四百三十、無知、下品なニセ学者を増長させたのは誰か(山口二郎氏批判、その十二)


平成25年
六月九日(日)「無知、下品」
山口氏の本日のコラムは
イギリスに来て、こちらの学者といろいろな議論をしているところである。

で始まる。普通の新聞に普通の執筆者の書いたコラムなら「西洋の間違ひと、間違ひとは云はないまでも非西洋地域との相違について議論してくれたのだらう」と期待する。ところが東京新聞は普通の新聞ではない。もはや新聞とはいへないほどの偏向である。諸悪の根源は全国紙の数が少な過ぎる上に地方紙が各県一紙といふ世界でも極めて稀な状況が原因である。だから全国紙なのか地方紙なのかも不明な怪しげな偏向パンフレツト(としか云ひ様がない)が、かつては東京新聞は値上げしないといふ崇高な目的を掲げたのに四十年間に堕落して出現した。山口氏はコラムの最後を
無知、下品な政治家を増長させたのは、メディアの責任も大きい。

で締めくくつた。だから今回の特集は「無知、下品なニセ学者を増長させたのは誰か」を題名にした。山口氏を無知、下品だと断定した訳ではない。今回のコラムで山口氏がメデイアに責任があることを認めたのは偉い。しかしメデイアが維新の会を取り上げる理由は既に述べた。生活の党やみんなの党への対抗馬に仕立て上げようとしただけだ。
石原前都知事に人気があつたのは『「NO」と言える日本』である。ところが共同代表の橋下氏がオスプレイ訓練の大阪受け入れを表明した。冗談ではない。それでは「YES」としか言へない日本である。オスプレイの訓練ならアメリカ大陸の先住民及び野生生物を保護すべき地域(勝手に独立して自称アメリカ合衆国)でも出来る。橋下氏は政権獲得の邪心が生じた時点で駄目である。石原氏を単独の代表にしたほうがよい。

六月十日(月)「自由、民主主義」
山口氏は
日本の政治では基本的人権という観念が共有されているのかという厳しい質問を浴びた。


まづ基本的人権は社会全体が持たなくてはいけない。政治の分野だけが持てばよいものではない。なぜなら選挙で選ばれる以上、社会全体が持たないといづれひつくり返されるからだ。基本的人権は憲法に書いたから発生するのではない。西欧は個人主義に見えるが、別の角度から見れば社会主義である。丁度江戸時代または明治時代の日本人が西欧人を道徳に欠けると判断し、西欧人も日本人を道徳に欠けると判断したのと同じである。日本なら人権は仏教、儒教、神道その他社会常識によつて発生すべきだ。それなのに山口氏は
西欧由来の自由や民主主義の理念について、これをきれいごとと突き放す本音なるものを、日本のメディアは面白がっているという残念な現象を紹介した。


と西欧に比べ日本は劣つてゐますと自分だけ例外にならうとする丸山真男並みの回答に留まつた。まづ封建時代に自由を主張したら偉い。今の時代に自由を主張しても何の価値もない。そればかりか新自由主義に行き着くから有害である。
民主主義とは、国民が無欲で社会に責任を持つときにのみ達成できる。シロアリ民主党のように私利私欲の塊の連中がたまたま多数派になつたからといつてごり押しをする場合は民主主義とは正反対である。だいたい野田は増税のあと選挙で信を問ふといつた。結果は惨敗だつた。なぜ消費税増税撤回を主張しないのか。山口氏はシロアリ民主党の本部に出かけて党首に会つたり講演をしたときにそのことを主張すべきではなかつたのか。山口氏には民主主義を論じる資格がない。

六月十一日(火)「グローバルとは西洋統合のことだ」
山口氏は続けて
日本の政治における反知性主義には辟易する。口ではグローバル人材と言いながら、最も内向きなのが日本の保守系政治家である。


まづ日本の政治が反知性主義なのは同感だが政治だけではない。日本は自分に都合のよいところだけ西洋の真似をするから国全体が反知性主義である。
例へば下層だから認められる労働運動が今は中の上の層に偏つてゐる。そんな連中が消費税増税をごり押しした。それを応援する山口氏は知性に欠けている。
グローバルとは世界を西洋で統合しようといふものだ。こんなものは絶対に認めてはいけない。一方で山口氏は丸山真男並みの西洋崇拝だからグローバルの最先端である。保守系政治家は内向きなのではない。普通なのである。

六月十二日(水)「山口氏のいふ世界中とは欧米のことだ」
山口氏は
英語に翻訳されたら世界中の人間があきれるような(中略)政治家は、橋下徹大阪市長にとどまらない。

といふが、ここでいふ世界中とは欧米のことである。だからその直後に
もちろん、ヨーロッパにも人権や民主主義の理念に悪態をつく、本音の政治家がいる。

と書きばれてしまふ。そのような政治家は表舞台での活動の機会がないと山口氏はいふが、それを決めるのは国民である。ところが山口氏の言い方だとそれを決めるのは西洋である。メディアも、際物として扱うといふがこれも西洋の話である。

六月十三日(木)「一部の政治家は国民から見て非常識」
山口氏は
政治家は国民の反映と言うが、(中略)一部の政治家は国民から見ても非常識である。

といふが、石原前都知事がなぜあれほど都民から支持を受けたかを分析しなくてはいけない。最後の一期は問題も多かつたがそれは美濃部都政も同じである。最初はよかつたが最後の一期はひどかつた。長く知事をやるとだうしても都民と感覚がずれる。
知事だけではない。国会議員も高額の歳費は貰ふし公設秘書はたくさんゐるしすつかり貴族になつた気分でゐる。自民党は地元と繋がりがあるから国民性を保てる。シロアリ民主党はだうか。国民から見て実に非常識である。(完)


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