四百十九、偽善政治屋を許すな(山口二郎氏批判、その十一)


平成25年
五月二十日(月)「偽善は絶対に美徳ではない」
山口氏のコラムは毎週日曜である。昨日は「偽善という美徳」といふ題である。このコラムの最後「政治家にとって偽善こそ美徳だというのが、私の本音である。」は許し難い。

五月二十一日(火)「メデイアの責任」
今週のコラムは橋下大阪市長への批判から始まる。
詭弁とはったりだけが取りえのデマゴーグをここまでおだて、増長させたのは、日本のメディアである。

橋下氏は大阪府知事の時代に政界に新風を吹き込み国民から期待された。そして次には知事から市長になつた。普通は千葉県議から衆議院そして首相へと煙ではあるまいし上に上がることしか考へないゴミのような連中が多いなかで逆を行つた。これも国民から喝采された。

テレビがいかにして彼を甘やかしてきたかは、メディア自体が検証すべきである。

私はテレビをほとんど見ない。だからテレビに出演する橋下氏を見たことがない。その私でさへ橋下氏はよくやると評価してきた。橋下氏の主張には賛成の部分と反対の部分がある。今回の米軍司令官への発言は反対の部分である。橋下氏については一年ほど前だらうか週刊誌に、官僚が本当に潰さうとしてゐるのは橋下氏だといふ記事を読んだことがある。あのころから橋下氏に精彩がなくなつた。官僚を意識し出したかマスコミが意図的に取り上げなくなつたためであらう。今回の騒ぎも米軍を意識し出したのが原因と言へる。
日本は新聞社の数が少なくテレビ局は新聞社の系列だからマスコミの質が悪い。国売り(自称読売)及びKKK(米国白人政治崇拝新聞、自称産経)と、社会破壊反日(自称朝日)及び小型朝日(自称毎日、中日)は立場が逆だが拝米既得権維持では一致する。だから鳩山政権のときから反鳩山、反小沢を繰り返し、先の選挙のときは維新の会を持ち上げた。維新の会は第三極のなかで唯一、消費税に対して曖昧な態度だつたからである。
シロアリ民主党支持増税支持の山口氏が今ごろになつてマスコミ批判を行ふのは筋違ひである。

五月二十四日(金)「橋下氏と山口氏は両方間違つてゐる」
山口氏は次のように主張する。
橋下市長は、建前の虚妄を暴き、本音をぶつけるという問題提起をしたつもりであろう。実際、兵士の性犯罪に関する米国の態度について偽善と批判している。しかし、政治の世界には偽善が必要である。


橋下氏も山口氏も戦争に性犯罪は付き物といふ前提で言つてゐる。しかしベトナムの民族解放戦線や中国の八路軍は性犯罪がほとんどなかつた。理想を目的とする戦争と強制された戦争の違ひであらう。今の時代にあつては理想があれば戦争をしてもよいことにはならないが、強制された戦争はしてはいけないといふ人類に与へられた教訓である。

五月二十五日(土)「人類の長年の知恵を偽善に転化」
葬式の時には、内心嫌な奴が死んだと思っていても、沈痛な表情をしなければならない。それで無用な争いは避けられる。

昔は合戦の後は敵味方を問はず弔ふことがよくあつた。祟りを鎮める意味もあるが、敵を死後まで憎んではいけないと教へたのであらう。
現代にあつても生前は嫌な奴だつたが死後は成仏しろよと祈るのは当然ではないか。「沈痛な表情をしなければならない」といふのはひど過ぎる。山口氏の本音と建前の乖離は次の文にも現れる。

中韓両国との関係でも、反省とおわびの姿勢を取ることがアジアの平和と繁栄につながるのであるから、個人としての見解は別として、外見だけでも謙虚な姿勢を取って、相手に攻撃材料を与えないのが賢い政治家である。

山口氏は中韓との親善を重視するふりをして反対のことを考へる。それは「相手に攻撃材料を与えないのが賢い政治家である」に現れる。中韓との親善を重視するなら「反省とおわび」ではなく過去のことにいつまでも言及しないことだ。イギリスがインドやミヤンマーの植民地支配に言及するか。フランスがインドシナの植民地支配や戦後も第一次ベトナム戦争を起こしたことに言及するか。山口氏は中韓との親善に賛成のふりをして国内を反中韓に仕立て上げようとしてゐる。或いは西洋主導の政治と経済下での一時的な繁栄、つまりアジアの西洋化を狙つてゐる。山口氏の本音と建前の乖離は相当なものである。(完)


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