四百三十一、左翼の反米愛国はなぜ失敗したか


平成25年
六月十三日(木)「組合事務所にて」
二ケ月ほど前だらうか、うちの組合員が勤める企業グループが外資系ハゲタカファンドに乗つ取られるかも知れないといふので事務所にゐた三人で話すうち一人が「かうなつたら反米愛国だ」と冗談で言つた。別の一人が「京浜安保共闘ですね」と相槌を打つた。
私はこのとき反米愛国といふ言葉を知らなかつた。私のホームページは何となく反米愛国みたいだがそれは違ふ。小渕私的懇談会以来十数年間に亘り、英語公用語だの大学の授業を英語だのと売国奴みたいな連中がうごめき続けてきた。その平衡作用として「アメリカ合州国解体論」や「米帝国主義は人類と全生物の敵だ」を主張しただけだ。
「京浜安保共闘ですね」と言つた執行委員は私と同じで学生運動や新左翼とは無縁である。だから新左翼各派のことを勉強しようとその1ヶ月ほど前に中野正夫著「ゲバルト時代」といふ本を読んだと聞いた。そこで私も今回「ゲバルト時代」を読んでみた。最初速読したとき、この本は駄目だと思つた。しかしもう一度読んでみるとなかなかよいことも書かれてゐる。私の場合速読の癖がここ二十五年ほどついた。貴重なことが書かれた本を見逃した虞はある。河原崎長十郎著『歌舞伎入門』でそのことをしみじみと感じた。今回で二回目である。文体に慣れるのに一回では駄目なのかも知れない。

六月十四日(金)「学生運動とは」
学生運動が失敗した理由は二つ考へられる。一つは社会経験の不足である。大学を卒業したときの知識を一とすれば、社会で経験を積んだ後は百にもならう。一の知識で運動をやれば社会から支持されない。
二つ目は利権争ひである。学内自治会の主導権を巡つて各派が争ふ。そこには運動とは逆の堕落があつた。

二つを生んだ原因は世代の断絶である。社会党の青年組織として組織すれば二つの欠点は克服できた。世代は断絶させてはいけない。明治維新のときに断絶させたから戦前の軍国主義があり、先の敗戦のときに断絶させたから戦後の混乱がある。戦後の混乱は経済成長で隠されたが今後続々と出て来よう。一つは地球温暖化であり、二つには失業者と非正規雇用増大であり、三つにはアメリカ猿真似による社会の混乱である。

六月十六日(日)「ゲバルト時代を読んで」
小田実は本が売れない時は印税の前借りがすごくで、出版社泣かせだということでも有名だった。現在では芥川賞や直木賞作家になると生意気に、夜の飲み食い代や取材費・飼料代と称する遊興費、印税の前借りぼったくりで出版社や編集者にたかる「たかり作家」が多いのが常識だが、この時代の前借りはまだ可愛い方だった。

私は何々賞受賞なる人には作品にも人物にも魅力を感じないから、著書をまつたく読まない。なるほどさういふ事情があるのかと納得した。小田実について
具体像を欠いた抽象的「市民」と「国家」を対比させた観念的二元論と、「加害者」を観念的に肥大化させ「被害者」を際立たせる自虐的平和論の連続


と批判するが同感である。このほかベ平連について
幼稚園児でも言える「戦争反対!」「世界に平和を!」の絶対平和主義者が多かった。その主張の前提が、自己の無意識レベルでのアメリカの「侵略・支配」嫌いに根ざしていることに気づかぬ若者が多かったのは確かだ。


これも同感である。そしてアメリカの「侵略・支配」はベトナム戦争だけではなく今でも続いてゐる。そのことに気づかぬと拝米反日に陥り、行き着く先は新自由主義になる。このほか
・保守か革新かという面で見ても、最も保守的なのはいわゆる右翼ではなく、憲法第九条を金科玉条とする勢力だ。右翼とか左翼という言い方も、もう単なる罵倒のためのレッテル張りに過ぎなくなった。「憲法九条を守れ派」の思考は完全に停止していて、戦争とは何か、国家とは何か、世界の中で日本が経済的に軍事的にいかなる立場にあるのか、を考えたこともない保守派である。

これも同感だが、私は保守をコピー機の保守、社会の保守といふ良い意味で用いるから保守派ではなく既得権派である。
アメリカの原子力空母「エンタープライズ」が佐世保に寄港することになり反対闘争が起きた。
当時のマスコミにも報道されたが、機動隊の弾圧がメチャクチャで(中略)報道陣、一般市民にまで約九〇人のけが人を出した。機動隊は橋付近の佐世保市民病院の中にまで乱入し、職員や患者やケガ人にまで警棒を振るうひどさで(中略)佐世保市民と報道陣は一気に学生・労働者側に傾いてしまった。十八、十九日の該当カンパでの市民による激励ぶりはすごかったという。

次に三里塚闘争が起きた。
この頃はまだ致命傷や重症に至るまでは殴らない、倒れて抵抗しない警官は殴らないという、人間としての最低限のモラルというか「武士道」があって、倒れている警官を興奮してまだ殴る学生がいると、「もう、やめとけ!」と止める学生のほうが多かった。

しかし双方がだんだんとエスカレートする。市民から見ると佐世保のように小さな都市なら市民の多くが事情を知り学生を応援する。しかし首都圏だとほとんどの住民はテレビや新聞でしか事情を知らされない。だから学生に支持が集まらなかつた。学生も警備警察を敵にしてはいけなかつた。

中野正夫氏はその後、赤軍派に所属し七十年に脱退した。赤軍派は時期と幹部構成により性格と組織の雰囲気が全然違ふさうだ。五十三人が大菩薩峠で逮捕され、よど号ハイジヤツクで十人が北朝鮮に行き、その後も逮捕や脱退が相次ぎ森恒夫が残つた。
問題はこの後だ。森が京品安保共闘(革命左派)の川島豪、永田洋子たちと屋号したのは七一年六、七月以降だった。当時、小物幹部という評価だった森恒夫が、仕方なく赤軍派を仕切っていたのだが、何を間違えたか毛沢東主義の革命左派と野合してしまった。(中略)赤軍派が「世界同時革命」、革命左派は「反米愛国」であり、どこがどうつながるのか今もって理解できない(以下略)。

私は左翼や新左翼とは無関係だから元赤軍派の中野氏に意見するのは釈迦に説法ではあるが、トロツキーの世界同時革命論は当時の世界情勢から同時革命が可能だし必要だと考へたもので、ソ連が一国革命論を選択した時点で消滅した。革命には勢ひが必要だからである。だからトロツキーもそれ以降は世界同時革命を主張しなくなつた。反米愛国はホーチミンも主張したが、一般の共産党員或いは国民の立場からすれば、欧米思想の流入は生活を脅かすことに気がついたから中国もベトナムも共産党が勝利した。

六月十六日(日)その二「グローバリズムと共産主義の内ゲバは根底が同じ」
新左翼は内ゲバが多く特に連合赤軍のリンチ大量殺害事件で国民の支持を失つた。新左翼だけではなく世界を見渡しても共産主義は内ゲバが多くソ連や中国で多数の犠牲者を出した。これは共産主義が唯物論を選択した以上は避けられない欠陥であり後世に改善すべき点である。人間の意識は脳髄の活動だと考へてしまふと、人間の殺害に罪の意識を持たなくなる。弁証法的唯物論で世の中は闘争の歴史だとしてしまふと内ゲバが避けられなくなる。
これはマルクスが間違へたのではなくマルクスの時代は労働者が悲惨な生活を強いられ社会が崩壊し家族も崩壊した。時代の残酷さに対抗する理論を作つたといへる。その後、資本主義でも労働者の生活は安定するようになつたが、地球温暖化と引き換へである。マルクスの時代はそのときの労働者を搾取したが、今の時代は後世の人類と全生物の生存権を搾取する。マルクスの時代以上に悪質である。

三里塚闘争の初期のころ、なぜ倒れた警官に重症を負はせてはいけないと多くの学生が考へたのか。それが社会の常識であり人類の長年に亘る知恵である。それが各国各地域の文化であり、文化を無視し人は食糧のみで生きると考へるのが唯物論である。
現在に於ける世界最大の唯物論はグローバリズムである。グローバリズムがある限り経済競争は無くならないから地球滅亡も避けられない。今こそすべての宗教勢力、伝統勢力、共産勢力は団結しグローバリズムと地球温暖化を防止すべきだ。そのときかつての新左翼の活動家たちが青春を掛けた左翼思想も生かされる。(完)


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