四百六十五、あまちゃん人気の勢ひで三陸縦貫線(石巻-八戸)を復活させよう


平成25年
八月八日(木)「大地震の前までは」
NHKのテレビ小説「あまちゃん」で春子が家出した日は三陸鉄道が開通した日だつた。なぜ皆が喜んだのか。それは仙台から八戸まで三陸海岸に沿つて線路が繋がつたからだ。だから東北大地震の前までは、夏の臨時列車で仙台から八戸まで直通する列車もあつた。
しかし大震災から二年五箇月。鉄道は柳津-気仙沼-盛、吉浜-釜石-宮古、田野原-小本の三個所で切断されてゐる。このうち釜石-宮古、田野原-小本の二箇所は三陸鉄道の経営だから国の補助金で来年までに復旧する。しかし柳津-気仙沼、釜石-宮古の二箇所はJR東日本の経営でこのまま放置するとバスになつてしまふ。JR東日本は会社が黒字だから補助金が出ないためである。

八月九日(金)「三陸縦貫線」
八戸から仙台までは八戸線、三陸鉄道北リアス線、山田線、三陸鉄道南リアス線、大船渡線、気仙沼線などで構成されるが、複雑だから三陸縦貫線と呼ばれることがある。しかしこのままではJRの不通区間がバスになつて縦貫しなくなつてしまふ。

第二段階で盛から気仙沼までも三陸鉄道に移す。これで気仙沼で乗り換へて一ノ関に出られる。第二段階の半分の区間は宮城県内だが、利点があるのは岩手県である。宮城県には三陸鉄道に多少出資させる程度で済ませることも可能だ。

八月十一日(日)「気仙沼以南」
テレビ小説「あまちゃん」ではアキとユイが東京に行くのに三陸縦貫線の最南端の前谷地まで行き、ここで東の方角へ石巻まで2駅乗つたあと仙石線で仙台に出る。アキは北三陸鉄道の駅で仙台からの新幹線特急券を二人分受け取り、当日ユイが父親の病気で急に行けなくなり1枚を手渡す。
東北大地震の前までは、八戸-仙台を夏に「リアス・シ-ライナ-」といふ臨時列車が走つてゐた。平成九年に運転が開始されたがだんだん運転日が少なくなつた。その理由は前谷地を西に小牛田まで走りここから東北本線を仙台まで走るためである。東北本線は気動車がほとんどないため気動車運転士の手配ができないか、併結する気動車列車がないのだらう。
気仙沼以南をだうするかは第三セクターで営業する意志が宮城県にあるかだうかに掛かつてゐる。

八月十三日(火)「東北新幹線と沿岸生活鉄道」
東北新幹線が開通の後は、新幹線でできるだけ久慈に接近しあとはバスを使ふのが早い。一番早いのは東京から二戸まで新幹線で三時間、バスに乗り換へて一時間十分。二番目に早いのは盛岡まで新幹線で二時間半、そこからバスで二時間。
だから三陸縦貫線を東京や仙台への輸送路として使ふと新幹線に負けてしまふ。沿岸地区の住民が何か用事がある度に盛岡に行くのは大変である。すべてが沿岸部で完結するやう生活の鉄道とすべきだ。もし気仙沼以南も開通するなら臨時列車「リアス・シ-ライナ-」式に前谷地から西へ曲がり仙台に向かふのではなく、東に曲がり石巻を終点にすべきだ。
三陸縦貫線の問題点は山田線の一部と大船渡線の一部が組み込まれてゐることだ。これらはそれぞれ盛岡、一ノ関に向ふ鉄道の付属部分である。だから縦に移動する乗客に取り不便である。八戸から石巻(或いは気仙沼)までを直通させ、そして高速で結ぶべきだ。

八月十四日(水)「八戸を取り込む」
三陸沿岸の人口は一番多い気仙沼が七万人、二番目の宮古が六万人、大船渡が四万人、釜石と久慈が三万七千人。だから八戸の二十四万人に注目すべきだ。八戸は東北新幹線沿線、三陸海岸沿岸といふ二つの顔を持つ。一方で水産業の八戸に占める比率は高い。ここは八戸を三陸海岸沿岸に取り込む必要がある。水産加工、漁船漁具の製造など沿岸各都市が分業できる体制が必要である。

八月十五日(木)「三陸高速鉄道」
日科技連という文部科学省所管の公益法人があり昨年に一般財団法人に移行した。役員構成からすると日本の製造業の大企業が主導してゐる。その日科技連版の復興構想会議で三陸高鉄研究会代表幹事松橋良太氏が作成し、アカデミックアドバイザとして東京大学特任教授の濱口哲也氏が参画した「三陸高速鉄道による地域復興構想」といふ文書がある。大地震の三ヶ月後に作られたもので、新幹線を仙台から新石巻(前谷地を改称)まで延長し、その先は三陸縦貫線を改良して山形・秋田新幹線と同じミニ新幹線にしようといふ構想である。
私はこれには反対である。文書によると交通弱者のための鉄道を謳ひながら列車をすべて特急にするから運賃が二倍に跳ね上がる。山形・秋田新幹線は新幹線と普通列車の両方が走るが三陸高速鉄道は特急だけである。また小さな駅を廃止し大きな駅からコミュニティバスを利用するから交通弱者にとつては大変である。自治体や第三セクターも鉄道とコミュニティバスの二重の費用が必要になる。
この構想では速度が上がることにより東京からの観光客が増加し、気仙沼から仙台は54分で通勤圏に入るとする。しかし観光客は一時的に増へても一段落すればそれほどは増へてゐない。観光客は週末に集中するから平日は暇である。仙台への通勤者は仙台の近くに居住し特急料金を払つてまで三陸沿岸に住まない。

私の思想とこの文書の思想は目的が正反対である。私は東京や仙台に頼らず地域が自立できるための鉄道を考へる。この文書は東京や仙台とより密着する鉄道を考へる。それでも実現できるのであれば喜ばしいが、実現性が全くない。製造業や大企業の考へる構想は我田引鉄或いは我田引金で駄目なのだらうか。

八月十六日(金)「東京大学特任教授濱口哲也氏」
この構想はアカデミックアドバイザとして濱口哲也氏が参画してゐる。濱口氏は昭和六十一年に日立製作所に入社。磁気ディスクの研究開発に従事した。十一年前に東京大学大学院工学系研究科産業機械工学専攻助教授、六年前に特任教授になつた。専門は設計と設計論、失敗学、創造学等なので技術分野から三陸高速鉄道構想を見て行きたい。
この構想では三陸縦貫鉄道を全線電化することになつてゐるが、輸送密度から見て無理がある。ミニ新幹線の車両は仙台で、蓄電池を積んだ電源車を連結し駅に到着する度に駅にだけ張つた架線で二分間高速充電をする。それで走るべきだ。二分間高速充電なんてできるのか。そこが日立製作所の腕の見せ所である。JR東と日立製作所はSuica乗降データで世間を騒がせたのだから、ここで挽回すべきだ。
或いは仙台で新幹線を二両または四両に分離し前谷地でホームの対面に停車するディーゼル特急車両に乗り換へ三陸縦貫線を走る。階段を降りて乗り換へるのは大変だがホームの向かひの扉の位置も同じ車両に乗り換へる。これなら楽である。

特急料金で稼ぐといふのはよいアイディアである。ただし日科技連版ではすべての列車を特急にしてしまふから問題になる。特急と普通列車の両方を走らせるべきだ。

八月十七日(土)「鉄道利用促進圏の設定」
盛岡から青森まで東北新幹線が伸びたときに、平行する在来線のうち岩手県の部分はIGRいわて銀河鉄道になつた。IGRいわて銀河鉄道の運賃はJRの地方交通線と比べて五割高い。三陸鉄道と比べると少し安いがほぼ同じ程度と考へてよい。東北線といふ日本列島の大動脈でも特急の乗客が抜けるとこの状態になる。
だから日科技連版を見習ふとすればディーゼル特急を八戸から気仙沼を右折して一ノ関まで、もし宮城県も加はるなら気仙沼を直進して前谷地を右折して新幹線の止まる古川まで黒字で稼げる計画を立てるべきだ。この特急は利益を上げるためである。赤字なら設定してはいけない。生活圏のための普通列車は前谷地を左折して石巻までだが、特急は右折して古川を結ぶ。
茨城県の鹿島鉄道が六年前に廃止になつた。鹿島鉄道の利用者は通学客がほとんどだつた。利用者を通勤、生活に広げるために駅から1000m以内を鉄道利用圏に指定し、十年後に鉄道を利用する人は税金を減額し自家用車を使ふ人は増額すべきだ。そのときさう思つた。三陸鉄道の場合を見よう。

八月十八日(日)「運輸政策研究機構」
財団法人運輸政策研究機構が東北大地震の前年に作成した「三陸鉄道 日本最初の第3セクター鉄道の取組み」といふ文書がある。内容を紹介するとまづ「効果」の欄に
・夏期を中心に企画列車を運行することで沿線内外からの利用者を確保
・東北新幹線八戸延伸にあわせ営業活動強化により利用者現象に歯止め
・こたつ列車のエージェント(旅行代理店)団体利用が大幅増(H20 9件=>H21 57件)(以下略)

次に「ここに注」の欄に
・日本最初の国鉄地方交通線転換の第3セクター鉄道として業界を常にリード
・来訪者が楽しめる名物企画列車を多数運行し、また利用しやすいお得な切符を多数販売
・地元利用者が利用しやすい補助制度(半額制度)を設定
・関連事業(旅行業、物品販売等)の安定した収入で鉄道事業をサポート
・沿線住民からの様々な支援活動(三陸鉄道利用強化促進協議会、ファンクラブ、友の会など)

平成五年までは黒字だつたが、その後赤字になつた。東北新幹線の八戸延伸に合はせて東京、大阪、九州に営業活動を強化した。そのような解説も載つてゐる。

八月十九日(月)「長期戦略」
短期的には「三陸鉄道 日本最初の第3セクター鉄道の取組み」に紹介された内容で完璧である。長期的には農林水産業をプラザ合意以前の元気な姿に戻す必要がある。既に円高の時代は終はつた。しかし円安を輸出の復活につなげてはいけない。
日本は戦後長いこと輸入超過だつた。だから輸出促進は善といふ意識が今でもある。しかし輸出超過時の輸出は悪である。輸出に課税しその分で地方を元気にしたらだうか。農林水産業を元気にしてその加工工場も三陸沿岸に興す。そのための鉄道になつてほしい。(完)


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