四百二十九、堀切菖蒲園と下町バス旅行


平成25年
六月九日(日)「南千住汐入」
先週の土曜と日曜は都バス一日乗車券を用いた。半日づづ乗つたから何となく乗り足らない。たまたま堀切菖蒲園の記事を見つけたので、昨日も一日乗車券で訪問し併せて普段乗らない路線に乗つた。
まづ早81(渋谷-早大正門)に始めて乗つた。通学者目当ての路線だと思ひ今まで乗つたことがない。しかし本数はそれほど多くはなく生活路線なので好感を持つた。それもそのはずで昭和二十七年に作られた。次に早稲田から上69(小滝橋-上野公園)で広小路まで乗つた。かつての都電の代替で或る程度混んでゐた。都電時代はすべての路線が同じ停留所に停車した。バスは場所が離れてゐたり停留所名が違ふことさへある。次に乗る上46(上野松坂屋前-南千住)は松坂屋前が始発で広小路は止まらない。松坂屋前まで歩かうとするとバスが既に広小路の交差点に止まつてゐた。だから走つて上野公園山下から乗つた。朝早く通行者が少ないので可能だつた。
上46はかつては汐入行きであつた。方向幕は南千住汐入と書かれてゐた。バスは隅田川貨物駅の手前を右折し、かつては右回りに7/8周(1周に少し欠ける)し汐入が終点だつた。後に汐入都営住宅までの3/4周に短縮され、更に旧都立航空高専手前に南千住汐入といふバス停が新設され1/2周に短縮され、その後左回りに変更され南千住駅まで延長された。
汐入時代に途中から一回乗つたことがある。隅田川駅の年末のアルバイトで、終業時に雨の降つたことがあつた。このバスに乗りしかし南千住は通らないから上野まで乗つた。途中に吉原大門といふバス停があり樋口一葉の冒頭の大門の見返り柳を連想した。
汐入はかつては町工場と住宅が密集する典型的な下町の風景だつた。しかし大震災のとき危険だといふので再開発され高層住宅街に変はつた。私はかういふ街は好きではない。人間は地上に住むべきだ。だから我が家も一件家である。自家用車は不要だからその分のカネで一軒家に住んだほうがよい。水神大橋で隅田川を渡ると「再開発反対」の看板が目に入つた。そこから先は昭和四十年代のなつかしい光景である。街工場、小さな商店、住宅が並んでゐる。その中を歩きながら堀切菖蒲園に向つた。

六月十日(月)「堀切菖蒲園」
今回初めて堀切菖蒲園を見物した。菖蒲まつりの期間中で大勢の入園者がゐた。江戸時代には名所案内、浮世絵にも登場した。明治以降戦前までは五つの民間の菖蒲園があつた。昭和三十四年にそのうちの一つを東京都が買収し有料の都立公園にした。昭和五十年に葛飾区に移管され無料になつた。
お年寄りに交じり若い人も菖蒲の写真を撮つてゐた。これはよいことである。世代の断絶を作つてはいけない。二百種六千株の菖蒲があるさうだ。この後、四つ木橋のバス停に向つた。

六月十二日(水)「金町、平井、足立梅田町」
錦37(錦糸町駅-青戸車庫)で青戸車庫、草39(浅草寿町-金町)で金町折り返しで四つ木橋南詰、錦37で八広二丁目、上23(平井駅-上野松坂屋)で平井駅に着いた。ここから上野に出て帰る予定だつたが、上23出入(平井駅-青戸車庫)が来たので四つ木橋南詰経由で浅草に出た。松屋百貨店がどれだけ変つたか中に入つた。屋上にスカイツリー見学の場所が出来たが子供向けの遊園地のほうが似合ふ。草41(浅草寿町-足立梅田町)に初めて乗つた。今井から上野公園までのトロリーバスはかつては鶯谷駅前の坂のふもとから登つたが、今は一つ手前の交差点から登るようになつた。草41は坂のふもとまで行くのでなつかしかつた。梅田町の終点から王49(千住車庫-王子駅)のバス停まで歩いた。しかしバスは出たばかりなので千住車庫まで三停留所を歩き北区神谷町まで乗り、そこから王78(王子駅-新宿駅西口)で帰つた。
王78は関東バス、国際興業共同路線の赤31(赤羽駅-高円寺駅)とほとんどの区間で並行する。以前は都営と停留所の標識を共用したが、今回数年ぶりに乗ると都営または関東バスが標識を新設した。経費の無駄である。経費の無駄といへばなぜ都バスは暑くないのにやたらと冷房を入れるのか。乗つていて寒いし燃料の無駄である。運転手はすぐ横の窓を開けてゐる。自分だけ外の空気で暖まり乗客には寒い思ひをさせるつもりらしい。 特に王49は座席の上の整風板が壊れてゐて冷風がひどかつた。(完)


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