三百八十、瀋秀園と川崎大師と千鳥町訪問記


平成25年
三月七日(木)「瀋秀園、その一」
先週の日曜に、自転車で川崎大師方面を走つた。瀋秀園といふ中国式庭園に行き当つた。十八年くらい前にも一度来たことがある。説明板を見ると瀋陽と川崎の姉妹都市提携五周年を記念して、瀋陽市から寄贈され昭和六十二年開園とある。川崎市からは大観覧車を瀋陽市に寄贈した。
十八年前は川崎大師に寄つたあと偶々見つけたので注意深く見なかつた。韓国庭園だと記憶してゐたくらいだつた。今回は時間を掛けて見学した。立派な庭園である。日本庭園とは異なるが、随所に共通点がある。天井や欄間に描かれた絵、屋根瓦、柱、柱に書かれた漢字。欧州の庭園と日本庭園ではまつたく共通点がないが、中国の庭園にはある。少なくともプラザ合意の前に育つた世代はさう感じる筈である。
プラザ合意で急激な円高になり、海外旅行に安く行けるようになり、しかも貿易黒字を観光旅行などサービス収支で帳尻を合はせようとする政府の無策で欧米かぶれが急増した。その世代にとつては共通点は感じないかも知れない。しかしそれは中国式庭園が変化したからではない。日本が急速に変化したからである。

三月九日(土)「瀋秀園、その二」
瀋秀園は川崎市立大師公園の一角にある。川崎市の二大名所は川崎大師と瀋秀園である。三大名所として仲見世通りを加へることもあるがこれは川崎大師の門前通りだから実質は二大名所である。
それとは別に、川崎からバスに十五分ほど乗ると市境を越へ横浜市に入つたところに県立三つ池公園があり、ここには韓国庭園がある。神奈川県と韓国京畿道との友好自治体を記念して作られた。ここも気に入つてゐるがコリア公園といふ軽薄な名前がよくない。これだと歴史の重みがまつたく感じられない。神奈川県庁にはろくな官僚がゐないらしい。韓国京畿道との関係で作つたのたがら韓国庭園でよいではないか。北朝鮮はどうするのかといはれさうだが北朝鮮の平安北道なりどこかと友好を結び朝鮮公園を作ればよい。一番よいのはコリア公園を高麗公園と改称することである。
日本人は目がアメリカにばかり向くが中国、韓国、東南アジアをもつと注目すべきだ。長い交流の歴史があるから文化の共通点が多い。日本のこれからの発展のヒントもたくさんあるに相違ない。

三月十日(日)「川崎大師」
瀋秀園の次に川崎大師に行つた。門前の商店街は貴重である。長野は善光寺の門前町が特長だし川崎は大師の商店街が特長である。さう言つてもよいくらいである。
境内に入り、私自身は申し込まないが護摩受付所に寄つた。申し込む人が二十人くらいで丁度よい混雑度だつた。これ以上混むとあわただしいし、少ないと心配になる。釈尊の時代と異なるとしても信者の期待に叶はうとすることは尊い。申し込んだ人達の願ひは是非叶へてほしいと思つた。
次いで経蔵に行つた。前回は見た記憶がない。説明版を見ると平成十六年の落慶である。経蔵の中に入れるとは幸せである。私の知る限り日本の寺院で経蔵に入れるのは川崎大師だけである。経蔵を出て境内を歩くと屋台が多数出て五百円くらいで食べられる。昼食を食べる多数の人で賑はつた。多数の屋台を見て川崎大師の境内こそ極楽ではないかと思つた。次に信徒会館に寄つた。左奥の三つの像は尊い。帰る前に薬師堂も寄つた。
勿論日本の仏教がよい訳がない。まづ檀家制度は止めるべきだ。東京電力ではあるまいし努力しなくて済む制度はよくない。

三月十三日(水)「京浜四大本山巡り」
境内の案内所で京浜四大本山巡りといふ朱印帳を販売してゐた。鶴見の総持寺、川崎大師、池上本門寺、芝の増上寺ださうだ。あれはよくない。例へば僧Xは他宗を批判して幾度も法難を受けた。だから四大本山は仲良くすべきではない。
私自身は上座部仏教にお参りをするが、瞑想の一環としてX経や題目もあると思ふ。そしてどの宗派も瞑想の一環として共存できる。しかし宗祖や高祖の苦難は尊重すべきで、総持寺に参拝したときは座禅一筋、増上寺をお参りしたときは阿弥陀仏一筋で行くべきだ。
私自身は昨年十月くらいから朝晩の通勤時に心の中でX経と題目を唱へ観念文はX寺と要法寺の中間くらいのものを用いるようにした。これは上座部仏教の瞑想の一環であるし、丁度子供の大学受験があるので大乗仏教の合格祈願でもある。僧Xはあれだけの大難を受けたのだからその方法に従へば現世利益があるかも知れないといふ瞑想である。だから川崎大師では多数の参拝者にご利益があればよいと思つた。しかし私自身は僧Xの瞑想を行ふ限り僧Xに従ひ本堂などを参拝はしなかつた。経蔵と信徒会館では経本と釈尊像に対する報恩としてお賽銭を上げた。薬師堂では無料のお茶を一杯飲んだからその分のお礼としてお賽銭を上げた。

三月十五日(金)「千鳥町」
川崎大師を退出の後は千鳥町に行つた。あの辺りに行くといつも旧塩浜駅の周囲を自転車で一周する。塩浜駅と呼ぶには訳がある。JR東海会長の葛西が先日TTPは安全保障で必要だととんでもないことを言つた。日米安保が軍事面に留まるなら問題はない。しかし必ず日本の文化を破壊し亡国に向ふ。葛西の発言はその一例である。といふことで今後はJR分割を無視することにした。JRが勝手に川崎貨物駅と改名したがこれも無視することにした。川崎貨物駅とは非常識な名称である。川崎駅から川崎貨物駅までの距離をコンパスで一周させれば横浜市内の生麦事件発生地や新鶴見操車場が多数の線路に分岐しそののち収束した地点に至る。新鶴見操車場は大きいから並行する南武線の尻手、矢向、鹿島田、平間と四駅に匹敵する。知らない人は川崎駅と川崎貨物駅を間違へる。常識があれば川崎臨海駅などにすべきだ。そもそも静岡鉄道管理局の貨物課長だつた葛西がなぜ東海道新幹線のJR東海の会長をやつてゐるのか。川崎から桜木町までの臨海部はかつては多数の引込み線があつた。今はほとんど廃止になつた。葛西など貨物関係者の責任である。

塩浜駅の周囲を一周するうち神奈川臨海鉄道千鳥線が今はだうなつてゐるか調べようと思ひついた。そして千鳥公園に至つた。通常は海底トンネルで東扇島に渡るのだが今回初めて千鳥公園の海岸側に行つた。走行する多数の船を眺めた。内陸に目を戻すと、頂上から炎を上げる煙突が3本あつた。川崎の工業地帯では、日によつて炎を上げる煙突が異なる。東海道本線と京浜東北線の多摩川鉄橋からも炎が見へる。
最初は自然に発火するのかと驚いたが、バーナーが頂上に付いてゐると思ふようになつた。(完)


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大乗仏教(禅、浄土、真言)その五

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