一四四、義母の葬儀
平成二十二年
十一月二十一日(日)「通夜」
義母が亡くなり一昨日仙台に行った。祭壇に三尊の図画が掲げられているので「お坊さんはたぶん曹洞宗だよ」と子供に説明した。果たしてそのとおりだった。お通夜では僧侶が修証義を読経した。
修証義は曹洞宗ではお経と同じに扱われる。これはいいことだ。漢文のお経を音読しても参列者は意味が判らない。
読経のあとに法話があった。最近の葬儀に参列して不満なのはお経だけ読んで帰る坊主が多いことである。特に真言宗がよくない。話は下手でもよい。熱意があれば「朝晩仏壇に手を合わせましょう」の一言だけでも参列者に通じる。それさえ言わないのが世襲坊主である。
義父の本家は岩手県、菩提寺は曹洞宗である。だから葬儀社に曹洞宗の僧侶を紹介してもらった。こういう僧侶は在家出身の僧侶かあるいは檀家数が少ないので熱心である。
修証義は大内青巒が道元の著書から抜粋し、のちに永平寺、総持寺が修正を加えた。青巒の弟は宮城県七ヶ浜で住職をしていた。修証義と宮城県の関係を質問したかったが、その機会がなかったのは残念だった。
十一月二十二日(月)「お釈迦様から九〇代目」
葬儀社の話によると岩手県は曹洞宗が多い。宮城県に転居する人が曹洞宗を続けるので檀家が増えているという。岩手県には正法寺という奥羽の本山格の古刹がある。一度お参りをしたいがバスが一日二往復なので行けないままになっていた。
本葬の最中に「血脈」と書かれた15cm四方くらいの厚紙を僧侶が祭壇に置き九〇代目だと唱えた。本葬が終了したのちに子供に「お釈迦様から数えて何十代目に当るインドの達磨大師が中国に仏教を伝え、道元禅師が中国に留学して曹洞宗を日本に伝えて永平寺を創り、その三代後の瑩山禅師が総持寺を創り、さっきの僧侶が八九代目でおばあさんが九〇代目だよ」と説明した。休憩の後に行われた初七日と四九日の法要で僧侶もこの話をされた。子供は「同じ話を二回聴いてしまった」と言っていた。しかしいい話は何回でも聴いたほうがいい。
曹洞宗は教えが素直である。そして曹洞宗と臨済宗の違いから、二五〇〇年間に分流した上座部仏教、各大乗仏教をまとめる鍵が見つかる。
十一月二十三日(火)「仏教再統一原理」
曹洞宗の座禅は何も考えずに非思量で瞑想をする。臨済宗の座禅は公案を解きながら瞑想をする。上座部仏教の座禅は呼吸や体の動きを注意したり数を数えたりしながら瞑想をする。しかしこの三つに本質の違いはない。
一方、浄土、法華、真言の各宗派は西方浄土や現世利益を願って礼拝する。礼拝することが非思量や公案の方法だと気が付けばこれも前の三つと相違はない。
つまり仏教各派の違いは教えが広まった地域、人心に応じて長い年月を経て発生したものであり、仏教の本質とは関係がない。違いを尊重することは先師、先達、先祖を尊重することであり、文化を尊重することである。
西洋では神を否定することは共産主義者にならない限りニヒリズムに陥る。アジアでは文化を否定するとニヒリズムに陥る。
十一月二十四日(水)「砂上の楼閣」
仙台市営のこの火葬場には煙突がない。ガスで再燃焼してすすや臭気を分解している。父が十年前に亡くなったときの都内の民間火葬場にも煙突がなかった。江戸時代は街の中に火葬場があった。臭気が漂うため郊外に移した。田舎は土葬だった。昭和六十年あたりまでは火葬場は高い煙突で臭気を防いだ。今は再燃焼している。しかし地球温暖化と引き換えである。現代人の繁栄は砂上の楼閣である。
十一月二十五日(木)「都会は道徳を破壊する」
岩手県組の人たちと歓談をしていたら、東京には青線というものが昔はあったと或る叔父が言った。一方、岩手県では外で酒を飲んだだけでも翌日は街中の噂になるそうである。
これだけ聞くと岩手県というのはずいぶん窮屈なところだとまず思ってしまう。外で酒を飲んだだけで岩手県中の噂になってしまうのである。そこまでは大げさではなく街中のうわさになってしまうのである。しかし都会が異常で田舎が本当の日本である。江戸時代にも都市はあったが今ほど大きくはなかった。そして今ほど過去と切り離された空間ではなかった。
十一月二十七日(土)「世襲僧侶の廃止を」
お通夜、出棺経、火葬場、本葬、初七日四九日法要と五回の読経でお布施が五十万円。このうち本葬と初七日四九日法要は二人の僧侶が読経した。三十万円というのもあるが五十万円を選んだ。
僧侶は人格と熱意と一日として怠らない修行であろう。この三つが備わった僧侶には月に二件の葬儀があれば生活と寺院の修理は可能であろう。葬儀は所属寺院に頼むのではなく、この三つが備わった僧侶に頼み、寺院は墓地の管理料のみに抑える。このようにしないと日本の既成宗教は再生できない。
そして家族がいると生活費が倍増するし金銭欲も出てくる。少しずつ改善し最終は明治維新より前の僧侶の妻帯禁止を目指すべきであろう。
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