五百二、労働組合活動日誌
平成25年
十一月十日(日)「株主総会、定期大会、年次総会」
昨日は労組の定期大会があつた。株主総会、定期大会、年次総会といつた種類の会議は多いが日本では有効に機能してゐない。大会自体が目的と化してゐるからだ。本当は大会で決めたことを一年間掛けて実行しなくてはいけない。
さう思つたから閉会の挨拶では、労組が忙しくなるのは大会が終つた次の日から来年の定期大会の二週間前までで、我々は議案書に書かれた難しい内容を実行しなくてはいけないと話した。
十一月十日(日)その二「懇親会」
今回は他の行事と日にちが重なつて挨拶だけして退席される来賓が多かつた。そのため懇親会に来られたのは二名だけだつた。うち一人は産経新聞社を解雇され最高裁で敗訴してもまだ会社と闘ひ続けるMさんである。本も出版したしその熱意は労働運動者の鑑である。四年前に労組が分裂して以来、うちの組合に来られるやうになつたが、私はその前から国鉄争議団の団結まつりで何回かお会ひし書籍も購入してゐた。
もう一人は神奈川の個人加盟労組の副委員長で在日韓国人のKさんである。委員長はうちの組合で毎年面白い話をするので有名だが、副委員長を知つてゐるのは私だけなので、隣の席で話をしつつ他の人にも話をつなげ橋渡しができてよかつた。Kさんの労組は外国人の相談が多く、かつては韓国人が多かつたが今はブラジル、ペルー、フィリピンが多いさうだ。曜日を決めて通訳ボランティアがゐるが同組合のホームページを見ると、スペイン語、ポルトガル語、タガログ語のボランティア募集のページに
報酬は、外国人労働者の笑顔だけです。語学のブラッシュアップが目的でもかまいませんので、興味のある方は、メールして下さい。
とある。これはよい文である。我々は労働組合なのだから皆が力を合せて労働争議を解決すべきだ。あと、何でも英語で解決しようといふ雰囲気が日本の偏向新聞にある。英語は世界共通だの英語を話せないのは日本人だけだのと出鱈目な記事を書きまくる。実際には英語は観光業者など一部の人が使ふに過ぎない。
京浜工業地帯の真ん中に位置するので工場で働く人が多いのかと思つたが、プラント系は少なく自動車が多いさうだ。以上とても有意義なお話を伺へてよかつた。
十一月十一日(月)「男と女」
あともう一つ有意義な話があつた。男の組合員は職場と自宅を往復し仲間うちで話をするだけなので何年ゐても日本語を話せないさうだ。それに対して女の組合員は買ひ物などがあるため日本語を話せるやうになるさうだ。
これは我々にも当てはまる。男は職場と自宅を往復するだけの人が多い。かつては違つた。自営業が殆どだから職場が即地域であつた。その不均衡がモーレツサラリーマンや過労死を生み、厖大な国際収支の黒字を生みプラザ合意で円高になつて国内産業に被害を齎す。国内のすべての人が生活できる長期戦略が必要である。経済成長では最早駄目である。
十一月十四日(木)「押しかけ専従」
労組の騒動は専従の争ひから始まる。これは労働組合でよく言はれる言葉である。
十一月十五日(金)「厚労省前行動」
昨日は厚労省前で全労連、全労協、中小政策ネットなどが共同で派遣法改悪反対の演説とビラ配りを行つた。毎週のやうに行ふが今回は特別動員を掛けるといふことで私は午前半日休暇を取り参加した。
東京地評の宣伝カーと中小ネットの宣伝カーが厚労省前に並び、東京地評側が全労連、中小ネット側が全労協及びうちのやうに無所属になつた。
全労連、全労協その他が交互に演説し、その中で下町ユニオンの演説が唯一力強くよかつた。実はああいふ演説は私にはできないといふかやつたことがない。労組の場合は普通に話しては駄目でああいふ演説を私も練習する必要がある。
集会が終つたのち全労連は別の集会を引き続き行つた。そこで公務員労組から消費税反対の声が出た。これはよいことだ。ニセ労組シロアリ聯合のやうに大企業労組と公務員が組んで、国民の犠牲の上で自分たちだけいい思ひをしようといふ連中には反対しなくてはいけない。
全労連の演説を聴きながら我々は流れ解散になつた。私は憲政記念館と国会図書館に向かつた。途中国土交通省の横で別の労組集会に出会つた。交通労連といふ自動車運転手の組合が厚労省に要請行動してゐるやうだつた。交通労連はニセ労組シロアリ聯合の加盟だが海員組合と同じで個人加盟にすれば変質しなくて済む筈だ。本来は新運転(新産別運転者労働組合)みたいな活動を目指すべきだ。さうしないと採用権を会社に握られる。
十一月十五日(金)その二「憲政記念館」
憲政記念館では「戦後日本の再出発 特別展」を六日から二十九日まで開催してゐた。まづビデオを観た。本来は首相になるはずの鳩山一郎が公職追放で吉田茂が首相になつた。その吉田もGHQ民政局と不仲になつたが乗り切つた。日本の民主主義は最初から歪んだものだつた。
片山哲は漢詩愛好家だつた。この時代はすべての人がアジア人だつた。昭和四十年代までの南アフリカ名誉白人、或いは昭和五十五年に始まつた先進国首脳会議のアジア唯一の参加国。日本はだうも欧米と同じ扱ひをされることを喜ぶ人間が多い。しかしこの時代はXX教徒の片山も漢詩愛好家だつた。ここは重用である。
十一月十六日(土)「団体交渉」
昨夜は組合員の団体交渉に参加した。大手私鉄の子会社である。団体交渉はとかく弁護士が会社側の一切を取り仕切ることが多い。しかし労使交渉だから双方の代表が交渉すべきでそのためにかつては労務課があつた。日本の労働運動は極めて低調でしかも一社一組合のところが多いから労務課は暇である。そこで人事課に吸収された。
弁護士は出席してもよいが主導権は人事担当に取らせる。ここが組合のまづ獲得すべき事項かも知れない。
十一月十七日(日)「民社党分裂前の社会党を模範に」
米ソの冷戦が終結した後は右派、左派の分類は意味がない。しかし此の分類は便利だから一時的に使用するとうちの組合は左派と右派が共存できてゐる。石原前都知事の尖閣諸島購入基金に応募した五役がゐる一方で三里塚闘争時代の仲間と今でも活動する執行委員もゐる。民社党分離前の社会党が模範である。民社党には天池元同盟会長、塚本元委員長など自民党より右の発言をする人も多かつた。
しかし社会党の真似をしてはいけない点もある。派閥争ひがひどかつた。派閥争ひといふより党外組織の介入かも知れない。一番の介入は欧米ソ連中国である。向ふが介入しなくてもこちらが真似をした。今は冷戦が終結したからその心配はない。うちは小さな労組だから外部の介入はない。社会党には国会議員といふ利権、大労組はカネといふ利権があるから外部も介入するのだらう。
うちの労組はかつて全労協に属したが当時の書記長がトラブルを起こして脱退した。分裂前の組合で不満だつたのは解雇者を解決金で円満解決する方法が多かつたことだ。勿論本人が元の会社には戻りたくないならそれは一つの方法である。しかし労組の役割は労働条件の改善と企業を内側からチェックすることであり退職条件のかさ上げではない。今の会社でがんばりブラック企業を改善させよう。さういふ使命観を持つ人が多くならないといけない。さうならないのは全労協脱退が原因ではないか。私はいまでもさう思つてゐる。
十一月十九日(火)「拝米がいけない理由」
分裂前の書記長が、アメリカと中国を比べるとアメリカのほうが民主主義だからアメリカと組むべきだ。そのようなことを私に向かつて批判めいて言つた。私は組合では労働問題と関係のない政治発言はしないから私のホームページを見て言つたのだらう。この書記長は全労協を脱退した後は地域労組のネットワークに加盟した。そのころ「俺は共産主義を捨てた」とも宣言した。ネットワークを連合の産別に改変しようとしたが反対が多く、有志組合だけで連合の産別を作り二重加盟になつた。
今は冷戦時代ではないから米ソ中の対立はない。中国は資本主義経済だからアメリカに魅力を感じるのであらう。しかしアメリカは広大な土地に比べて極めて人口が少なく、それでゐて一人当たりの化石燃料消費は厖大でしかも移民を受け入れるため先進国で唯一人口増加率が高い。つまり地球温暖化の大半はアメリカの責任である。
しかもアメリカは自分のやり方を世界に押し付け、その発言力は世界の人口比に反してゐる。軍事力を背景にしてゐるからである。つまりアメリカは国際社会では民主主義ではない。アメリカ政府の代理人と化した船橋洋一が英語公用語を唱へたことと、その後も色々な人間が入れ替はり立ち替はり小学生に英語だ大学で英語の授業だと繰り返すことに注目すべきだ。米ソ冷戦が終結の後はアメリカは日本文化破壊に戦略を変へたと見るべきだ。
左翼崩れの人は社会建設は捨てて唯物論だけを保持するから文化に関心が薄い。文化を破壊すると国民の生活が不安定になることに気が付かない。阮愛国とも名乗つたホーチミンを見習ふべきだ。独立は尊い。
十一月二十一日(木)「右派と左派は矛盾しない」
五年前まで定期大会で役員立候補のときに「民族派も一人ゐたほうがよいので」と挨拶する名物執行委員がゐた。その後、組合を引退したが応援で臨時公務員系組合の執行委員は続けて全労協の日比谷メーデーに参加した。右派と左派は矛盾しないし、そもそも先日述べたように右派と左派を分けること自体が冷戦終結後は必要がない。
今年の四月から九月までNHKで「あまちゃん」といふ朝のテレビ小説があり、大変な人気だつた。その理由は成功物語だつたからだ。海女で成功し潮騒のメモリーズで成功し映画で成功し海女カフェ再建で成功した。翻つて日本の労働運動は昭和五十年以降負け続きである。だから人気がない。成功させるためには旧右派に支持層を広げるべきだが、日本の労働運動はそれができない。社会党が分裂する以前はできてゐたのだからできないはずがない。右派とは旧民社党の人たちを見れば判るように右翼といつてもよい。
ところが社民党と大労組は大江建三郎や落合恵子など多くの国民が逃げる人とばかり組む。私は新聞の洗脳効果だと思ふ。反日(自称朝日)、小型朝日(自称毎日)、ニセ新聞東京パンフレットが、社会党と労組を民族独立路線から拝西洋路線に変へようと偏向記事を戦後一貫して流し続けた。その結果である。しかし冷戦が終結したのだから、この路線を採る必要はない。
十一月二十二日(金)「採用すべき路線と採つてはいけない路線」
採用すべき路線は共同主義、社会再生、生活の安定である。採用してはいけない路線はリベラル、個人主義、社会破壊である。労働組合は共同体だから前者を採用すべきは当然だが、偏向新聞の影響や大労組の目的喪失で間違つた方向に向かつた。大労組は既得権を守りたい。さういふところは労組を解散しなくてはいけないのだ。ところが維持するから世の中を変へずそれでゐて進歩的に見へることを始める。そして国民から見捨てられた。
十一月二十三日(土)「空港反対運動」
---(五百四 成田門前町と香取郡の話題と共通)---
私は空港反対運動に参加したことはない。しかし一回参加しエコロジーの側から空港を廃港にする方法を考へたいものである。うちの労組の副委員長と執行委員一人が空港反対運動に関係した。まづ執行委員にいつしよに行こうと声を掛けたが体の具合が悪いと逃げられた。副委員長に声を掛けようと思つた矢先、副委員長も病気になつた。あともう一人、学生運動系の執行委員がゐたが定年後の再就職で組合と疎遠になつた。
三里塚闘争の評価すべきは農民と連帯したことにある。農民生活から学ぶべき点は多い。当時の日本の左翼は民族解放戦線と三里塚の農民連帯で唯物論を克服した。
十一月二十四日(日)「旧右派と旧左派」
在職組合員を副委員長に一名増やさうといふ話があり、候補は二名に絞られた。うちBさんは昨日紹介した空港反対運動にいつしよに行かうと声を掛けたのに逃げられたといふ人で最近体の具合が悪い。まう一人のCさんは旧左派とは無関係である。Bさんは原発反対で福島まで行つたり奨学金返済不能者救済運動に参加したり熱心である。しかし最近体の具合が悪いから私はCさんが良いのではないですかと答へ、他からも異論は出ず決まつた。旧左派性に欠けると私利私欲に走ることがあるが、Cさんなら信頼できるから大丈夫である。
もちろんBさんも信頼できる。うちにはゐないがよその組合の旧左派の人たちのなかには信頼に欠けることがある。数年前交流会でよその組合の人たちが内輪もめの話を延々としたためうちの組合では旧左派の印象が極めて悪くなつた。その人たちが悪いのではなく他の派閥の人たちが多数でごり押しをしたといふ話なので、その人たちは被害者である。しかしうちの組合は内紛とは無関係のため印象が悪くなつてしまひ残念だつた。
十一月二十四日(日)その二「旧左派は信義の回復を」
副委員長Aさんが主催する兆民倶楽部といふ読書会が七月まであつた。その後Aさんの病気で休止になつた。私は毎回参加し一般組合員のほかAさんの学生運動時代の仲間も参加し、そのなかから友誼組合員になつてくれる人もゐてなかなかよかつた。
あるとき誰かが「王党派と組んで政権を取りその後、王党派を倒せばよい」と冗談に言つた。我々は政治団体ではないし政権を取る可能性もないから100%冗談だと判る。判るがさういふことを考へては絶対に駄目である。まづそれをやつたのがポルポトである。カンボジアはベトナム戦争の派生でありベトナムより劣化する。そして重用なことだがあれ以降共産主義は世界から信頼されなくなつた。あのとき王党派が多数の人員を供給したのだから政治も王党派を多数にしなくてはいけなかった。
共産主義の唯物論は昭和四十年代までの肉体労働中心の社会では意味があつたし、その前提で私利私欲を防ぐ意味がある。またマルクスの時代は社会と道徳が崩壊したから意味があつた。しかし今はどれにも当てはまらない。そればかりか思考は脳髄の働きだと言ひ切ると他人を裏切ることも殺害することも平気になる。旧左派は信義の回復が必須である。
しかし私の経験では旧左派の人は信頼できる。民族主義者も信頼できる。しかし特定のセクトに入つてゐると駄目かも知れない。ここで旧左派と呼んだのは左翼崩れのことではない。米ソ冷戦が終結したから左翼も右翼もない。これを旧左派、民族主義者と良い意味で呼称した。
十二月二日(月)「神奈川県労委」
先日神奈川県労委に夕方行つた。組合員の県労委あつせんである。試用期間満了による不当解雇である。試用期間は自由に解雇できると経営側は錯覚する人が多い。試用期間でも理由なく解雇できるものではない。今回の場合は入社した後で戻つてきた社長の親戚が当該者を嫌つて解雇したとしか思へない。
今から二十五年前の話だが東京都立川労政事務所の人から「本当の試用期間は二週間で、六ヵ月といふのは長すぎる」と言はれたことがある。この方は社会党員で当時のまだ労資対決の良き時代の話である。この当時は労政事務所に熱心な方が多かつた。
神奈川は工場が多いので県労委は東京と比べて熱心である。経営側参与委員が失業手当をもらつたのだから和解額は安くてよいみたいな言ひ方をするから、将来万が一また失業保険をもらふことになつたとき被保険者期間が短くなるから必ずしも労働者の利益にはならないと反論した。夕方から始まつたあつせんは長引き三時間近くかかつて一回目を終了した。(完)
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