日(火)「戦犯」
先の戦争について何を反省すべきか未だに判らない人が多い。まづ西洋列強の猿真似をしたことを反省すべきだ。日露戦争に勝つたあとの慢心をどう鎮めるかに失敗したことも反省すべきだ。軍部や国民を煽つたマスコミは反省すべきだ。与野党が同じ主張をしたため昭和恐慌で多数の貧困者が現れたことも反省すべきだ。
戦前は軍国の偏向がある。戦後はアメリカ占領の偏向がある。ところが戦後の偏向には気が付かない人が多い。戦後の既得権者である大手マスコミ、アメリカ利権の拝米政治屋や経済界が意図的に隠したとも云へる。
戦後の混乱が収まつた昭和二十年代後半から高度経済成長の始まる前の昭和三十年代までが、二つの偏向が相殺し明治維新以降日本が最もまともな時期だつたと言へる。だから昭和27年、戦犯にも恩給や遺族年金を支給することが全政党一致で可決された。これについてインターネツトで調べたら、日本共産党は6年前の機関紙に
岩間正男参院議員(故人)は、軍人恩給を復活させる法案審議のなかで、旧軍隊の階級をもとに恩給額をきめる体系について、「大将未亡人には年間14万円、二等兵の未亡人にはわずか2万4千円しか与えられないのであります。本当に生活にあえいでいるのは二等兵の遺族であります」(53年3月本会議)と告発しています。さらに「政府は一切の再軍備のための予算を、社会保障の拡大や教育文化予算にまわし、戦傷病者、遺家族をはじめとするすべての戦争犠牲者、生活困窮者の生活を保障すべきであります」(同)と主張しています。
と書かれてゐる。共産党といふのはなかなかよいことをいふ。いふことに筋が通つてゐる。それはともかくとして先の戦争は決して戦犯と称される人達だけが起こしたものではないことを当時の人たちは知つてゐた。ところが世代が代はり当時のことを知らない人が多くなると、山口氏のように歴史を捏造する人が現れる。

六月二十一日(木)「或る田舎町の例へ話」
これは或る田舎町の例へ話である。外国軍が国内に居座るといふのは、警察署の一階に暴力団事務所が入るようなものだ。これに反対するのは町民として当り前である。ところが40年間経過すると地元は感覚が麻痺する。
まづ警察署の一階に暴力団事務所が入るだらうか。これはあり得る。町立の建物を県警に貸し警察署が入居してゐた。人口が減少し警察署を縮小することになつた。一階は商店街を狙つて入札に出した。まさか暴力団が応札するとは誰も思はないから普通の入札より参加資格が緩やかだつた。そして暴力団が落札した。
最初は町役場を取り巻くデモで大変な騒ぎだつた。しかし四十年が経過し誰も文句を言はなくなつた。暴力団幹部が「大使館員」の肩書きで町会議員に接触するから拝暴派が増へた。上部団体の組長が「大使」の肩書きで面会することもあつた。頭の悪さうな学者に奨学金を与へ留学させることもあつた。
「我々と暴力団は価値観を共有する」、そのように叫ぶ馬鹿な町民まで現れた。暴力団は地元では犯罪を起こさなくなつた。しかし隣町やもつと離れた村で犯罪を起こすことに町民は気が付かない。組事務所を狙ふ生物兵器を作つたと言ひがかりをつけて或る村の住民を多数殺害し、しかし実際には生物兵器はなかつた。
猿真似拝暴ニセ学者が、町役場を取り巻く反暴デモは実は当時の町長が元B級戦犯だつたので反対したものだつたと言ひ出した。町の商店街も寺の住職も農協の役員も地区労も共産党の幹部も皆高齢で死んだからそんな作り話でも誰も気が付かなかつた。

六月二十二日(金)「昔総評、今米軍」
かつて昭和天皇は、アジア各国に対しては戦火に巻き込みすまなかつたといふ気持ちを持つてゐたが、欧米各国にはアジアに軍隊が居たので戦闘になつたといふことで謝罪は一切しなかつた。この話は昭和六十年頃の毎日新聞の記事だつたと記憶してゐる。
これこそ正しい姿勢である。ところが米ソの冷戦が終結したあたりから、米英仏は正しいといふ珍説が出回りだした。野田がチャーチルの言葉を真似した「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアツプ」はまさにその延長である。イギリスは世界で最も植民地を持つてゐたしアメリカは国自体が植民地である。しかもハワイを併合したりカリフォルニアを併合した。先の戦争は帝国主義どうしの醜い植民地獲得戦争であつた。
そんなことは昔の人は知つてゐた。戦後の偏向教育と、拝米偏向マスコミと、米軍の存在が日本を駄目にした。

六月二十六日(火)「北海道大学からさよなら山口二郎」
山口氏がまた暴言を吐いた。「さよなら小沢一郎」といふコラムである。この中で山口氏は「小沢という政治家の役割はこれで終わりだと思う」と述べた。その理由は「野田首相は最大の敵ではない。政権交代を起こした民主党にとっては、依然として自民党が最大の敵である。」
自民党と取引し消費税を通そうとしてゐるのが野田ではないか。法案は野田が提出し自民党が同調する。それなのに自民党が最大の敵で、野田は最大の敵ではないのか。
山口氏を税金で養ふ必要があるだらうか。少なくとも消費税に反対する多数の人達の払つた分を使ふのは筋が通らない。北海道大学から山口氏が出て行くか山口氏の所属する公共政策学連携研究部は廃止すべきだ。

六月三十日(土)「反対するふりをして賛成する詭弁」
山口氏は「私自身、原発再稼動、理念なき増税を遮二無二進める野田首相には、はらわたが煮え返る思いである」と述べる一方で、「小沢には別れを告げるしかない」とコラムの最後で結論付ける。つまり、はらわたが煮え返るといふのは嘘である。それは「消費税率引き上げは財政健全化の緊急措置として認めざるを得ないと私は考える」でも明らかである。
財政健全化の緊急措置なら直間比率は変へずに全体を上げるべきだ。消費税増税の最大の問題点はどさくさに紛れて大企業と財務省に都合のよい消費税だけを引き上げることだ。
二番目の問題点は、国民の所得が増へずに消費税が増へると帳尻を合はせるため支出を減らす。NHK受信料や鉄道運賃や新聞代など決められたものは減らせないからそれ以外、つまり中小企業や個人商店を直撃する。山口氏はそんなことも判らないのか。いつたいどこに目と大脳を付けてゐるのか。

七月九日(月)「山口氏は果たして学者と言へるだらうか」
山口氏は果たして学者と言へるだらうか。山口氏の言ふことは飲み屋の酔つ払ひの政治放談と変はらない。こんな男に国立大学法人が給料を払ふ必要はないと断言する。
昨日のコラムで山口氏は新自由主義と原発に反対し、平和を志向する人々の間では、ネットに飛び交う意見を見る限り、小沢人気が高いようである
と書いた。ここからして学者失格である。なぜネツトに飛び交ふ意見は小沢人気が高いかと言へば、江戸時代で言へば百姓一揆に参加する人達の意見だからだ。困つてゐる人や、道理に合はないと憤慨する人や、世の中の為を思ふ人が参加する。人数から言へば少数だが、多くの町民や他の村の農民も支持をする。少なくとも反対はしない。一揆参加者も蓑を着たりむしろ旗を持つて貧困ぶりを訴へた。
今は拝米の読売、朝日、毎日、産経とその奴隷ども(テレビ局)が輿論を誘導するし、世論調査自身が偏向質問で当てにならない。さういふことを分析すべきなのに山口氏はネットに飛び交う意見を見る限り、小沢人気が高いようであるといかにもネツトが特殊であるように装ふ。

七月十四日(土)「菅を支持し野田に反対する詭弁」
山口氏は反野田の象徴として小沢氏を英雄視することに反対だといふ。その理由として 一年ほど前、小沢氏は自民党と一緒になって、当時の菅内閣に対する不信任案に賛成する動きを見せ、脱原発路線の菅直人首相を退陣に追い込んだ。

これは当り前である。菅直人はせつかくの民主党政権交代に逆行することを次々に行つた。なかでも許し難いのは自民党と連立して消費税を増税しようとしたことだ。菅は民主党内と野党の両方から批判され、東北大震災では人気回復に利用しようとした。その意地汚い根性に国民は辟易した。もはや退陣は確実といふときに突然脱原発を言ひ始めた。もはや意図が見へ透いてゐるから皆に無視され退陣した。
野田は菅内閣の財務相として増税を進めた。菅には賛成で野田には反対といふ山口氏の主張は矛盾に満ちてゐる。
私は野田首相の政策判断には反対だが、小沢氏のご都合主義の方が有害だと思う。

小沢氏は増税反対といふことで鳩山内閣時代から一貫してゐる。ご都合主義は菅である。鳩山内閣のときは副総理といふことで猫をかぶり、政権が転がり込むや拝米新自由主義派に魂を売り、選挙公約にないTPPや消費税増税を言ひ始めた。消費税増税をしてもらはうと思つて民主党に投票した人は一人もゐない。
生活第一路線も、脱原発も、しょせん小沢氏にとっては権力闘争の道具である。

それにしても山口氏の異常なまでの反小沢には驚く。
大阪維新の会との提携を模索する政治家が社民党と当面連携しようなどというのは、まさに機会主義そのものである。

公務員の給料も民間と同じく需給関係で決めるべきだ。民間では給料が安いと求職者が来ないし転職者が続出するし、給料が高いと収益を圧迫するから、一定の均衡値で落ち着く。公務員はそれをやらず民間準拠といつても安定性を無視するから応募者が増へる。優秀な人を公務員に行かせることは国の損失でもある。ところが自民党は政財官の癒着でできないし、民主党は官公労に気兼ねしてできない。国民のためを考へればまづ大阪維新の会にやらせようとするのは当然である。公務員改革が或る程度進み民間と均衡が取れた後に労働者として連携するのは当然である。大阪維新の会との提携も社民党との連携も矛盾はない。(完)


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