三百二、顕正会入会記

平成二十四年
九月八日(土)「二十年ぶりの富士大石寺門流復帰」
八月十二日の原発反対集会で顕正会が新聞を配布してゐた。その縁で九月一日に顕正会に入会した。ここ二十年間私は曹洞宗、上座部仏教など瞑想系を行つてきた。二十年ぶりに富士大石寺門流(創価学会、顕正会、法華講、正信会に分裂)に復帰した。
顕正会と私には次の相違がある。
顕正会
他国侵逼の難尖閣諸島問題を始め、中国が日本を侵略する戦後の米軍駐留。これにより日本は米国の言はれるままに政策を決めるようになり精神は荒廃した
自界叛逆の難中国の日本攻撃で、国内で反中派と親中派の争ひ米国の文化破壊による社会不安で拝米派と反米派の争ひ

これらの難は日蓮大聖人の仏道が広まれば解決する。つまり相違はまつたく問題にはならない。

九月八日(土)その二「真面目な団体」
顕正会はインターネツトで検索すると「カルト」「オウム真理教より危険」などひどいことがたくさん書かれてゐる。今回私が入会したのは熱心で真面目な団体だと判つたからである。
あと八年で国立戒壇建立と言はれると普通の人は恐怖を感じる。だから誹謗中傷が起きる。しかし心配は要らない。国立戒壇を建てても、信教の自由は守られるし、税金負担でも国立戒壇分は還付する或いは寄付金を募り別会計にするなど不公平は起きない。その理由は顕正会には一人も議員はゐないし、国立戒壇建立の暁には顕正会は解散すると宣言してゐるからである。
ご本尊の扱ひ、富士大石寺に秘蔵されてゐる戒壇ご本尊への崇拝など、昭和三十年代の創価学会と変はらぬ厳格さである。私に説明をしてくれた婦人部幹部はただ者ではないと思つたら、浅井会長の姪であつた。ご主人も顕正会の大幹部だつたが急病で倒れ、信心のおかげで奇跡的に死を免れ車椅子で生活されてゐるさうである。皆ががんばる本当に庶民の団体だと実感した。

九月九日(日)「河辺メモ」
その間に、入会しないほうがよいかと思つたことが一回ある。それは河辺メモである。戒壇のご本尊は偽物で日禅に授与した本尊を写したものだといふ阿部前管長の発言が書かれてゐる。犀角独歩氏といふ方が実際に写真を用いて両者を比較した。
浅井会長のご長男は顕正会では青年部長、主任理事を歴任し会員は誰もが次期会長だと期待した。ところが犀角独歩氏に接触を試みたため失脚した。実は私も犀角独歩氏に会ふ話があつた。二十年間の空白期間にスポツト的に職場の近くの北山本門寺布教所に行き、住職とは話が合ふのでホームページ作成を進言した。その件で住職、犀角独歩氏、私の三人で打ち合はせやうといふことになつた。犀角独歩氏は日蓮宗で戒壇の御本尊について講演したことがありその縁で住職とは親しいのだらう。そしてホームページにも詳しいので私を含めて打ち合はせやうといふことになつた。
会長の長男でさへ失脚するのに、私は入会しないほうがよいのではと迷つた。しかしまだ犀角独歩氏には会つてゐないし、会つても話す内容はホームページの作成である。顕正会の人達の熱意もあり入会を決意した。
入会勤行で二人の幹部が涙ぐんだ。いままで活動してきた会員が病気で亡くなり、直後に私が入会したので大聖人が寄こしてくれたと話してくれた。私もがんばらなくてはと思つた。

九月十日(月)「国会図書館」
さつそく入会の翌日の九月二日は本部の勤行に参加し、幹部とともに折伏を開始した。
八日の土曜は国会図書館に行つた。インターネツトで顕正会を除名になつた人の著書を見つけたから一回は読む必要がある。一冊目は「本門戒壇の本義」で、これを出版したために顕正会を除名になつたさうだ。読んでみると顕正会の不利になることは書かれてゐない。しかし布教活動にも教学の振興にも役立たない。なぜこんな本を出版したのか判らない。二刷目は除名後の本で、本の最後の部分2割を除き顕正会を悪くは書いてゐない。池田大作氏の「国立戒壇を達成しないと属国が解消されない」といふ発言を紹介する部分が印象に残つた。
最後の2割は浅井会長批判だが、浅井会長はここまで顕正会を大きくした。その功績は大きい。浅井会長のお父さんの甚兵衛氏が戦前に妙光寺で東京妙信講を名乗つた時代は、一つの寺に八つの講中があつた。法道院時代は宗制宗規の改定で一寺院一支部制度となり、浅井甚兵衛氏が法道院支部講頭に就任した。後に法道院支部から分裂し妙信講として宗務院から承認された。
除名になつた人は妙光寺時代の方式で別の講中を創設し、顕正会とは互いに批判せず会員も取り合はず活動したらよい。批判するだけだと世の中のためにならない。

九月十日(月)その二「冬眠会員」
九日は他の人達と同じように本部の早朝勤行に参加した。朝5時に家を出た。浅井会長が来られるのではと期待したが、次男の浅井理事長が参加された。御書拝読と解説を拝聴した。散会後に組織ごとに大宮公園などで集会を持つた。その後に折伏活動に入つた。第一予定が不調の時に備へて正信会寺院訪問を考へてゐた。ここは折伏ではなく、正信会はジリ貧で、その理由は大目的がないためである。国立戒壇を目標に布教活動を行へば人数が増へることを説明しようといふのである。ところが支区部長が止めるので中止した。宗門側、正信会側のすべての寺院に機関紙を送付してゐるから我々はやらなくてよい、と。
今回私が顕正会に入つた最大の理由は8年で6000万人を達成するといふからである。普通に考へれば不可能だが、長年布教活動を行つた浅井会長がさういふのだから、その船に私も乗らうと思つた。顕正会は現在150万人。かつての創価学会の折伏大行進と同じで入会者を加算するだけで退会者を減算しないが、それでも活動家、冬眠会員合はせて100万人はゐると思ふ。冬眠会員は活動はしないが八年後に春となつたときに「あなたは6000万人のほうですか、それともその他ですか」と質問されたときに6000万人と答へる人達である。顕正会は入会者が一年に十万人ゐるからこのままだと八年後に230万人である。
正信会に国立戒壇路線を復活させ、創価学会に復活させ、宗門にも復活させる。これで1000万人は増へる。私のような旧社会党左派的な人間でも信教の自由と税負担の不公平がなければ国立戒壇に反対しない。創価学会にも反対する理由はなくなる。
顕正会で6000万人では、その他の人が脅威に感じる。いくら顕正会は政党を持たないといつても、議員は顕正会員になるからである。創価学会、顕正会、正信会、宗門すべて合算して6000万人がよい。

九月十一日(火)「入会の熱意と感動は八日目に喪失」
入会のときの熱意と感動と感激は早くも八日目に喪失した。九日朝の大宮公園の集会で、一人入会させた人が挨拶した。その後、幹部がセールスで前から知つてゐたので知人の扱ひになつたと説明した。その話を聞いて驚いた。これだと知人しか入会させることができない。日蓮大聖人の辻説法方式は駄目だといふことになる。入会させてから信心指導と生活指導をきちんとすれば問題を起こすことはない。労組には未知の人が労働相談に来るが、普段から争議解決のため対話をするから問題を起こすことはない。
顕正会は過去に入会人数を追ふあまり、通行人に声を掛けて無理に入会させその人が問題を起こしたり、強引に入会させて逮捕者を出したり警察の捜査が本部に入つたこともあつた。知人だけを入会させればその点、安心である。
話し掛けたり演説を聴いて関心を持つ通行人はその時点で既にフイルターで選別されてゐる。私は反原発集会の帰りに機関紙を手渡されて入会した。自身の入会経緯とは別の方法で布教しなくてはいけないとなると、私の布教の方法がなくなる。

九月十一日(火)その二「かつての創価学会を体験しよう」
顕正会員に接すると誰もが驚くだらう。なぜこんなに表情が生き生きとしてゐるのか。それは顕正会が布教のための組織だからである。題目を唱へるのも布教のためである。そこが自分のために念仏や題目やお経を唱へる他の団体と異なる。例へばうつ病患者がゐるとしよう。うつ病が治りますやうにと祈つても治らない。しかし国立戒壇建立のために祈ればうつ病なんてどこかに飛んでしまふ。ガン患者も失業中の人も家庭不和の人も同じである。
昭和四十四年までの創価学会もそうだつた。日達上人(当時の管長)の時代に広宣流布を達成しようといふ勢ひで、まもなく広宣流布が達成し折伏の時代が一番楽しかつたと皆が思ふ時が来るといはれたものだつた。
だから顕正会では布教をしないと居心地が悪い。私は「昭和三十年代の創価学会を体験しよう」といふビラを一般の国民向けにパソコンで作り、ホームページでも同じことをやつて二十人くらい入会させやうと計画を立ててゐた。昭和三十年代を知る人は創価学会の勢ひは聞いたことがあるし、若い人もなぜ二十年で自民、社会に次ぐ政党を持つまでに至つたか興味が涌かう。
人生には限りがある。すべきことは多いから二十人入会させた時点で顕正会の第一線から退かうとタイムテーブルを引いて入会した。ところが親族知人職場の同僚反原発集会にいつしよに来た人を折伏しろと幹部はいふ。しかしこれは難しい。親族は現在宗教がばらばらである。職場は私が労組をやつてゐるからあまり入会しないし、反原発集会参加者ではうちの労組のA副委員長やE全労協全国一般副委員長が入会するだらうか。私はしないやうな気がする。

九月十二日(水)「国立戒壇放棄の理由」
創価学会が国立戒壇を放棄したのは、戦後のマツカーサーの偏向のせいである。戦前には軍国の偏向がある。戦後にはマツカーサーの偏向がある。だから戦後の混乱が収まつた昭和三十年代が、二つの偏向が相殺し明治維新以降日本が最もまともな時期だつたと言へる。
昭和四〇年以降、旧社会党は社会主義を放棄するようになる。今の憲法は資本主義憲法であり、社会党こそ改憲の中心にならなくてはいけなかつた。かつての左派と右派が健在なら改憲を主張できた。しかし右派が民社党として分裂し、左派から新たに江田派といふ西洋かぶれの連中が出てきた。もちろん憲法第九条は尊い。平和を守り属国状態の日本を独立させる。これが重要だつた。
創価学会も同じである。昭和四〇年あたりからマツカーサー憲法に騙され、国立戒壇を放棄した。


大乗仏教(日蓮系)その五
大乗仏教(日蓮系)その七

(その二)へ
メニューへ戻る 前へ 次へ