html> ニセ新聞東京パンフレット批判10(「『昔はよかつた』は幻想」の誤り)


五百一、ニセ新聞東京パンフレット批判10(「『昔はよかつた』は幻想」の誤り)


平成25年
十一月四日(月)「一面の偏向見出し」
ニセ新聞東京パンフレットの一面に「『昔はよかつた』は幻想」といふ見出しが載つた。例によつてこの行の前後だけ肌色の見出しを附けて目立つようにしてある。一面でカラーで印刷されたのは冩眞、繪、記號を除けばここと「ワールド經濟ウォッチ」だけである。しかも「ワールド經濟ウォッチ」は寒色系だから、暖色系の「『昔はよかつた』は幻想」だけが目立つ仕組みになつてゐる。ここだけを見てニセ新聞の意圖は判つた。
ちなみに私は昔はよかつたとは思つてはゐない。どの時代でも庶民は精一杯生きてきたのであり、特定の時代が良いといふことはない。ただしニセ新聞東京パンフレットのこれまでの偏向からすると今がよくて昔は惡い。特にアメリカのおかげで今はよい。丸山眞男ばりにさう讀者を洗腦する意圖だとすぐ判る。
なほこれらの問題とは別に今は人類史上一番惡い。これまで人類は地球を滅亡させることはなかつたが、今まさに地球は多數の生物を卷き添へに滅亡しようとしてゐるからだ。

十一月四日(月)その二「この程度の内容でなぜ大騒ぎする」
本文を論じる前に、今囘は取るに足らない内容である。それを一面の温暖色の操作で目立つようにした。その惡質さを非難するために採り上げた。それではさつそく本文を見てみよう。
ああ日本人は駄目になつた。電車で化粧の女、席を讓らぬ若造、公共の場を汚す者ども。多發する犯罪にこどもの虐待。戰前の日本の道徳はもはや失われた-とお歎きの方にお傳えしたい。そうしたことは戰前にもあつたのだ。そのごく一部を本書から紹介しよう。
▽列車で化粧どころか裸で着替る者、放尿する者さえいた。新聞には「今の若者は席を讓らない」との投書が多數。

今が駄目だと言ふ人は決して昔の新聞の記事と今を比べて今が惡くなつたと言つてゐるのではない。本人が目で見た五十年前、四十年前と今を比べて言つてゐるのだ。私は五十年前は八歳だからよく判らない。しかし四十年前と比べても明らかに惡くなつた。
逆によくなつたこともある。昔は電車が驛に到着すると下りる人はそつちのけで皆がわれ先に扉に殺到したものだつた。今はきちんと竝ぶようになつた。尤も地域性もあるらしい。東京は竝ぶが大阪は特におばさんを中心にわれ先に乘るといふ話を聞いたことがある。先週上海に行つて地下鐵が驛に着くと降りる人を押しのけて皆がわれ先に乘るので昭和四十年の日本と同じだと苦笑した。しかし全體では明らかに惡くなつた。
列車で着替へる者がゐると言つても周りの状況との調和が重要だ。昔は冷房がなかつた。長距離列車の四人掛け席は小さな我が家である。着替へる人がゐても不思議ではない。清潔な車内で放尿したら大問題である。汚い車内で放尿しても逆にごみが洗い流されてきれいになるくらいである。昔の人は立小便に罪惡感を持たなかつた。私が二十代のころ或る宗派の總本山の駐車場に到着するや、人格も立派だし講中の役員もされてゐる老人が立小便をしたので驚いたことがある。
なんでこんな表面しか見ない駄本と、それをわざと目立つように操作して紹介するニセ新聞パンフレットがあるのか。今囘から新聞失格東京パンフレットといふ表現を止めてニセ新聞東京パンフレットにした。あまりに讀者をバカにするからである。

十一月六日(水)「私とこの本はそれほど主張は變らない」
若者が席を讓らないといふ投書がその時代に載つたといふことは、それが異常事態だからだ。今は席を讓らなくても誰も投書しない。その理由は優先席なるものができたためだ。なぜ優先席が必要になつたかといへば人間が社會性を失つたからだ。なぜ失つたかと言へば一つには商賣が會社化して地域社會が崩壞したことと西洋の一面だけを眞似するからだ。西洋は一面では個人主義だが別の面から見れば社會的である。日本の偏向マスコミ特に反日(自稱朝日)はそこに氣が附かず丸山眞男ばりに表面だけ西洋化しようとする。そこまで見ないと駄目だ。
いま政治家やメディアがしきりに傳える戰前のいいイメージ、『昔の人は我慢強く、禮儀正しく、人間的にしつかりしていた』というイメージが私には疑問でした

これは私も同意見である。私とこの本の主張はそれほど變る譯ではない。ところがニセ新聞に載ると途端に偏向記事になつてしまう。宮崎監督の紹介記事の前例がある。

十一月八日(金)「世の中は確實に惡くなつた」
昭和、平成を振り返ると昭和三十年代が一番よかつたのではないか。戰前と戰後が調和し中庸の時代だつた。戰前の寒い時代を戰後の暖房で加熱したようなものである。しかし室温が適温になつたのに昭和四十年以降更に暖房を續けた。その結果社會が破壞された。
昭和五十年からの國際收支大幅黒字で社會は更に惡化しプラザ合意で基礎經濟まで破壞された。
新聞記事は特殊なことしか書かない。そんなことも判らず今は惡くないといふ取るに足らない本と、それを無理やり目立つよう紙面操作したニセ新聞。これが今囘の結論である。(完)

第二部
十一月十日(日)「どこが惡くなつたか」
ニセ新聞東京パンフレットの記事は餘りに惡質だから、一旦終了したが復活させる事にした。特定の時代が惡いといふことはないが、勿論先の戰爭の前後は極めて惡い。戰爭や内戰自體が(一)戰國時代、(二)江戸時代末期以降昭和二十年までを除いて稀だし、敗戰に至つては日本史上初めてである。
敗戰の混亂が終了した昭和二十年代後半から今に至るまでを一つの時代と考へた場合に昭和三十年代が一番良かつたのは、先日述べたやうに戰前と戰後の偏向が打ち消しあつた結果ではあるが、此れ以外にも二つの理由がある。一つは所得倍増計劃の前であり、もう一つは戰後の體制が墮落する以前だからである。

十一月十五日(金)「昭和四十九年からの經常黒字とプラザ合意」
日本が完全に惡くなつたのは昭和四十九年からの經常黒字とプラザ合意である。プラザ合意のときの總理大臣は中曾根、大藏大臣は竹下だが二人だけを責める譯には行かない。經常黒字を放置した歴代政治屋の責任である。
プラザ合意で日本人全體が成り金になつた。海外に安く行けるから西洋かぶれが急増した。それまで西洋トイレはどちら向きに坐ればよいかが笑ひ話になつたくらゐだが西洋トイレに慣れた人が増へて普及した。西洋トイレは便利だからよいが失つたものも多い。
海外旅行が増へればその分の國内旅行が減る。旅館、遊園地、地方鐵道は廢業が相次いだ。農業、製造業も廢業が相次いだ。地元産業の衰頽である。

十一月十六日(土)「總評と社會黨の解體」
國内のストライキの件數に就いて二つのデータがある。一つ目は厚勞省の勞働爭議統計調査で昭和四十九年の5197件をピークに減少し3年後には1707件、その後も減少を續け平成二十二年には38件になつた。
二つ目は日經新聞平成二四年十一月十七日號で國内のストライキ件數は昭和四十九年の9500件をピーク、五十六年の7000件を第二のピークに六十年までは4000件前後を保つたが六十一年に激減し一昨年は57件だつた。
一つ目は半日以上のストライキだから二つ目より件數が少ない。しかしもう一つ重大な違ひがある。一つ目は昭和四十九年(西暦1974年)以降減少を續けるのに對し二つ目は昭和六十年(1985年)までは件數を保ち六十一年(1986年)に激減したことだ。
一つ目の數値だけ見た人は、公勞協のスト權ストの敗北、ベトナム戰爭の終結、カンボジアのポルポト事件が原因だと思ふことだらう。私も最初はさう思つた。しかし當時の實感と何か異なる。インターネットで檢索を續けた結果、二つ目の數値を得た。
ここに昔の新聞を表面的に讀む恐さがある。私は丁度このころ富士通勞組といふ連合結成の中心組合の一つ(全民勞協議長が電機勞連東芝勞組の竪山、電機勞連委員長は富士通勞組の藁科)だつたからよく判る。電機勞連は沖電氣爭議で勞組とは無縁の人を含めて國民全體の非難を受けた。中立勞連だつたから總評と一緒にメーデーをやつて總評の實情も判る。金屬勞協にも加盟だつたから同盟のことも判る。私は個人で「勞働情報」といふ總評左派の雜誌も講讀したから總評三顧問も判つた。土曜に埼玉縣立圖書館で赤旗も缺かさず讀んだから統一勞組懇のことも判つた。だから二つ目が正しいと實感で判つた。

十一月十七日(日)「庶民の街の解體」
都市に於てかつては庶民は下町、金持ちは山の手と分かれて住んでゐた。ところが今は下町が機能しなくなつた。その理由は中間層が多數になつたためだ。これは總評の解體で勞働運動が変質したためでもある。必要なところに勞組がなく不要なところにある。だから平衡作用が働かない。
これ以外に都市部の増大で下町地域がマンションになり上流層が流れ込んだことと庶民の街でも自營業の餘地が少なくなつたこともある。庶民の街が解體された。ここ五十年で世の中は確實に惡くなつた。經濟成長により世の中が悪くなつたとしても良くなつたと錯覚してしまふ分を除けばその十倍は惡くなつた。それなのに「『昔はよかつた』は幻想」といふ出鱈目な書籍を紹介するニセ新聞東京パンフレットには呆れる。

十一月十八日(月)「戰前を生きた人は戰前を批判しなかつた」
私は昭和三十一年の生まれだから戰前戰中のことは知らない。しかし戰前生まれの人が戰前を批判しなかつたのはなぜだらうと疑問に思つた。戰前は世界恐慌から五・一五事件、二・二六事件、日華事變、第二次世界大戰と混亂續きだつたから戰前を批判してもよい筈だ。だからと言つて昔がよかつたとひふ意見でもなかつた。
昭和二十年代は勞働運動や社會主義運動がさかんだつたが、これは現體制への批判、つまり戰後批判である。その後昭和が平成に變る邊りから昔はよかつたといふ主張が出て來た。
昭和五十年以降の國際收支の黒字と昭和六十年のプラザ合意が國内を破壞した。だから世の中が惡くなつたのは事實だが、日本はマスコミが貧弱な上に特權階級化して既得權派になりしかも拜米工作を受けてゐるからそこまで主張できない。それどころか自由だ民主主義だと見當違ひの主張をする。既に自由と民主主義は達成されたのだから更に主張すると新自由主義になる。そんなことにも氣が附かない。だから本當は昭和三十年代、四十年代が良いのに戰前が良かつたと短絡する人が出るかも知れない。(完)


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