三千五十(うた)ミャンマー経典学習会
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月二十二日(月)
昨日の午後二時から、経典学習会があった。十二時二十分に家を出発し、お寺まで歩いた。鉄道を使ふと(1)家から逆方向に駅まで徒歩、(2)JRと東武を三角形の二辺に乗り継ぐ、(3)駅から逆方向にお寺まで歩く。つまり全部合はせると、五角形の四辺を行くやうなものだ。それに対し、全部を歩けば、一辺だ。歩くと三十分余計に掛かるし、雨のときに大変だ。天気予報は曇り一時雨だったが、往復とも降らなかった。
仏道の修行に諸天味方する偶然なれど心は晴れる

参加は八名。瞑想リトリートの通訳は、いつもの方ではなかったので、今回はどなたかと思ったが、前から経典学習会の通訳をしてくださる方が引き続き担当された。
今回から「転法輪経(初転法輪経)」。世尊が初めての説法を、五人にされた。二つの極端を避ける、低俗と苦行。すると智慧を生じ、心の寂静、神通、正覚、涅槃へ。メモ書きによると
経を唱へる事も功徳になる。
割愛が原因、割愛は煩悩が原因。煩悩があるので、来世生まれる。道心(阿羅漢の手前)まで、割愛は続く。
パーリ語の、プナは新たに、バソガは生まれ変はる。

ここである語の日本語訳が「種性」と云ふ話が、参加者から助太刀であった。
今ここにゐるのは、過去に割愛。割愛だけではなく煩悩があるから。割愛は三つ。
(1)五欲は、実は六つ。色声香味触と法。好きなものを何回も、のほかに、嫌ひなものを避ける、もある。見た聞いたなどから、好き嫌ひを生じる前に止めるやうにする。我(私がゐる)は誰もが持ち、死んで体は無くなっても、我は続き次の体へ。
(2)虚無への割愛。来世は無いと思ってしまふ、望んでしまふ。断見。カルマを作る。悪いことをするやうになる。
ルパとマナを見て、ヴィパサナを。邪見二つを、仏教徒は持つことがない。

以上貴重なお話が合った。これ以外に
アサカ王と、奥さんウパティ。仏になる前の釈尊が、アサカ王の霊に対し、講演の虫にウパティがゐる。アサカ王と夫の虫とどちらが好きか尋ねたら、人間のときはアサカ王が好きだったが、今は虫の夫が好きだと答へた。

質問の時間に、五欲の法について、前五つを認識する心。これを説明すると一回分になるので、回を改めたい、との話もあった。
経典を読むのみにては 表層を流れる水と同じにて 深き中身を逃してしまふ

反歌  学習会一年ぶりの参加にも深さを知りて感激続く
初転法輪経の心の寂静、神通、正覚、涅槃は、順番表現として重要である。四聖道より、こちらのほうが重要である、なんて云っていいのか。しかしそれくらい重要である。
小生は、来世がある、にも、来世が無い、にも無関心で、この無関心が中道でちょうどよいと思ってきた。しかしこれでは駄目で、上記の(1)(2)が必要だと痛感した。
今朝は六時少し前まで、目が覚めなかった。冬至とは云へ、このやうなことは五年に一回だ。昨日往復歩いたので、疲れたか。しかし先月も往復歩いた。
経典の深さを知りて感動に心安らぎ眠りは深し

今回の往復では、幸魂大橋を渡る長さに気付いた。調べると地上から地上まで(階段なので車道よりは短い)2.5粁。全体が片道7.2粁なので、1/3を占める。初めて気付いた。
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新しく気付きが毎日あることは若さを保つ秘訣に気付く

同語を避けることが、最近小生の作り方だが、循環は枕詞、縁語、序詞と並ぶ技法かな。(終)
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