五百五十六、1.理研のトカゲの尻尾切りを許すな(小保方論文支持)、2.マスコミの横暴を許すな17

平成二十六甲午
四月一日(火)「理研の記者会見」
理研が記者会見で小保方論文を捏造、改ざんと認定した。私はこの発表に反対である。小保方論文を読んだ訳ではなく理研の記者会見も見た訳ではない。しかしどうもここ十五年ほど偏向マスコミが騒いできたことと酷似してゐる。
まづ英語公用語が突然現れた。旗色が悪いと判るや一旦は収まつたがその後マスコミが英語、英語と騒ぎ出した。このときはたぶん官邸の機密費がばらまかれたのだらう。女系天皇のときも変だつた。鳩山氏と小沢氏のカネの問題のときも変だつた。消費税増税のときも変だつた。といふことで今回の論文騒ぎを機にマスコミを徹底的に批判し住みよい世の中にしよう。

四月二日(水)「まづ憲法を改正しよう」
一部の反日拝米マスコミが昨年護憲護憲と騒いだ。かつては米ソの冷戦下で護憲は意義があつた。しかし今の護憲運動は拝米または現状維持を続けたい連中の醜い集合体である。辻元清美が自民党の改憲拝米主義者と組んだ件(拝米新自由主義者どもがつひに馬脚を現はしたへ)がその典型である。
消費税増税が可決された直後に福島みずほが「護憲、護憲」と叫ぶのには驚いた。当時は維新の会しか改憲を主張しておらず福島は維新の会を批判したものだが、消費税増税が可決された直後に云ふことではない。交通事故が起きて救急車を待つてゐるときにやじ馬ならぬやじ女が護憲護憲と叫ぶようなものだ。それ以降福島には批判の目を向けたが辻元といつしよに記者会見をするに及んで完全に批判対象になつた。
うちの労組のA副委員長は年越し派遣村の縁で福島とは仲がよいことになつてゐるが、「向ふが勝手にお友達だと思つてゐるだけで別に仲がよい訳ではない」と組合内で大笑ひになつたことがある。もしかして今の護憲議員は二院制を続けて自分の議席を守りたいだけではないかと消費税が上がつた二日目に思ふ。
憲法を一旦改正すればあとは改正内容の議論になり、反日マスコミは消滅する。第九条の戦争放棄は維持し軍隊を持たない件も維持し軍隊ではない自衛隊は合憲にする。これがよいのではないか。その他の条文は国の独立のためすべて変へたほうがよい。変へるとなると各党から意見が続出してまとまらないかも知れない。一層のこと国会は普通選挙、首相は国会が指名、裁判所は独立。これが第一条で今の第九条を二条目に持つてくる。憲法は二条だけでもよい。天皇はどうするのかと疑問を持つ人もゐよう。しかし嘘つき幕府(自称日本国政府)の憲法に天子様をお載せしては失礼である。

四月三日(木)「理研は他人の心を透視できるのか」
理研は記者会見で「悪意のある」といつた。悪意があるかないかは本人の心を透視しない限りできない。功をあせつたばかりにずさんな点はあつたとしても悪意はないのではないのか。それよりトカゲの尻尾切りで逃げようとする理研には悪意がある。このような団体に税金を使ふのは無駄である。理研は廃止すべきだ。

四月四日(金)「ニセ新聞東京パンフレットの横暴」
ニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)の横暴には驚く。四月一日の夕刊の1ページ目には小保方氏が捏造、改ざんといふ大きな白抜き見出しが載つた。ここからして間違つてゐる。中日パンフレット社東京本社(自称中日新聞社東京本社)は小保方氏が捏造、改ざんした確証があるのか。理化学研究所が発表しただけだ。だつたら理研は捏造、改ざんと発表と書かなくてはいけない。
それでも1ページ目(自称一面)は文章自体がまともだからまだよい。悪質なのは最終ページの一つ手前(新聞なら三面)である。
文科省幹部は「論文の作法は大学院で教えるべきだ。なぜあんな学生が博士号を取得できたのか」とあきれる。
あきれるのはニセ新聞のほうである。文科省の誰が発言したのか具体的に書くべきだ。また話の文脈も明らかにすべきだ。こんな文章(自称記事)を許したら文科省の人間を酒を飲みに連れ出し東京パンフレットの悪口を言ひ並べて相手が相槌を打つたことを以て
文科省の幹部も「あんな文章のパンフレットのくせになぜ新聞を名乗るのか」とあきれる
と書いてよいことになる。

四月五日(土)「写真の改ざん」
最終報告書は、きれいに見せるための修正を「改ざん」とした。それならニセ新聞東京パンフレットが普通の人の写真は胸から上なのに籾井氏をわざと顔だけ大きく載せたのは改ざんではないのか。読者は籾井氏の顔はでかい或いは態度がでかいと思ひ込んでしまふからである。
今回の事件は論文が発表になつたときからマスコミが騒ぎ、その後に論文の問題点が指摘されるや非難を繰り返して事件を大きくした。最初にマスコミが騒がなければ論文に不備があり修正した或いは取り下げた。どちらにしても世間から注目されない些細な事件だつた。今回のやり方は戦前にマスコミがさんざん騒いで戦争を煽つたあげく敗戦するや平和を叫ぶのと何ら変らない。

四月十一日(金)「中日新聞社は東京パンフレット事務所(自称東京本社)を売却したほうがいい、その一」
私が富士通にゐたとき(所属は子会社だつたがよく考へるとあの頃は富士通に勤務してゐた)に、富士通のワープロを誉めてくれる埼玉大学文学部教授と富士通ワープロファンの大学生(埼大ではなく早慶か)がゐた。当時はまだインターネットがなかつたからパソコン通信全盛期だつた。二人はニフティといふパソコン通信を使つて富士通のワープロをたくさん誉めてくれた。埼大教授は文章を書くときに正仮名遣ひを使ひ(これが普通なのだが今はマッカーサが作つた嘘つき幕府に騙された人が多い)新しいバージョンが出るとすぐに正仮名遣ひを全部登録してしまふ熱心な人だつた。ニフティは富士通と日商岩井の合弁会社であの大学生はニフティに就職するのかと思つたら日商岩井に就職した。
ニフティはその十数年後に富士通の単独子会社になつたがこの度売却することを発表した。富士通ばかりではない。日本電気は日本電気Biolobeを先日売却した。中日新聞の諸君、今こそ東京パンフレット事務所(自称東京本社)を売却すべきだ。首都圏事業を継続するには神奈川新聞なり埼玉新聞を買収するか相手が難色を示すときは共同事業にすればよい。新聞社を増やす意味から後者が望ましい。

東京パンフレット四月十日の朝に問題文章がある。初歩抜け落ち正当化と見出しのついた山崎茂明愛知淑徳大教授の話である。
「図を見やすくするために行った」だけで研究不正ではないと説明しているが、改ざんそのものだ。結論が変わらなければいいという考えは、科学の世界では禁句。

見やすくすることがよいか悪いかは場合による。禁句は大げさである。だいたいインターネットや画像処理はここ二十年ほどで広まつたもので許容度をどこにするかは未確定だつた。そもそも今問題になつてゐるのは悪意があつたかどうかだ。
しかし悪いのはパンフレット会社である。山崎氏は自分の関心のある視点から論じただけなのにパンフレット会社が場違いな場所に載せる。しかしそのことがかすんでしまふほど酷い文章が夕方パンフレットに載ることになる。

四月十二日(土)「中日新聞社は東京パンフレット事務所(自称東京本社)を売却したほうがいい、その二」
夕方に中学教諭、小学生はねるといふ見出しの文章が載つた。文章の途中で「死んじゃうよ」母親 悲鳴といふ小見出しがあり、
「死んじゃうよ。死んじゃうよ」。泣き叫ぶ母親の声が周囲に響いた。

こんなお涙頂戴小説みたいな文章を書いてよいと思つてゐるのか。だいたい被害者のプライバシーはどうなるのか。自動車は凶器である。さう思つて運転しないと事故はなくならない。だから地球温暖化問題と合はせて私は二回運転免許を更新しなかつた。一回目は国内で取得したが更新しなかつた。アメリカに長期出張があり向ふは車がないと生活が困難だから免許を取得し帰国後に日本の免許に書き換へたがこれも更新しなかつた。
東京パンフレット事務所はこんな偽善文章を書かずに自家用車廃止を主張したらどうか。或いは東京パンフレット事務所の勤務者に自動車免許不更新を徹底させたらどうか。あの文章が偽善だつたかどうかこれで判る。(完)


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