五百五十五、医師資格は看護師の昇格と獣医師の相互乗り入れをすべきだ


平成二十六甲午
三月三十日(日)「単線型はよくない」
医師は看護師からの昇格も認めるべきだ。弁護士も法律業務に何年か携はつたら資格を認めるべきだ。資格は能力の劣る者をふるい分けるのが目的なのにいつの間にか特権化した。それを防ぐことが必要である。以上はこれまでも私が主張してきた内容であり目新しいことは何もない。
今回、医師については看護師だけではなく獣医師との相互乗り入れも推奨すべきだとした。私は獣医師について一昨年までまつたく知らなかつた。しかし調べてみると人間の医師に匹敵する資格である。人材の養成を複線化することで特権化を防ぐとともに活性化することができる。

四月一日(火)「獣医師への道」
大学の獣医学科に入学するのは大変である。獣医学科と比べて人間の医学部は大学数が多く上位校から下位校まで幅か広い。勿論広いとはいへ下位校も偏差値は相当に高い。一方で獣医学科は大学数が少ないから偏差値の幅が狭い。そして医学部の下位校よりは高いくらいである。(各大学はそれぞれ特長があり偏差値で一列に並べることは反対だが世間がさういふ判断をするので一応調べてみた。)

四月二日(水)「現役獣医の意見」
インターネットで現役獣医の意見を見つけた。大企業の年収より安く中小企業と同じ程度だが仕事の時間が長く大変だ、公務員の獣医は薬剤師と給料が同程度だが薬剤師は医師の処方したものを渡すだけなの比べて獣医は医師と同じことをする、など書かれてゐた。
開業すれば高収入だが勤めるとそれほどではないといふ話も聞いたことがある。家畜の治療だと治療費もたくさん貰へるが都会の小動物だと治療費は高く貰へないし病気になつても治療しない飼い主も多いといふ書き込みも見つけた。

四月四日(金)「紫色」
或る大学では学科を色分けし獣医学科は紫色である。これについて昔から紫は獣医の色で九州の或る大学は同窓会に紫の字が入り、陸軍の肩章も獣医は紫だつたさうだ。そこで戦前の陸軍について調べた。
衛生部、獣医部など「各部」は将校相当官として「兵科」の少尉に当る三等軍医官、三等獣医から少佐に当る三等軍医正、三等獣医正を経て中将に当る軍医総監、獣医総監まであつた。これは薬剤師も同じで最高位は薬剤総監だつた。昭和十二年に階級が改正になり軍医少尉、獣医少尉、薬剤少尉からそれぞれの中将までになつた。
インターネットで調べると人間はいくらでも補充ができるが(ずいぶん嫌な言ひ方だが)馬は貴重なため軍医より獣医のほうが威張つてゐて、うつかり馬に怪我でもさせたら大変だつたさうだ。尤もこれは獣医と文字通り馬が合はなかつた少尉だつた人のご子息が獣医になり、息子だから気軽に批判したのだらう。馬が銃弾にやられ苦しむので獣医を呼んで安楽死させようと思つたが今までずつと親しんだ馬なのでそのまま最後を看取つたといふ戦記を読んだことがある。
階級を兵科に合はせたことは欠陥でもあり、例へば今日の消費税の原型を嘘をついて言ひ出した中曽根は海軍主計中尉だつたが、あのような男を出さないためにも二等主計のままのほうがよかつた。
薬剤師は昭和五十年辺りまでは調剤であり医師や獣医師と等しく重要な職務だが今は製薬会社が予め固体化するため薬剤師は既得権といふ印象を持つ。

四月五日(土)「日本装蹄畜産高等学校」
戦後の学制改革で日本装蹄畜産高等学校といふ私立の高校が世田谷区の旧陸軍獣医学校の跡地に誕生した。昭和三十一年に普通科を設けて駒場学園高校と名称が変り三十六年後の平成四年に装蹄畜産科の募集を停止した。この学校の歴史は日本の畜産業をよく表す。
装蹄師といふ職業のあることを初めて知つた。蹄鉄(ていてつ)といふ競走馬などの蹄(ひづめ)の磨耗を防ぐ金具を製作し装着する職業である。

四月六日(日)「東京の獣医学校の史跡を訪ねて」
東京には獣医学校の史跡が二つあるがこのままでは消滅してしまふ。といふことで早速尋ねた。
まづは東京獣医学校跡である。明治四十年に恵比寿で開校。関東大震災後はビール工場の敷地になり世田谷の下馬に移転。戦後の昭和二四年に東京獣医畜産大学となつた。しかし経営難で昭和二六年に日本大学農学部(藤沢校舎)と合併。日本大学農獣医学部となつた。同学部は平成八年に生物資源科学部と改称。平成十四年三月末に東京校舎(旧東京獣医学校)を閉鎖。昨年十二月までは旧校舎が残つてゐたが新たに人間総合科学部を発足させるため解体と新設の工事が始まつた。
まづバス停は今でも「日大生物資源科学部」である。新学部が開校するとバス停は変つてしまふだらう。バス通りに面したガードレールに業者が設置した案内図があり日大農獣医学部とあつた。バス通りの他にもう一つ別の場所に校舎があるので訪れると古い校舎が残つてゐた。

次に陸軍獣医学校跡である。今は駒場学園、区立富士中学、団地になつた。駒場学園のグランドの向ひに陸軍と書かれた境界標識がある。 (富士中学のグランド下に陸軍省と書かれた境界標識がもう一つあるがこの日は見つからなかつたので五月三日に再度訪問した)。

四月六日(日)その二「獣医学校の歴史のミステリー」
「私立獣医学校」が設立されたのが明治十四年。今の「日本獣医畜産大学」はこのときを開校としてゐる。八年後に私立獣医学校は閉校となつた。その三年後に「東京獣医学校」と「私立東京獣医学校」が設立された。
前者は明治四四年に日本獣医学校となり昭和十二年に武蔵境に移転、戦後に日本獣医畜産大学になつた。
後者は明治四十年に恵比寿で開校。東京獣医畜産大学(後に日大農学部と合併)はこのときを開校としてゐる。前者がなぜ閉校した学校を開校とし、後者が二校並立の十五年後を開校とするのかミステリーである。
この二校とは別に東京市麻布区に東京獣医講習所が開設されこれが今の麻布大学である。これで首都圏の三つの私立大学獣医学科がそろつた。
国公立では、山口県栽培試験場農事講習会獣医科が山口県山口農学校獣医科などを経て山口大学農学部獣医学科になつたり、大阪獣医学講習所が大阪府立農学校獣医科などを経て大阪府立大学獣医学教室といふ判り易い例もあるが、南岩手郡藪川村外山牧場獣医学舎が岩手県農学校などを経て岩手県立盛岡農業高等学校はミステリーである。今は獣医学科が岩手大学農学部にあるからである。下総種畜場変則獣医科が東京帝国大学農学部実科を経て東京農工大学農学部獣医学科もミステリーである。

私立大学のうち日本獣医畜産大学は経営難から学校法人日本医大に統合され、東京獣医畜産大学は日本大学農学部と合併した。後者の合併については、東京獣医畜産大学は経営難、日大農学部は藤沢校舎で学生が集まらず東京進出を考へたため、両者の目的が一致した結果だが平成十四年に東京校舎は閉鎖された。しかしこれはミステリーではない。かつては蒲田までが東京圏だつたが今では拡大し藤沢も市街地の範囲内になつた。

四月十二日(土)「医師の収入」
かつては普通の民家と並んで医院があり、医師の家は自宅と医院を兼ねたからそれほど広くはなかつた。私が子供のころ住んだ家は四軒長屋で隣が医院だつたからよく知つてゐる。それでも高収入で私が小学低学年のとき西片町の部屋が10くらいある家に引つ越して行つた。引つ越す前に医院は患者が来るのを待つてゐて診察時間にはかなり空き時間があつた。おそらく田舎に行けば今でもこのような光景が見られるはずだ。
都市に人口が集中した結果、都市の医師は多忙になり超高額収入になつた。収入が超高額だから医師を目指す。そんな人が現れてはいけない。現在の医師の業務は医師ではなくてもできるものも多い。予防注射はその一つである。看護師に問診と注射を任せてもよいし獣医師に任せてもよい。
明らかに風邪かインフルエンザかアレルギーで他の病気の可能性は絶対にない。さういふ人は獣医師にも掛かれ健康保険も使へて診察料が医師より少し安い。そんなところから都市部の混雑と医師の超高収入を改善すべきだ。(完)


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