二千九百十四(うた)行動日記(朝焼け、急に涼しく、UR都市機構展示館)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
九月十一日(木)
今朝目が覚めたときは、或る程度の強い雨だった。外はまだ暗い。その後、台所調理台の窓全体がだいだい色に輝いた。裏の家の室内照明だらうかと思った。暫くして玄関を観ると、同じだいだい色だ。そして朝焼けだと気付いた。
朝焼けの日は雨、と昔から云はれるが、昼間は晴れだった。洗濯物を室内に干したが徒労に終はった、と云ふほど大袈裟ではない。
室内に洗濯物を干す手間は外と比べて僅差で多し


九月十二日(金)
昨夜から、急に涼しくなった。これで地球温暖化が少し和らいだ、と喜ぶのは早い。天気図を見ると、秋雨前線が南下しただけだった。
---------------------------ここから「和歌論」(二百六十八)------------------------
昨夜から涼しくなるは温暖化軟化に非ず前線にあり

掛詞は嫌ひなので、南下と軟化の統一はしなかった。「昨夜から涼しくなるは温暖化軟化に非ず寒気の南下」は、四句までと五句目が独立しないので同音繰り返しの序詞にならない。そこで、前線の南下を連想させる作りにした。
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---------------------------ここまで「和歌論」(二百六十八)------------------------

九月十三日(土)
UR都市機構の展示館へ行った。昔あった星型の団地をレゴで作ったものを展示してゐるといふ、昭和四十年代都電愛好仲間からの情報だった。展示館は予約制だが、本日と15日のみ自由見学だ。そこで出掛けた。
昭和初期の同潤会アパート。これは高校生まで住んだ根津の家と台所がそっくりで、懐かしかった。床は木の板。ガス器具。

 
昭和初期の台所                   別の角度から

戦後は、椅子で食事。その後、食寝分離も出てきた。風呂は、銭湯へ行ったので我が家には無かったが、親戚の家で一度木製の風呂に入ったことがあり、懐かしかった。窓の台に、当時の和式を団地に当てはめた工夫を感じた。

 
昭和四十年辺りまでの風呂              窓


銭湯が普通の世にも 団地には各家ごとに風呂があり 先端を行く中流の家

反歌  木製の風呂に入るは一度のみそれでも思ふ懐かしさかな
昭和の時代には、公団住宅に下限の所得制限があり、公営住宅に上限の所得制限があった。公団住宅に住めるのは、中流だった。(終)

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