五百三十一、1.歩き過ぎで体の具合は悪くなるか、2.子供の自転車旅行


平成二十六甲午
一月九日(木)「歩き過ぎ事件」
私は健脚が唯一(?)の取り柄だが今までに歩き過ぎて体の具合が悪くなつたことが二回ある。五十八歳で二回だから極めて少ないが二回とも食事が影響した。私は耐久力はあるほうなのにである。そして今月四日に食事を食べ過ぎて具合が悪くなる事件が起きた。このときも三十日から二日まで歩いたから歩き過ぎに関係するかも知れない。

一月十日(金)「一回目」
かつて南浦和の実家に行くときJR(新宿-南浦和、290円)を使はずに都バス(新宿-大和町、バスカードで170円相当)で板橋から歩く方法をよく用いた。途中で飲み物(120円)を買ふことがあるから必要経費はどちらも290円である。この経路を採るのは(1)国鉄民営分割時の不当労働行為へ抗議のため不乗車運動、(2)バスカードは便利なので応援するといふ二つの理由であつた。あと江戸時代の旅人の気分で板橋宿から浦和宿まで中山道を歩くといふ理由もあつた。その後、国鉄不当労働行為事件は政治解決しバスカードは廃止になつた。だから今はこの方法はまつたく用いない。
毎回板橋から浦和を歩くと飽きるから、定期券のある丸ノ内線沿線から高円寺まで歩き関東バスと国際興業の共同路線(高円寺-赤羽、バスカードで180円相当)に乗り赤羽から再び歩く方法もあつた。川口市東部の緑川などを調べるためこの方法でしかも元日に年賀状を取りに行くのと実家に戻るのと二回歩いたことがある。このときだと思ふが急に気分が悪くなり寝込んだ。しかし一時間ほど寝たら治つた。

一月十一日(土)「二回目」
二回目は創価学会と大石寺の宗創紛争のあおりを受けて起きた。十二年くらい前に西山本門寺(単立)、下条妙蓮寺(今は日蓮正宗)、大石寺(日蓮正宗)、北山本門寺(日蓮宗)を順番に歩いた。大石寺のはるか手前でお昼になり道端にコンビニがあつた。しかし大石寺には土産物店や食堂がたくさんあるからそこで食べようと先を急いだ。ところが宗創紛争発生後の大石寺は始めてなので驚いた。多くが閉店し廃墟と化した中に少数が営業を続ける。大石寺側であることを示す旗を店先に掲げてゐる。私は学会と宗門の一方に味方するものではないがそれを見て食堂に入る気にならなかつた。隣近所の廃業を尻目に自分たちだけ営業を続けようといふその姿勢が不愉快だつた。
大石寺から北山に行く途中にもコンビニはあるだらう。さう思つて歩いたが無かつた。北山本門寺を散策の後にバス停の向ひにドラッグストアがあるので菓子類を買つてバス停で立ちながら食べた。そしてバスに乗り身延線に乗り横浜に帰つた。家に着いた後で急に具合が悪くなりしかし一時間ほど寝たら治つた。

一月十二日(日)「三回目」
三回目はつい先日に起きた。一月二日は朝と昼におせち料理を食べ過ぎた。しかも昼前にゲームセンターでまめぶも食べた。三日は朝は普通、昼にご飯とそばを食べた。三日の夜は普通に食べた。つまり三日夜までは何の異変もなかつた。
四日の朝はずいぶん眠かつた。寝不足ではないので今思へば不思議だが夜中に寒いか湿度が低くて寝不足なのだらうと考へた。朝はおなかが空いてはゐなかつたが普通に食べた。昼もおなかは空いてゐなかつたが普通に食べた。異変が起きたのはその後である。お腹かがやたらと張つた。運動不足が原因かと思ひ図書館に行つた。少し本を読んだがやはりおなかが張る。だから早めに家に帰つた。夜は食べずに寝た。翌朝も以上に眠かつた。朝食も抜いた。昼に少し食べた。夜も少し食べた。これで回復した。

一月十二日(日)その二「原因」
私は歩くのが速いから長時間歩くとブドウ糖の消費量が極めて多い。だから一回目と二回目に具合が悪くなつたのは血中のブドウ糖欠乏が原因だと思ふ。
三回目は食べすぎで腸の働きが間に合はず胃まで空腹を感じなくなつたのだらう。一方で眠くなつたことを含めて検索すると、自律神経が失調になつたのではないかと思ふ。三十日は新宿から高田馬場までと蕨から南浦和。この日は合計六粁(キロメートル)だから大した距離ではない。翌日は高沼用水往復で二十粁、元日は見沼代用水西縁を高沼用水分水口まで三十粁、二日は武蔵浦和近辺と鶯谷駅で降りて墓参ののち上野駅前からアメ横まで歩き二十粁。結局は四日間で七十六粁だつた。一日当りだと大した距離ではないが寒い中を歩きその翌日は一日中家でパソコンを操作した。この急変が自律神経を失調させたのかも知れない。

一月十三日(月)「子供の自転車旅行」
昨年の年末は下の子供が級友七人で山梨県道志村まで自転車旅行をした。距離を調べると片道七十粁である。私も自宅(当時は上野の近く)から二子橋を経由して多摩川サイクリングコースの終点の稲田提まで往復七十粁を走つたことが十回近くある。
一回は帰路に世田谷で自転車がパンクして日曜で自転車やがどこにあるか判らないから降りて押して帰つたことがある。日曜の夜八時からの大河ドラマに間に合ふか気になつたが渋谷に午後四時に着いて間に合ふと確信した。昔渋谷から隅田町までの都電があつた。一路線が概ね十粁だから上野までもそれくらいである。
一回は帰路に強い逆風が吹き自転車がほとんど進まなくなつた。それでもがんばつて上野まで帰つた。
だから粁程では驚かない。しかし山梨県は上り坂だから驚いた。

一月十五日(水)「地元産業の振興を」
でこぼこ道で空気が少ないとパンクし易い。特にここ二十年ほどその傾向にある。だから行く前に空気をいつぱいに入れるよう注意した。安い自転車はタイヤチューブがはさまれやすいのかも知れない。昭和四十年代はガラスや金属を踏む以外にパンクはあり得なかつた。
携帯メールで七人のうち誰かがパンクして到着が遅れるといふ連絡があつた。勿論出発前に注意したからうちの子供ではないだらう。帰宅後に聞くと、うちともう一人だつた。うちは金属を踏みしかし自転車屋があり修理した。もう一人は自転車屋が無くしかしそば屋さんが更に行つた先で宿泊する間に自転車屋で修理をしてくれてしかもその間の自転車を貸してくれたさうだ。地元の暖かさを感じた。
宿泊先はバンガローだつたが現地は雪が降つたためバンガローと民宿と両方を経営してゐるため民宿に安いバンガロー料金で泊めてくれたさうだ。山梨県は東京の怪しげな新自由主義勢力と違つて心が温かい。シロアリ民主党と自民党内新自由主義派は撲滅しないと日本が崩壊する。(完)


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