三百三十、上座部佛教と大乗佛教


平成24年
十二月九日(日)「ミヤンマーとタイに留学中の女性の一時帰国」
日本の仏教大学を卒業後に普通の会社に就職し、その後ミヤンマーとタイの仏教大学へ留学中のA子さんが一時帰国し、その懇談会に参加した。参加者は約十名だつた。
今回最も参考になつたのは、ミヤンマーがイギリスから独立した後、ミヤンマー政府はアイデンテイテイ確立のため国民に瞑想を推奨し、それがミヤンマーの在家者の瞑想熱心につながつたといふことだつた。
上座部仏教の伝統では比丘が瞑想し、信者はそれを支へることでご利益がある。ミヤンマーでは在家が瞑想することを付近の住民が歓迎し支へるがその理由が判つた。外国人でも瞑想センターに来る人は多いが、同じく住民に歓迎されるさうだ。

十二月十日(月)「人間の家畜化した社会」
A子さんの発表で印象に残つたのは、タイでもミヤンマーでも具合の悪い人がゐれば周りの人が「どうしたの」と声を掛けるのに日本は素通りする。私も同じことを前から感じてゐた。少なくとも昭和六十年くらいまではこんなことはなかつた。当時と今で異なるのは(1)社会党、総評プロツクの崩壊、(2)プラザ合意による急激な円高、(3)バブルとその崩壊である。
このことは和田秀樹氏の日経BPへの次の記述でも明らかである。
日本という国は、2007年の国際世論調査で、「自力で生きていけない人達を国や政府は助けるべきだ」という項目に、「そうは思わない」と答えた人が、世界最多の38%もいた。弱肉強食の国とされるアメリカでさえ、28%だというのにである。  要するに、日本という国に産まれたのが不幸なのだから、負け組に絶対になってはいけないということも肝に銘じるべきだ(以下略)
日経BPは、消費税増税を既成事実にしようとする悪質な記事も多いが、このように部分的には良質な記事もある。部分的と述べたのは、和田氏は上記でも紹介した負け組に絶対なつてはいけないといふ部分と、その後に現れる選挙は利害で投票すべきだといふ部分には絶対に反対である。

世界最多になつた原因として(1)江戸時代の寺請け制度による仏教堕落、(2)明治政府による坊主妻帯、(3)イギリスを模倣した天皇教の創設と大東亜戦争敗戦による解体である。
だから私は和田氏のように国民が全員利己主義者になれ、即ち野田やニセ経営者団体連合会やニセ労組連合のようになれといふのではなく、まづは六千万人を達成するといふ宗教団体に期待しその方法まで提示したのだが無理だと判るや、八月末日以前の上座部仏教に回帰した。上座部仏教を中央文化と為し大乗仏教を地方文化とすることにより日本国内すべての宗派は対立することなく仲間意識を持つことができる。これで家畜化した日本社会を再生できる。日本混乱の原因は宗派がたくさんに分かれてゐることである。

十二月十一日(火)「上座部仏教と大乗仏教、その一」
上座部仏教は戒律を守り瞑想をすることで成仏する。瞑想の方法として息に集中する、 自分の動作に集中する、水晶を思ひ浮かべるなど指導僧によつて異なる。大乗仏教で仏像や曼荼羅に祈るといふのは動的な瞑想と考へることができる。だから上座部仏教と大乗仏教の目的は同じである。
しかし上座部仏教が釈尊の時代の方法に一番近く組織的にも多数の派に分流したとしても釈尊の時代から断絶はしてゐない。だから仏教の本家として盛り立て、一方で大乗仏教の地域性、伝統も尊重すべきだ。
私は信徒が瞑想をすることは正しいのかと疑問に思ふことがある。釈尊の時代には信徒も瞑想をしただらうが、時代を下ると比丘のみが瞑想をするようになつた。長い年月による伝統は尊重すべきである。
例へば神仏習合は日本の長い伝統であつた。それを分離してはいけない。明治政府が無理に分離した結果、大東亜戦争に至つたと考へるべきだ。

十二月十二日(水)「上座部仏教と大乗仏教、その二」
A子さんが、上座部仏教は原始仏教とは異なる、上座部仏教と大乗仏教の両方に釈尊の説いた内容が入つてゐると述べた。ここに集まつた人はミヤンマーの瞑想に参加する人達だから上座部仏教を信奉する人達のはずである。それなのに誰も疑問を投げ掛けないから、私が上座部仏教は根本分裂や各派への分裂はあつても釈尊の時代を引き継いでゐる、大乗仏教は後の時代に仏塔を礼拝する人達から生まれたから、上座部仏教と大乗仏教を同じに扱ふべきではない、と発言した。
なぜ上座部仏教を信仰する人たちが誰一人疑問を投げ掛けないか不思議だつたが、話すうちに判つた。参加者は瞑想が目的でその方法としてミヤンマーの上座部仏教を選択した。上座部仏教は目的ではなく手段である。しかも上座部仏教の中にも瞑想の方法は色々である。だから上座部仏教にも釈尊の説いた内容以外が入つてゐるといふ主張は簡単に受け入れられる。

十二月十三日(木)「ミヤンマーの変貌」
ミヤンマーでは変貌が激しく、大型スーパーが建設され始めた。今は優秀な人が比丘になるが産業が発達するにつれてさうではなくなるだらうといふ心配も報告された。
前にタイでは女性修行者は橙色ではなく白い衣を着るが、ミヤンマーは橙色だと述べたがあれは日本に来た場合で、国内では桃色の衣を着るさうだ。女性が橙色を着ないのは 比丘尼が消滅したことによる。消滅したには理由がある筈で、理由と将来の影響を調べず軽々に釈尊の時代に戻せといふのはよくない。十五年ほど前だらうか、インターネツトで欧米系の上座部仏教サイトがあり私もしばしば閲覧した。話題は比丘尼を復活させるべきかどうかを議論し終わり、比丘尼が誕生したといふところだつた。西洋人の外国に対する軽はずみな干渉に不愉快になつた。不愉快になつたことがもう1つあつた。出張でタイに二ヶ月ほど滞在したとき、ホテルが英字新聞を無料で配布してくれた。上座部仏教に比丘尼のゐないことへの批判、農村社会への批判がときどき乗り、このあたりから私は西洋人が西洋の感覚でアジアを見てはいけないし干渉をしてはいけないと強く感じるようになつた。
だから比丘尼復活運動には反対である。仮に将来認めるとしてもまづ消滅した理由と影響を調査すべきだ。一方で僧と信徒の中間のような扱ひの女性出家者の地位はもつと高めてもよい。ミヤンマーの女性出家者は離婚した人も多く低く見られる、タイの女性出家者はミヤンマーより更に地位が低い、といふ発表もあつた。しかしここに社会の共助機能が生きてゐることに注目すべきだ。離婚して生活に困れば出家すれば生活できるしご利益もあるといふことで心の安定にもなる。日本でもそのシステムを復活すべきだ。そのためにも僧侶妻帯と僧侶世襲は禁止すべきだ。
信徒はよく僧侶に相談するといふ発表もあつた。何人も順番に並ぶと他人に聞こへてしまふのに人生相談を僧侶にする。ここから上座部仏教のことを小乗仏教で出家者が修行するだけだと批判することは間違ひだといふことがよく判る。

十二月十四日(金)「外国の比丘との会話はパーリ語で」
私の質問に答へて、今はミヤンマー、タイ、スリランカなど他国の比丘との会話は英語を用いるといふ話もあつた。
実は参加前にこの懇談会は必ずしも私の期待する内容ではないかも知れないといふ危惧があつた。外国人との会話に英語ばかりを用いると考へ方が西洋式になる。ラテン語ならまだならないと思ふ。それは誰の母語でもないからである。大学といふ西洋式の教育組織で授業を受ければますます西洋的思考になる。
上座部仏教と大乗仏教の双方に仏陀の教へが伝はるとしたことについてA子さんが、何とかが仏陀の時代に存在したことが証明されなければ大乗仏教が正しくないとは云へないといふようなことを話したときに、そのことを改めて感じた。何を言つたのかよく解らなかつたが聞き直す必要は感じなかつた。何かが証明されないと何かだといふ考へ方はアジア的ではない。
もし上座部仏教だけが正しくて大乗仏教は駄目だと言はれたら私は、大乗仏教の地域性、伝統性を重視すべきだ、と反論しただらう。今回は逆だつたので私は上座部仏教を擁護する立場になつた。
外国間の比丘が話すときはパーリ語を用いるよう長期計画を立てるべきだ。今はコンピユータの発達が早いから、母国語をパーリ語に直すことは近い将来可能となる。発音はシンハラ人のパーリ語の発音を用いればよい。翻訳のときは同時にサンスクリツト語にもできるとよい。

十二月二十五日(火)「石田瑞麿『女犯(にょぼん)』、その一」
A子さんが「女犯」といふ書籍を推薦したので昨日読んだ。著者は石田瑞麿(みずまろ)で、浄土真宗本願寺派の寺院で生まれたが「仏教を研究するなら僧侶になるな」と父親に言はれて在家で通したさうだ。読んで呆れたのは、古代は誰がかういふことをした中世は誰が何をした近世はこんなことがあつたといふことが延々と羅列してある。
判りやすい例を挙げれば昭和二十年代はこんな交通違反があつた三十年代はこんな交通事故があつた四十年代はかうだつたといふことを延々と書き連ねたようなものだ。結論として、だから交通違反はしてもよいし交通事故も気にするな、とは絶対にならない。交通法規を守る人のほうが多いし、交通事故を起こさない人がほとんどだからだ。
石田氏は女犯した僧を羅列したが、戒律を守つた僧を羅列することはなぜしないのか。書籍のほとんどは戒律を守つた僧で埋め尽くされるだらう。
石田氏は結論として明治五年の明治政府の布告の「自今僧侶肉食妻帯、蓄髪等、可勝手事。」について、その二年前の布告「近世寺院之宗規、日ニ紊乱シテ本寺本山ト唱フルモノ、或ハ積徳・持戒之念慮ナク(中略)今後銘々自反(元にかえること)僧律ヲ守リ、文明維新之御主意ヲ奉体致旨被仰出候事」を踏まへもはや、僧風矯正に対して政治が関与しても無意味である」「政府は仏教界の動向をひややかに、静観しようとしたのではないか」と述べてゐる。
石田氏は過去も戒律が乱れてゐたことで僧侶妻帯を正当化しようとするが、江戸中期までは破戒僧がゐたとしても多くは戒律を守つた。乱れたのは幕末の混乱と廃仏毀釈が原因ではないのか。それは「今後銘々自反(元にかえること)僧律ヲ守リ」に現れてゐる。

十二月二十八日(金)「石田瑞麿『女犯(にょぼん)』、その二」
この本のよくないところは事実を羅列するのみで、背景を考察しないことだ。まづ日本に仏教が入つてきた。情報が少ないから戒律が不十分である。だから鑑真が何度も渡航に失敗し失明してまで日本に来たのではないのか。そして日本の仏教は為政者との関係が深いから統制は為政者側の都合であることが多い。だから朝廷や幕府との関係で戒律が厳しくなつたり緩くなつたりする。本来は宗団内で行ふべきだが為政側が宗内自治を好まなかつたのではないのか。
江戸時代になり幕府が仏教を切支丹禁制に利用し、後には戸籍制度として活用した。だから寺院は特権階級と化し寺院数が激増した。そして僧侶の質が低下した。そのことにも石田氏は触れない。
事実をありのままに正確に書くならそれは貴重な研究である。事実から背景を考察するならそれも貴重な研究である。しかし石田氏は戒律に違反した事例だけを無理やり探し出して羅列する。これでは何の価値もない。石田氏の経歴を見ると昭和十六年東京大学文学部印度哲学梵文学科卒業、文学博士、昭和六十年仏教伝道文化賞受賞。経歴だけは立派である。父親が学者にしようとしたのも無理はない。
明治維新以降現在に至るまで、幕末を生き抜いた人たちが亡くなつた後は、経歴だけが立派な連中が国や社会を駄目にした。戦前も戦後も今でもそれは変はらない。石田氏も日本の仏教界において同じ役割を果たした。(完)


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