三百三十四、北山本門寺末の布教所参拝記((1)立正大学伊藤瑞叡教授の原発反対論、(2)宮沢賢治のナムサダルマフンダリカスートラ、(3)原木山訪問記)


平成24年
十二月十七日(月)「今年最後の行事」
昨日は北山本門寺末の布教所で今年最後の行事があつた。参拝者は前回から参加するようになつた本化妙宗連盟の会員一名、他の日蓮宗の寺院に所属する婦人二名などだつた。本化妙宗連盟は国柱會が田中智学死後分裂したうちの一つで山川智応が創設者である。婦人のうちの一名は平服で蓄髪だが尼さんであつた。
法要終了後の法話で住職が選挙の話をし出して長引いたので尼さんが「選挙の話はしないほうがいい」と注意し、丁度TPPの話だつたので住職は「どうなんですか」と私に振つた。私は「TPPは賛否両論がありますが、大聖人の時代は今ほど貿易は多くはなかつたので、TPPはやめたほうがよいと思ひます」とお答へした。我ながらよい答だつた。
立正大学教授伊藤瑞叡師が講演のなかで原発に反対の理由として因果を崩すと言はれたといふ話もあつた。私は伊藤師の発言に全面賛成である。因果の法則は物質にも当てはまる。その物質を破壊するのが原子力である。すべての仏教者は反対すべきだ。そればかりではない。一神教にとつても原子核の破壊は根底が崩れる。すべてのキリスト教、イスラム教の信徒も原子力に反対すべきだ。

十二月十九日(水)「海外布教」
法要終了後に皆で懇談するとき、宮沢賢治のナムサダルマフンダリカスートラが話題になつた。宮沢賢治は文学作品に「南無妙法蓮華経」を用いず「ナムサダルマフンダリカスートラ」を用いた。日蓮の教へは日本、唐、月氏(インド)に広まるが、東南アジアや西アジア、西洋には積極的に広めてはいけない。勿論信仰の自由は尊重してこれらの地域で信仰したい人がゐれば懇切丁寧に教導すべきだ。
中国では読経や題目は現地の発音になる。北京語地域は北京語読みだし、上海語や広東語の地域は現地の発音になる。だからインドではサンスクリツト読みになる。

十二月二十日(木)「御義口伝」
本化妙宗連盟の人がまづ「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事)を出した。次に御義口伝の「南無妙法蓮華経の南無とは梵語、妙法蓮華経は漢語なり。梵漢共時(ぐじ)に南無妙法蓮華経と云ふなり」を引用した。本化妙宗連盟は田中智學の流れなので今でも御義口伝をきちんと勉強してゐるらしい。
日本国内は確かに南無妙法蓮華経であるべきだ。しかし中国では日本語読みはあり得ない。また大聖人御在世のときは大師講を奉修したやうに中国は天台山に因んで大師講を行ふかも知れない。それは中国に任せるべきだ。インドも同様である。

十二月二十一日(金)「日蓮宗式、北山本門寺式、田中智学門下式」
日蓮宗の二名が参加したので、住職が北山本門寺式で行ひますと説明してから読経が始まつた。北山本門寺は戦争中に日蓮宗に合同し、その前は本門宗だつた。大石寺とは1Kmしか離れて居らず開山はどちらも日興だから本来は兄弟寺である。大石寺が読経、題目、観念文のみに対して、北山本門寺は道場感、奉請、賛嘆ののち読経、題目、観念文に入る。
本化妙宗連盟の人に質問したところ、妙宗連盟も北山とほとんど同じだが、北山が日蓮、日興と歴代の報恩謝徳を行ふのに対して、妙宗連盟は日蓮は報恩謝徳を行ふが、その他は一般の立場だから行はないといふ田中智学の制定した方式を守つてゐた。

十二月二十三日(日)「山川智応『本門本尊論』」
ここで田中智学の亡くなつた後に本化妙宗連盟として独立した山川智応の昭和四十八年の著書『本門本尊論』を見てみよう。まづ國柱會が会員に配布する本尊について
この大曼荼羅は、いま國柱會で本尊にしてゐるものであつて、佐渡始顕の本尊といつてゐる。(中略)ところが此の佐渡始顕教門の本尊といふものは、現在のものは、今日の如く真蹟が明かになつた時代では、これを真蹟とすることは出来ない。

この本尊は日蓮在御判と書かれたもので、日興門流の特徴に沿ふものである。身延では僅かにこの形式を認めることができる。今では真蹟ではないとしても田中智学が選定した本尊である。今後も用ゐるのがよいのではないだらうか。法華経が釈尊の説かれたものではないことが明らかになつた現在でも、大聖人の選定された法華経を伝へることは尊い。これが伝統の重みである。次に造像について日尊の弟子の日尹が日代(北山本門寺の後継、後に追放された後は西山本門寺の開山)に宛てた手紙について山川智応は
大聖人の時分に富木禅門及び日眼女が佛像を造つたといふことは、自分の私案によればこれは在家の者だからよいのだ、出家が折伏逆化の時は足手まとひになるか、だからどうしても出家は文字の曼陀羅を以て正意とすべきであると自分は思ふが興師から直接指導を受けて居らないから、貴方の教を受けたいと代師にいつた。

日蓮は佐渡流罪の後は弟子や有力な信徒に十界曼陀羅を授与したから、これを本尊とすべきだ。だから日尹は富木禅門及び日眼女が佛像を造つたことについて日代に訊ねた。山川智応の結論としては
天文以前におきましては各派を通じて本尊に対する観念は、大曼荼羅もしくは一尊四士、この二つの観念しかなかった。(中略)ところが天文以後に以後になりましては(中略)要法寺の日辰師が強く造仏を主張しました。(中略)この人と同時に本隆寺の日雄師、(中略)此の人が矢張り「造仏之事」という書籍を書いて居る。

造仏は日興が身延を離山した後に身延側と思つてゐたが、実際は天文以後であつた。そして大石寺と要法寺の通交が始まり、大石寺でも造像が始まる。そこに日寛が現れた。これについて山川智応は
辰師も寛師も「本因妙抄」や「百六箇相承」を以て、聖祖の撰として論じらるるのであるが、これはその昔多くの古文書を見るの便のなかった時代としては(中略)止むを得ない理由もあろうとおもわれるが、(中略)聖人の遺文と認めることは、今日の世では苟くも学界に携わるものの恥とせねばならぬところである。(「聖祖門下各教団合同の根本的可能性を論ず」)

現代から見れば、日辰師は「本因妙抄」や「百六箇相承」の存在を前提に派祖日尊師の造仏論を正当化しようとするから無理な議論になるし、日寛師もそれに反論するから無理な論議になつた。二人の議論は普通の人には理解し難いから、まづ日辰師が主張したときは皆が影響を受けて大石寺でも造仏が行はれたし、日寛師が主張したときは要法寺でも仏像撤廃が行はれた。

十二月二十五日(火)「原木山訪問記」
本化妙宗連盟の人は信行会員でこれは田中智学時代からある区分だが、山川智応の時代は信行会員は一般会員で数年間信行に励まなくてはなれなかつたさうだ。
だから教義の理解はすごいが、霊的感受性の高さを自称し新宿で会つた人に或る寺に行くよう言はれて行つたところ別の人がゐて、その人から原木山に行くやう言はれて行つたら霊能者がゐた、原木山は霊能の本山だといつた話をした。
普通は半信半疑に聞くが、我々に向かつて布教活動をする必要はないし本人は本気で話をしてゐたので昨日原木山を訪問した。確かに静かな雰囲気のなかに本堂、祖師堂、大荒行堂、祈祷場、講社部屋などが並び、この世とあの世の境のような気がした。日蓮宗からは独立し三十くらいの寺院と単立教団を結成してゐる。私は単立や零細教団は好きである。寄らば大樹で大きく合併すると各本山の特長が生きない。
荒行は日蓮宗公認の中山法華経寺が有名だが、それ以外に法華経寺塔中の遠寿院がある。そして今回原木山にもあることを知つた。祖師堂に日蓮宗新聞が置いてあるのが気になつた。せつかく単立なのだから併合されず独自の信仰を貫いてほしいと思つた。

十二月二十七日(木)「全ての伝統宗教の共存」
世界のすべての伝統宗教の根本は共通である。だから仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、神道道教儒教の共存は可能である。人類を安定させるものが伝統宗教であり、しかし長期に亘ると堕落もするからその対策も必要である。
仏教については戒律と瞑想が基本であり、その変形としてそして時代の要請として拝むといふ瞑想が出てきた。これが大乗仏教であり従つてすべての宗派は統一が可能である。
だから日蓮系の荒行も伝統を持つ修行として意義が深い。今から二十五年くらい前だらうか。中山法華経寺塔頭の遠寿院で、中山法華経寺に作られた日蓮宗公認荒行堂との違ひを質問したところ、日蓮宗公認のほうはうちの住職に比べれば位がはるかに低いと云はれた。それは事実だと思ふ。公認を蹴つてまで独自に運営するにはそれだけの理由がある。原木山のように日蓮宗から独立してまで独自の荒行堂を持つところもそれだけ意義がある。不治の病などを救ふため荒行をする僧侶は三箇所のどこに参加しても尊い。国民の精神安定に役立つからである。その一方で神社のお祓ひはよくない。神主は資格が簡単である。しかも荒行をする訳でもなくそれでゐて祈祷料を巻き上げる。日蓮系の祈祷師は神社からどんどん祈祷希望者を奪つたほうがよい。民間では競争が厳しいのである。神社の祈祷は明治維新で生まれたと言へる。殿様商売は許されない。

十二月二十八日(金)「旧本門宗」
日蓮宗のうち旧本門宗系は荒行をやらない。もつとも信徒から祈祷の希望が多く参加した僧もゐるさうだ。祈祷をしないのは旧本門宗の伝統で尊重すべきだし、日蓮宗5200箇寺のうちの100箇寺を占めるに過ぎないのも事実である。少数派の貧乏寺で頑張るのは一つの伝統である。ここでも殿様商売は許されない。(完)


大乗仏教(日蓮系)その六
大乗仏教(日蓮系)その八

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