三千六十一(うた)和歌、連歌、発句取りの目指す方向は異なる
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月二十九日(月)
和歌(長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌)と連歌は、目指す方向が逆だ。和歌は加点法、連歌は減点法である。
連歌は、式目に違反しない句を作ることを目的にする。減点法は、最初の持ち点から減点する。最初の持ち点とは連歌会の、有名な俳諧師や、高位の亭主だ。
これら二つに対して発句取りは、前後の句との関連を目指すから、連歌と同じく減点法だ。しかし連歌は式目に違反しないことを目指すので、これとは異なる。発句取りは、本来なら加点法を目指すべきだ。しかし、前後の句と関連を持ちながら、尚且つ文学性を求める事は、難しい。加点減点法が限度か。
芭蕉が参加した連歌会の、芭蕉の発句に続けてみた。原文は
傘(からかさ)におし分見たる柳かな   芭蕉
わか草青む塀の筑さし   濁子
おぼろ月いまだ巨燵にすくみゐて   涼葉

この二句目へ、新たに自作の句を入れると
家に戻りて雪振り払ふ

このあと四句目は「使の者に礼いふてやる」と、とんでもない駄作なので三句目までにした。連歌ではなく、俳諧連歌なので、この程度なのか、と落胆した。芭蕉を俳諧師として迎へた。そこだけが持ち点なのだらう。次にもう一つ
紫陽花や薮を小庭の別座舗  芭蕉
よき雨あひに作る茶俵   子珊
朔(ついたち)に鯛の小売の声聞て  杉風

この二句目を作ると
みそかに外の雑踏避ける

今回も四句目は「出駕篭の相手誘ふ起(おき)々」と駄作なので無視した。
俳諧連歌は駄目なので、普通の連歌を次に試さう。「文和千句第一百韻」(1355年)から
名はたかく声はうへなし郭公  救済
茂る木ながらみな松の風  良基
山かげはすずしき水の流れにて 永運
月はみねこそはじめなりけれ 周阿

この二句目を変へると
暑きを避けて森の中から

元の連歌は式目に従ふ。小生は、前後の句との関連に従ふ。俳諧連歌とは異なり、駄作感はない。しかし既に存在する連歌を修正してはいけない。今回は、俳諧連歌との違ひを見た。
奥の細道は、紀行記として優れる。そこに含まれる発句は、文学価値が高い。そのため、五十句を作ることができた。とは云へ、発句取りは、減点法だ。努力をしても加点減点法だ。小生のやうに、加点法は得意だが、減点法にすると駄目になる人間には向かない。これからは、歌に戻りたい。
寄り道もたまには楽し発句取り限りが見えて歌へと帰る
(終)

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