五百三十二、廣松渉氏の著書(その三「マルクスと歴史の現実」2)


平成二十六甲午
二月十四日(金)「第五章第二インターの痙攣(けいれん)、その一」
マルクスの逝去にもかかわらず、思想的には、マルクス主義が国際労働運動の指導的一理念として定着するようになり、一八八九年には、フランス大革命一〇〇周年を記念して、第二インターナショナルが創立されました。

何の根拠もないが私は、マルクスが主流になるのはロシア革命の後だと思つてゐる。本来は当時の欧州の政治運動、労働運動を調べるべきだが、我々にとり重要なのは菅、野田、ニセ労組シロアリ連合に破壊された日本の政治運動と労働運動の再生であり欧州を調べる時間がない。だから廣松氏にさう断言されると半信半疑になる。尤も廣松氏も続けて
第二インターは、ブランキ派の協力を得ながらマルクス派の主導で形成された、という言い方がよくされます。この時点では、第一インターの時代とは左翼の勢力地図が塗り変わっており、バクーニン派はもとより、旧来の形でのプルートン派ももはや存在しなくなっておりました。

しかしアナルコ・サンジカリズムといふ無政府主義がベルギーとラテン系諸国、フェビアン社会主義がイギリス、ゴンバース派がアメリカで活躍してゐたといふ。やはりマルクスは私の予想どおり一つの派である。その一方で第二インターはマルクス派のドイツ社会民主党、フランス労働者党(ゲードやマルクスの次女の夫ラファルグが指導)が中心だから独仏ではマルクスが中心だつたのだらう。ドイツの社会民主党は旧名をドイツ社会主義労働者党と言ひ
一八九七年の秋、ビスマルクの「社会主義者鎮圧法」によって、組織、宣伝、出版の活動を禁止されました。が、帝国議会をはじめとする各種議会の選挙への参加だけは許されておりました。(以下略)
党は着実に得票を伸ばしていき(中略)一八九〇年には社会主義鎮圧法の廃棄をかちとり、同年二月の選挙では、何と一四三万票(二〇パーセント)の得票を誇示して、ビスマルクの失脚を決定的にすることができました。


一八九一年にエルフルトの党大会で新しい綱領を採択し党名をドイツ社会民主党に変更した。

二月十五日(土)「第五章第二インターの痙攣、その二」
エルフルト綱領はマルクス派の若い論客、ベルンシュタインとカウツキーが起草し本文と最小限綱領から成る。本文は(1)ブルジョワ社会の発展は小経営を没落させ、(2)生産性は巨大に成長するがプロレタリアートと没落しつつある中間層は困窮し、(3)プロレタリアの数は増大し失業者の数も増大する、(4)恐慌は大規模かつ破壊的に、(5)生産手段の社会主義的共有によつてのみ解決できる、(6)このような社会変革は全人類の解放を意味するがプロレタリアートのみが達成しうる、(7)この闘争は政治闘争である。政治権力を把握することなく生産手段の共有への移行を完遂できないからである。(8)この闘争に自然必然的目標を与えることが社会民主党の任務、(9)プロレタリアートの利害は国境を越えて同一、(10)新しい階級的特権や特典のためではなく階級そのものの廃絶のため闘う。
廣松氏は
老エンゲルスは、おそらく、この綱領をきわめて複雑な感慨で受け取ったであろうと察せられます。これは余りに教条主義的であり、現に命題(2)のごときは、エンゲルスがせっかくに修訂を提案したにもかかわらず、旧来の教条のままになっている始末です。

私は別の解釈を持つ。エンゲルスとマルクスは完全に同意見と見做されるがそのエンゲルスの忠告を無視できるといふことは、当時はエンゲルスとマルクスのいふことは絶対正しいわけではないと誰もが思つてゐたことを示す。例へばアインシュタインの言つことにも間違ひはある。世の中にアインシュタイン主義者がゐないのと同じで、マルクスやエンゲルの言つたことが正しいのではなく、マルクスやエンゲルスのうち今でも役に立つ部分を使ふべきだ。

マルクスとエンゲルスの著作のうち今、最も役に立つのは労働価値説を学ぶことにより中間層を特権化させないことである。労働価値説が今、世の中に受け入れられないのは化石燃料の発生するエネルギーが原因である。

二月十六日(日)「第五章第二インターの痙攣、その三」
最小限綱領について
完全な普通選挙権と比例代表制。発議権と拒否権を手段としての、人民の直接立法権、地方自治、諸官庁の選挙と責任制。常備軍の廃止と国民軍による代替、戦争および平和の問題に関する人民代表による決定。言論・集会・結社を制限するいっさいの法規の撤廃。公法・私法上で婦人の不利となるあらゆる条項の撤廃。宗教は私事なることの宣言。学校の非宗教性。就業義務制と公費負担。公判費用の無料制、人民によって選出された裁判官による判決、死刑の廃止。医療費の全額公費負担。所得税・財産税の累進課税、間接税の廃止。

これを読むと日本の反社会新聞(自称朝日新聞)や小型反社会新聞(自称毎日新聞)などの主張はこれらの猿真似であることが判る。しかしエルフルト綱領と現代の日本には大きな相違点がある。当時のドイツは普通選挙ではないし閣僚は皇帝が任命し議会のできることは限られてゐた。そのようななかでマルクスの武力革命を基本にしかし唯一認められた議会への立候補として掲げたのがこれらである。

今の日本で注意すべき点が三つある。まづ公法・私法上で婦人の不利となるあらゆる条項の撤廃は日本では既に撤廃されてゐる。今の日本で女性管理職の比率云々の主張はもし企業が女性管理職を増やしたほうが収益が向上すると判断すれば増やす。なぜ企業が判断しないかは男女差別ではなく別の問題点がありいづれ取り上げる予定である。
官庁で女性事務次官や女性局長が誕生したといふニュースがときどき大きく載るがこの記事は間違つてゐる。官庁及び、政府の保護下にある産業は誰が管理職になつても収益に関係がない。厳密に言へば関係がある。昨日の東横線元住吉駅の追突事故はその典型である。本来は武蔵小杉に高層ビルが乱立した。この時点で気象のだういふ影響があるか調べるのが上層部のすべきことだ。ところが事故が起きれば起きたで雪でスリップしたで済まされる。つまり誰が幹部になつても関係がない。テレビ局や新聞社も同じで倒産がない。だからこれらマスコミが官庁に誕生した女性幹部で大騒ぎをしても、多くの国民は無能な女性記者が自分も偉くならうと提灯記事を書いたなといふ冷めた感想を持つ。

宗教は私事なることの宣言。学校の非宗教性はカトリックやプロテスタントの影響の大きい当時のドイツだから掲げたことであつて、今の日本で真似をしてはいけない。公立学校でも釈尊なり孔子なり神社なり十字架なりを入口に掲げて一礼してから学校に入るのがよい。それでは宗教の違ひで遠くの通学区に行かなくてはいけないといふ生徒がでるから国旗を代りに掲げるだけだ。入口に全部掲げて好きなものに一礼してもよい。反社会新聞と小型反社会新聞はそこを勘違ひしてゐる。唯物論の社会、企業、学校ほど恐ろしいものはない。

死刑の廃止はパリコンミューンや三月革命、或いは社会主義者への取締りで多数の死刑者を出したことへの代替案と見るべきだ。殺人犯の扱ひはその国の文化に従はなくてはいけない。日本では殺人犯が刑務所を仮釈放されると多くが同じことをいふさうだ。被害者のエネルギーをもらつたと。日本も将来は死刑を無くすべきだがそれは殺人を無くすことで実行すべきだ。それは無理だと思ふ人は新自由主義者である。少なくとも現在の刑法で死刑判決を受けたにも係はらず死刑を執行すると大騒ぎをしたりあげくは法務大臣を死神呼ばはりする反社会新聞は間違つてゐる。
そればかりではない。これらが労働運動なんだと勘違ひする国民が多く、労働組合は大企業のユニオンショップと一般公務員の反官僚主義意識に発した組合加入を除くと純民間の組織率は限りなく小さい。その原因の一つにこの偽善自由主義思想がある。

二月十六日(日)「第五章第二インターの痙攣、その四」
マルクス・エンゲルスは、四八年革命を総括するなかから五〇年以降、来たるべき革命は恐慌を機縁にしておこるであろうと見込んでおりました。経済恐慌の局面では、プロレタリアや小ブル・農民は生活危機に陥りますので「生きんがため」にも社会革命を志向せざるをえなくなります(以下略)

これである。マルクスとエンゲルスが暴力革命を志向した理由は恐慌の恐ろしさである。日本も無関係ではない。昭和四年に始まつた世界大恐慌では濱口首相狙撃、井上準之助と団琢磨の暗殺、五一五事件と連続した。昭和八年には恐慌前の経済状態に回復したが失業者は四年間何も食べない訳には行かない。生きんがためにテロを肯定するようになる。五一五事件の青年将校に助命嘆願運動が起こり判決は軽いものになつた。
今は金本位制が崩れたため本当の恐慌は来てゐない。その分をアメリカがドル札増刷でいい思ひをしたと言へる。しかしアメリカが債務回収を狙つてグローバルを叫び始めた。今後は恐慌が起きるかも知れない。だから日本国内でグローバルを叫んではいけない。

二月十七日(月)「第五章第二インターの痙攣、その五」
エンゲルス本人は、しかし、一八九一年のエルフルト綱領の時点では、彼自身、迷いに迷っていたというのが実情であったかと思われます。(中略)
---バリケードと市街戦の時代は永久に過ぎ去りました。軍隊が出動すれば抵抗は気違い沙汰になります。それ故、新しい革命の戦術を見出さねばなりません。私は数年来このことを考えつづけてきましたが、まだ心が定まりません。---
一九八一年十一月、彼はラファルグに宛ててこのように書きました。


エンゲルスは一八九五年には次のように書いた。
---国民の代表機関が全権力を掌中に握っているような諸国においては、旧社会が平和的に新社会へと成長していくと考えることができる。フランスやアメリカのような民主的共和国においてはそうである。また、(中略)王家が民意に対して無力であるようなイギリスにおいてはそうである。---

廣松氏によるとドイツは政府がほとんど全能で議会などは実権を持たないといふ。だからフランス、アメリカ、イギリスは平和革命でドイツは暴動による革命だといふのだが、私はこれには反対である。勿論暴動で多数の犠牲者が出ることには反対だが、廣松氏の主張だとフランス、アメリカ、イギリスのような政治を目指すべきだと短絡する人間が多数出る。当ホームページで左翼崩れ、サヨクと批判してきた人達である。それに反対である。
フランス、アメリカ、イギリスが不況でも民主主義を維持できるのは広大な植民地を持つたり(仏、英)、国自身が植民地(米)だからだ。更にフランス、アメリカ、イギリスは議会を通じてプロレタリア政権になつたか。そんな国は一つとしてない。マルクス、エンゲルスの説を発展させて民主主義を賞賛してはいけない。

二月十九日(水)「第五章第二インターの痙攣、その六」
エンゲルスの死後、ベルンシュタインは修正主義の主張を始めた。廣松氏は四つにまとめた。
第一は、議会を通じての平和的革命の路線。(以下略)
第二は、日常的な改良闘争の積極的な意義づけと中間的諸階層に対する積極的な同盟政策。(以下略)
第三に、民族的利害を現実主義的に考慮すべきことの主張。(以下略)
第四に、「常備軍を人民軍に変換」するという方針の転換。(以下略)


私はこのうち二番目と三番目に反対である。中間諸階層のうち個人商店(製造業など商店以外も含まれるが個人事業主といふ言ひ方はIT業界では極めて悪い意味を持つため私は個人商店といふ言ひ方を用いる)は自分の才覚で収入を上げるのだから高収入でもよい。しかし労働者に中間層を認めると特権化する。だから二番目は反対である。
三番目も反対である。私は民族重視と思はれてゐるから三番目に反対することは奇妙に感じるかもしれない。しかし三番目でいふ民族的利害とは資本主義が発展し非欧州地域を植民地にした時点の民族的利害である。私は民族といふ語をほとんど使はないが民族派と思はれるとすればそれは資本主義以前の世界各国が平和に共存した時代を土台にして科学発展を生かすべきだ、つまりはグローバリズムや米英英語圏民族主義に反対するための世界各地全民族主義であるからである。

二月二十日(木)「第六章レーニンの革命路線、その一」
私は長い間レーニンは人格も思想も素晴らしいのだらうと思つてゐた。一つにはスターリンに粛清された多数の幹部とあるときは賛成、あるときは反対で否決されながら共産党(当時はボリシェビキ)を運営してきたからである。トロツキーの著書を調べた後も、トロツキーの同輩といふことでレーニンも同じなのだらうと理解した。しかしレーニンの唯物論と経験批判論を読んでこれでは駄目だと判つた。レーニンは考へが硬直し過ぎである。
そのような前提で「第六章レーニンの革命路線」を読んだが、廣松氏はレーニンを評価してゐる。廣松氏がさういふならレーニンはそれほど悪くないのではないかといふ気にもなる。まづ第五章の最後に第二インタ-の転落のエピソードが載つてゐる。ドイツ社会民主党は選挙で大敗北した。ドイツが海外進出を本格的に開始したからである。
自国の帝国主義的勢力拡大につれて、植民地搾取にもとづく超過利潤のオコボレに或る程度はあずかることができるという客観的構造が現存する以上、(中略)帝国主義イデオロギーに侵され、吸引されるのも栓のないところがありました。

廣松氏はこれを悪しき民族主義と呼んだ。良い民族主義と悪しき民族主義があり、そのうちの悪しき民族主義を批判したと私は理解する。しかし民族主義が悪しきものだと理解する人が今の日本には多い。それは拝米反アジアの国売り(自称読売)、KKK(自称サンケー)、反社会拝米の反日(自称朝日)、小型朝日(自称毎日)、新聞失格東京パンフレット(自称東京新聞)といふ偏向マスコミが原因である。良い民族主義なら問題は無い。しかし民族主義なる語を用いないでも文化を子孫に伝へることは大切で文化を破壊すると生活が不安定になる。これでよい。廣松氏のいふ悪しき民族主義とは悪しき国家主義である。国家の帝国主義的繁栄でおこぼれに与かるからである。第二インターは第七回大会で
大会は、植民地政策を原則的に、いついかなるときにも排撃するものではない。なぜなら、社会主義の体制のもとでも、それは文明の利益に役立ちうるからである。

といふ決議を採択した。そこには西洋の傲慢しかない。廣松氏は
大戦が決定的となるや、第二インターの諸党は先を競うかのように「祖国防衛主義」に固まり、事実上「崩壊」してしまいました。もっとも、偉大な例外を忘れてはなりません。それは言うまでもなくレーニンに指導されたロシア社会民主党の「多数派」(ボリシェヴィキ)です。

として第六章に続く。だとすればレーニンは正しい。

二月二十二日(土)「第六章レーニンの革命路線、その二」
私がマルクスレーニン主義で嫌ひなところは二段階革命論である。まづブルジョア階級と手を組むふりをして封建主義を倒す。次にブルジョア階級を裏切つてこれを倒すといふ部分が不道徳だからである。
ここでマルクスの時代には封建制が崩壊したりパリコミューンの失敗があつた。ブルジョア勢力、プチブルジョア勢力の裏切りもあつたがこれは単純多数決ではプロレタリア階級に負けるといふ読みがブルジョア側にあつたことだらう。だからマルクスが描く構想は結果として二段階になつたのでこれは不道徳ではない。レーニンについて廣松氏はまづ対馬忠行氏の著書を引用して
もしそうだとすれば永続革命構想ならざる「レーニンの二段階革命論」という見方か正しいことになりましょうが、にわかには首肯できません。

と述べる。レーニンがだうだつたかはその後に起きる実際の革命で見るべきだらう。
日本でいへば明治維新がブルジョア革命かだうかではなく、或いは戦後の日本の議会政治が西洋と異なり政権交代できないことを吹聴し猿真似するのではなく今の日本で国民はどこに困りどのようにしたらよいかを考へるべきだ。西洋猿真似の結果、シロアリ民主党といふ醜い連中が現れたことは我々の記憶に新しい。
ベルンシュタイン修正主義の「現実主義的」路線にいよいよ没入している、旧左翼=社民党は、独占資本主義が生み出した「労働貴族層」、小ブル化した上級労働者層を物質的基盤とし、その志向を体現した政党になり下っております。

これは同感である。そして労働貴族とともに日本では議員貴族の弊害が大きい。まともに仕事をしたことのない連中が口先だけで議員になる。だから国民のことを考へず大企業労組の言ひなりになる。

二月二十三日(日)「第七章ロシアで起った革命、第八章ソヴェト政権の経験」
マルクス主義で一番の問題点は無欲になつた人間だけで社会を構成しないと共産主義は達成できないといふことである。プロレタリアートは失ふものがないから革命を達成できるといふ。しかし市街戦で命を落とすかもしれないのに市街戦に参加するだらうか。プロレタリアートも失ふものがあるのである。そのため唯物論があるとしても唯物論は粛清や内ゲバの原因である。
第七章と第八章はロシアでのボリシェビキと他の革命勢力との権力争ひである。だからこの二つの章から得るべきものは何もない。レーニンが亡くなった後はスターリンが他の勢力を次々に滅ぼし独裁者となる。廣松氏は権力争ひといふ生易しいものではなく今後の路線を巡る争ひだつたとするが、私は路線争ひといふ生易しいものではなく権力争ひだつたと思ふ。権力の魔力に共産主義者も負けてしまつた。
文化の伝統を尊重しない限り人間は無欲にはなれないし世の中が不安定になる。これがロシア革命とその後のソ連崩壊から得た教訓である。


(國の獨立と社會主義と民主主義、その九十六)の(二)へ
(國の獨立と社會主義と民主主義、その九十六)の(四)へ

メニューへ戻る 前へ 次へ