三百、宮澤賢治

平成二十四年
八月二十一日(火)「春と修羅 心象スケツチ」
今回岩手県を訪問したときに、300号で宮沢賢治を特集しようと思つた。そのときは今ひとつ判らない「春と修羅 心象スケツチ」から始めよう。さう決意した。雨ニモ負ケズは有名だし、童話も有名である。しかしこの出版物は今ひとつ判らないところが多い。

八月二十七日(月)「心象スケツチ」
風景を一番正確に記録するのは写真だが、そこには心象は少なく、また撮影者が意図的に心象を入れるべきではない。一方で文章も風景を記録することができる。そして文章は心象も記録することができる。だから賢治は心象スケツチと名付けた。
到底詩ではないと手紙には書いたが、その生き生きとしたスケツチはまさしく詩である。伝統的な定型詩や漢詩ではないといふ意味である。写真を西洋画とすれば心象スケツチは墨絵である。筆の一つ一つが生きてゐる。
賢治が定型詩を目指したことは(mental sketch modified)と注釈の付いた作品を読めば判る。定型詩には日本の詩の歴史の重みが有る。しかし定型にすることによる表現力の低下を避けたものが心象スケツチであつた。

八月二十八日(火)「ひとつの青い照明」
この本の判りにくいところはまづ先頭の「序」である。しかし文章のとおりにすなおに読めば判りやすい。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつのい照明です


人間の心は活動をしてゐる。そしてこの文章の次に活動は周囲と関係することを示し、序の後半で活動が現代に留まらず未来に延長し、地上に留まらず銀河に伸びることを示す。

九月二日(日)「本体論」
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です


この文で判りにくいのは本体論といふ言葉である。ドイツ語のOntologieの訳で賢治の死後に存在論といふ訳語で定着した。だから賢治は難しくはないつもりで本体論と書いたが、今では存在論と言はないと判らない。宇宙も人間もウニ(海膽)も、宇宙塵や空気や塩水を食べたり呼吸をしながら皆が自分の存在を悩むといふ童話のやうな楽しい世界である。

九月八日(土)「五、七、九」
「春と修羅」は書籍「春と修羅」を代表する作品である。そして(mental sketch modified)が付いてゐる。この作品の特長は定型詩でありながら無理に字数を合はせないから不自然がない。そして五、七、九で構成される。
書籍と同じ題名といふことは、この作品を読めば書籍の特徴が判る。定型を目指したが不自然を生じるからほとんどの作品は不定形で、だから書籍は心象スケツチとした。定着したとは言ひ難い近代詩ではなく、しかし定型詩の字数合はせもない。ここに書籍「春と修羅」の特長がある。

十月二十三日(火)「歴史や宗教の位置を全く変換」
宮沢賢治は「春と修羅 心象スケツチ」について森荘已池宛の手紙で、歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画しと書いた。歴史は古代から現代に至るまで前にしか時間は進まない。四次元は縦横高さに時間を加へたものだと言はれて久しい。実際には縦横高さは自由に行き来できるが時間は前に進むことしかできない。我々は三次元に住むのだから当り前だが、宮沢賢治の時代は四次元を論じるに留まつた。だから時間を自由に行き来できる宗教を、時間を前に進むことしかできない歴史と宗教を全く変換しようとして、心象スケツチを出版したのではないだらうか。

十月二十九日(月)「イ-ハトヴ童話、注文の多い料理店」
大正十三年に出版されたイ-ハトヴ童話注文の多い料理店」の奥付けの次のページ、つまり最終ページの更に後に二冊の書籍の宣伝が載つてゐる。東京光原社から出版された別の書籍であらう。うち一冊は心象スケツチ春と修羅」についてで、 先人未踏の境地を開拓せる著者の處女詩集にして現今詩壇の人々の間に警異を以て見られつゝありとあるから、意図するところは詩である。しかし非定型詩は歴史が浅いので心象スケツチと称したのであらう。

十一月二十三日(金)「杉浦静氏の著書」
杉浦静氏の著書「宮沢賢治 明滅する春と修羅」から2つ紹介しよう。まづは賢治が岩波書店の岩波茂雄に宛てた手紙である。
わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。(中略)わたくしはあとで勉強するときの志度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました」

次は杉浦氏が「銀河鉄道の夜」から抜粋した文章である。
「ちょっとこの本をごらん、いゝかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。(中略)紀元前二千二百年ころにはたいてい本当だ。さがすと証拠もぞくぞくと出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前1千年、だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときには斯うなのだ。」


この当時は相対性理論が日本に紹介された直後だつた。時間、空間、質量の概念が引つくり返つた。賢治の手紙と「銀河鉄道の夜」を読むときはさういふ時代背景を考へる必要がある。

十一月二十五日(日)「文章をたくさん書く人が持つ共通した考へ方」
私もかなり文章を書く。今日現在で三百二十四編目である。これまで書いた文章の時間による変化を調べれば新しいことが判るだらう。この時期は社会主義に力を入れてゐた、この時期は宗教全般に集中してゐた、この時期はその中でも上座部仏教だつた等々。
また、あるとき書いた文章を後日読むと、今ではとうていこのような文章はかけないと思ふことがある。そのとき感じたことは忘れないうちに記録すべきだ。だから岩波茂雄への手紙を読むと、何だ賢治も同じことを考へてゐたのかと妙に納得する。
半年前にあつたことだが、或る新聞に記事を書くよう言はれた。言はれた題材で書いたが字数が相当余つたので、サンシヤインビルにあつた二つのレストラン、地下一階のたぬき小路といふレストラン街と、サンシヤイン三越にあつたインドネシアレストランの話題を追加した。どちらかと言へば本題よりこつちが自信作だつたが、字数の関係だらう。前半しか掲載されなかつた。後半は二十年前のサンシヤインビルを知らないと共感は難いし面白さは作者しか判らないかも知れない。宮沢賢治の自信作「春と修羅 心象スケツチ」が一般の人に理解されなかつたのも同じ理由であらう。
私のホームページの全体を流れてゐる主題は、唯物論の再定義である。宮沢賢治の「春と修羅 心象スケツチ」に流れてゐる主題は、大自然と人間の調和だと私は解釈してゐる。(完)


「宮沢賢治6」へ 「宮沢賢治8」へ

メニューへ戻る 前へ 次へ