三千五十五(普通のうた、朗詠のうた)最新の歌論文学論(発句取り、団栗の背比べ、縁語、循環)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月二十五日(木)
「奥の細道」の百句に、下の句を付けてみた。そのときは連歌を復活と名付けたが、連歌とはかなり異なる。そのため、「発句取り」と仮称した。発句の本歌取りである。 それでも、発句取りには意義がある。発句は、後方に下の句を付ける前提で作られることだ。明治以降の俳句と称するものは、団栗の背比べだ。
昔から詠まれた連歌復活を 目指してみたが美意識が異なるために変更し 発句取りにて新たな活路

反歌  昔から続くものには意義がある時代に合はせ新たな活路

十二月二十六日(金)
明治以降の俳諧発句が団栗の背比べになったのと同様に、明治以降の歌も団栗の背比べになった。その理由は、二段階に分かれる。一段階目は欧米の、ロマン派だ、自然主義だ、写実主義だ、と西洋の猿真似で無理やり別れた。
二段階目は、西洋の基準で分ける事が無理なので、全体が特徴のないものになった。そして微妙な心理描写などが基準になった。
以上の二段階をまとめて、歌の俳諧化と云へる。この殻を打ち破るには、江戸時代までに使はれた手法を、時には使ふことだ。
よろづ葉の時に始まり徳川の世に至るまで多く技あり

多く技には、枕詞、序詞、長歌と反歌、和語のみ使用、折句、旋頭歌と仏足石歌、散文への埋め込み、縁語、がある。

十二月二十八日(日)
最近力を入れるものが縁語だ。昨日「高市はガソリンに次ぎ予算案敗戦一位と二位へと燃える」を作ったが、「燃える」は「ガソリン」の縁語。人によっては、古今集に載った用例が縁語、とする。それだと現代ではほとんど使用機会が無いし、使っても美しさは感じない。古今集の時代に詠んだ人々のやり方を倣ひ、関係のある語が縁語、とするのがよい。
昔には無く、新たに試した技法に循環がある。「新しく気付きが毎日あることは若さを保つ秘訣に気付く」はその例だ。始めたばかりなので、今後伸びるかどうかは、分からない。(終)

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