三千三十(うた)馬場紀寿「初期仏教」批判
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月八日(月)
馬場紀寿「初期仏教」は、前にも二回(一、二)取り上げたが、完全に忘れてゐた。二つを読み、今回書きたかった内容のほとんどは重複するので省いた。馬場さんが、小部は後世に経蔵に追加されたとすることは、これまでに取り上げたが、それが論蔵ではなく経蔵に追加された理由は述べてゐない。小部がまさしく釈尊の言葉だからではないのか。
これらがアショーカ王の碑文や律蔵や、経蔵の他の部でも、言及されるから、馬場さんは古いことを認める。ところが
仏教特有の語句がほとんどなく、むしろジャイナ教聖典や(中略)叙事詩と共通の詩や表現を多く含む。(中略)これらの仏典は、仏教外の苦行者文学を取り入れて(以下略)
釈尊は初期の頃に、仏法教団としてではなくバラモン教批判者として発言した。仏法特有の語句が無いのは、逆に古い時代のものであることを示す。
問題になるのは本生(ジャータカ)で、これは後世の作だらう。三蔵のなかに論蔵があるので、経蔵は論ではないやうに思はれるが論である。別の云ひ方をすれば、三蔵は資料集である。経集(スッタニパータ)と法句(ダンマパダ)は釈尊が直接話された言葉なので、三蔵へは入れなかった。後に布教用の本生その他が出来た。それらは重要文書なので小部としてまとめたが、後に分解する訳には行かずそのまま経蔵に入れた。これが真相ではないのか。
次の問題点として仏法とは、戒律を守り、止観行をして、悟りを得ることだ。戒定慧である。ところが馬場さんの主張だと、戒律を守ることと、止観を行なふことを無視して、経蔵から、それも小部を除いて「初期仏教ブッダの思想をたどる」としてゐる。
ブッダの思想とは、戒定慧だ。そして慧とは、止観のうち観の半分と礼拝行と、経典学習だ。馬場さんは、経典だけでブッダの思想をたどらうとするのだから、無理だ。
馬場さんの本音が現れるのは、あとがきの二頁前だ。
大乗仏典がスリランカへもたらされるようになった頃、(中略)上座部大寺派は、大乗とは全く異なる画期的な方法によって、「高貴な者」に新たな息吹を吹き込んだ。それは、「歴史」を作るということによってである。
島史のことだが、これ自体は神話であり、捏造とは云はない。「高貴な者」も、敬ふふりをして軽んじる。実に悪質なやり方である。
こうして史書により作られた歴史観に立って、上座部大寺派は、パーリ三蔵の正典化を完了し、大乗仏典を「非仏説」として排除する教理的根拠を作り上げた。
馬場なる男は、大乗を正当化し、上座部大寺派を悪く云ひたいだけだった。それなのに「初期仏教ブッダの思想をたどる」とは、ずいぶん大仰な物言ひである。
馬場本を中立立場で読み始め徹底批判で終止符を打つ
表題も「批判」の二文字を後から追加した。(終)
(12.09追記)部派仏法の時代まで、各部派は釈尊の時代から連続して来た。それに対し、大乗はやはり部派(おそらく有部)から分かれ、従ってこの時点では釈尊の時代から連続すると信じたい。しかし有部を批判することで箍(たが)が外れて、此の経を誹謗すると罰が当たるなど排他的になった。この時点で、不連続とするべきだらう。
部派に分かれる前の釈尊に近い時代に作った経蔵(1)と、部派時代に作った論蔵(2)と、部派の中のおそらく有部から分かれた大乗部派が作ったもの(3)と、排他的になってから作ったもの(4)、がある。馬場さんは、(2)までを三蔵とすることで(3)(4)を「非仏説」としたと批判的に述べた。しかし(3)はともかく、(4)は非仏説だ。
(12.10追記)馬場さんは、経蔵の相応部に
「韻文」の「諸経典」を批判する記述がある。
托鉢修行者たちよ、(中略)如来により説かれた、深遠な(中略)諸経典が語られているときは、聞こうとせず、(中略)しかし、彼らは、詩人たちによって作られた、(中略)[教えの]外部の、弟子たちによって説かれた諸経典が語られているときには、聞こうとし(以下略)
これはバラモンの修行者を批判したものだ。経蔵の小部に韻文があるからと云って、詩人が作った訳ではない。釈尊がそのまま説いたか、或いは記憶するときにしやすいやうに結集のときに整へられたか。
小部を経蔵に加へたのは、ブッダゴーサか或いは高僧たちの合議だったか、いづれにせよ相応部の経典は知ってゐたから、もし仏法の比丘を指すのであれば、加へる訳がない。
「初期仏法を尋ねる」(百九十九)
「原始仏法を尋ねる」(百九十九)
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