三千五十二(うた)連歌の書籍を読む
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月二十四日(水)
廣木一人「連歌入門」は一年くらい前に読んだことがある。今回連歌を作るに当り、再度読み、そして作った。今回は、作った後に黒岩淳「連歌を楽しむ」を読んだ。例として、水無瀬三吟百韻の表八句が載り
雪ながら山本かすむ夕べかな 宗祇
行く水とほく梅にほふさと 肖柏
川風に一むら柳春見えて 宗長
舟さす音もしるきあけがた 祇
月や猶霧わたる夜に殘るらん 柏
霜おく野はら秋は暮れけり 長
なく蟲の心ともなく草かれて 祇
かきねをとへばあらはなるみち 柏
短歌と連歌は、美意識がまったく異なる。廣木さんの本では、連歌の規則は繰り返しや輪廻を避けるなど、尤もな内容ばかりと感じた。ところが黒岩さんの本を読むと、規則は複雑で
第三の句は、「春見えて」のように、「て」止めとするのが一般的です。たまに「らん」止めもあります。
「春」という言葉があるので(中略)春の句であることがすぐわかりますが、「柳」も春の季語ですね。連歌には、式目というルールがあり、(中略)春の句は、三句~五句続けなければならない(中略)秋も三句から五句まで、夏・冬の句は一句で終わってもいいし、続けるなら三句まで(中略)可能です。一旦途切れたら、間を七句空けなければ同じ季節の句は詠むことができません。
増々短歌との乖離が、大きくなる。更に難しいのは、式目だ。これは省略した。そのつもりで廣木さんの本を読み返すと、
句が提示されると執筆はその句を採用してよいかどうかを宗匠に尋ねた。
これなら、詠む側は安心だ。
今回試みた「奥の細道」への連歌は、元が俳諧発句なので、俳諧連歌だ。廣木さんの本で、俳諧は
諧謔・滑稽などの意を持つ語で(中略)一般の連歌で用いられる言葉、表現内容が相違するということである。
黒岩さんの本では
漢語やカタカナ語は、俳言と呼ばれ、それが基本となると「俳諧連歌」「連句」になってしまいます。
「連句」とは黒岩さんの本末尾の用語集に
俳言を自由に使用する連歌。主として歌仙形式が用いられる。俳諧連歌を明治以降「連句」と称する。
とある。明治以降の「小説」「俳句」の用語は使はないので、「連句」も使はないやうにしたい。今回作った「奥の細道」への連歌は、先ほど述べたやうに、俳諧連歌だ。しかし短歌が漢語やカタカナ語を使ふやうになったので、俳諧連歌も単に連歌と呼ぶことにした。
敷島の和歌と連歌の違ひには 俳諧発句後ろなす歌と連歌の間より 遥か大きな隔たりがあり
反歌
俳諧の発句に次を詠むことに次へ上の句繋げるは良し(終)
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