四百十一、東京新聞(及び神奈川大教授阿部浩己氏)の低級な記事を批判


平成25年
五月七日(火)「六日の神奈川版の記事」
東京新聞はときどき低級な記事、偏向がひどい記事が載ることがあり、その最たるものが福岡県立大准教授岡本氏の「朝鮮民族の言葉や名前を奪った植民地支配の回復保障処置として、在日コリアンの民族教育を保障しなければならない。」である。私は在日韓国朝鮮人の人たちが先祖の言葉を習ふことは大賛成である。問題は韓国朝鮮人を反日に仕立て上げようとする人たちである。今回それに匹敵する記事が神奈川版に載つた。私立神奈川大教授阿部浩己氏の発言である。
中国や北朝鮮、韓国などの多くの外国人がともに暮らす一方、各地に米軍基地を抱える神奈川。この場所で、憲法第九条はどんな意味を持つのか。(中略)阿部教授は「私たちは基地を抱えたまま、憲法の理念を生かし、多民族と共生するという矛盾した行動を取っている。神奈川は憲法の縮図だ」と指摘する。


まづ多民族といふが日本社会は日本語を話す人で構成され、母国語が違ふ人も日本語を話すことで社会に溶け込むし、日本語ができない人も同国出身者の助けなどで暮らすことができる。これは昔からさうであり日本国憲法とは何の関係もない。
鑑真和尚をはじめ他国出身者を暖かく受け入れる性質は日本が世界に誇るものであつた。それが変化したのはおそらく日清戦争に勝利した辺りではないか。このころから日本は他のアジア人を見下す傾向が出てきた。日英同盟でインドからの亡命者を日本から追放するようにもなつた。本当に他のアジア人を見下すのは日露戦争の後だらう。
戦後は昭和六十年辺りから再びアジア人を見下すようになつた。このときはプラザ合意で円高になつたためである。海外に行くと円の価値が高いのですつかり貴族か何かになつたような錯覚を覚へた。海外売春も問題になつた。その一方で拝米は強まつた。

五月八日(水)「米軍基地が存在する限り憲法第九条は失効状態にある」
日本が幾ら平和を叫んでも、ベトナム戦争のときは日本からベトナムに米軍が送られ続けた。つまり日本はベトナムでの大量殺人の共犯である。米軍基地が存在する限り幾ら平和を叫んでも憲法第九条は失効状態にある。日本の最大野党が安保条約破棄を掲げてゐたのはそれほど昔ではない。
社会党は安保破棄と非武装中立を同時に掲げたため、非現実的と国民には映つた。だから政権は取れなかつた。安保破棄と軽武装中立を掲げればよかつた。しかし都市部では革新系知事、市長が次々に生まれた。農村部に生まれなかつたのは既に農地改革が為されたといふ理由も大きい。安保破棄、軽武装中立、農地改革は米軍ではなく冷戦の賜物だ。この三つで政権も不可能ではなかつた。

一方で阿部浩己氏の主張は一体何だ。米軍の存在を認めながら平和を叫ぶ。これほどの偽善はない。

五月九日(木)「国内と世界の多民族を混同する阿部浩己氏」
阿部教授は、九条が代表する憲法の特徴を「世界全体を視野に入れ、民族や文化が異なる人たちの視点を織り込んだ点と、日本の戦争の歴史を刻み込んだ点」だと評価する。

世界で民族や文化の異なる人たちと共存するのは当然である。それと反対のことをしてきたのがアメリカ大陸で先住民を滅ぼしたりアジア、アフリカを植民地にした西洋文明である。そしてそれはグローバルだの自由と民主主義だのと今でも叫んでゐるではないか。この文に続き
「日本は過去の戦争の歴史を乗り越えるために、非暴力で、多民族、多文化の人たちとともに生きていく方向性を打ち出した」
と、背景を説明する。

日本の過去の戦争の歴史とは、西洋の帝国主義を真似したことだ。そのことを反省しなくてはいけないのに阿部発言は西洋は正しくて日本は間違つてゐるといふ丸山真男ばりの視点に立つ。そして阿部氏の最大のまやかしは国内と世界を混同することだ。国内では多くの民族が住んでゐても日本語を用いる。一方で世界は多くの民族が自分の言葉を用いる。阿部氏はその違いを混同した。
阿部氏の発言を載せた東京新聞の記事も「多民族共生 憲法の縮図」と意図的に混同させる大見出しを付けた。


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