三千三十一(うた)短編物語(AI和尚二人が信徒団体独立を解析)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月九日(火 )
第一章 はじめに
良寛和尚と永禅和尚は、多くの漢詩、和歌、対談記録を残した。これらをAIに学習させ、二人の性格、考へ方を再生させた。そして二人は、明治以降の歴史を学習し、或る宗派から信徒団体が独立した現象を、解析してもらった。
この宗派の宗祖は、江戸時代末期の黒船襲来から先の戦争までは、国民の人気が高かった。宗祖の時代は元寇があり、今また西洋列強がある。日本が置かれた立場が同じ為だらう。今は時代が変はり、人気はなくなった。
正確に云へば先の戦争より後も、一回目の東京オリンピックがあった昭和三十九(1964)年頃までは、敗戦の影響が残ったので、まだ戦前の雰囲気を残した。しかしそれ以降は、経済成長の大波に飲み込まれた。
非常時用の仏法を、平和時に信仰すると、性格が悪くなる。だから解析はしないほうがいい。これが二人の一致した意見だった。そこを、日本の宗教学発展の為に、と頼みやっと実現した対談だった。
国柱会と本門寺など、三つの信徒団体と三つの宗派で、分かれる現象が起きた。そのうち一つはたまたま前を通った為に調べたら、分かれてはゐないが独立状態だった。これらのどの組み合はせかは特定せず、そして信徒側僧侶側のどちらにも加担せず、日本の宗教学発展の為、公平に見て行きたい。
黒船が現れた時 世界中ほぼ列強の植民地 残るは日本清とタイのみ

反歌  戦前は一人の宗祖三宗派三つの会が今には不明

第二章 永禅和尚曰く、どちらも問題がある
永禅和尚が云ふには、布教団体として始めた信徒団体が布教を停止したのだから、信徒団体が悪い。とは云へ、それを指摘しなかった宗派も悪い。戦争中に国家諌暁を主張した信徒団体を見殺しにして、自己保身した宗派はこの点でも悪い。

第三章 良寛和尚曰く、教義が悪い
良寛和尚が云ふには、この宗派は法主絶対、布教完成の暁には極楽となる、の教義を掲げる。それを信用して、信徒団体は布教に全力を入れた。増えた会員は、会長ファンクラブが多く、それと異なる性格の人は居づらいから布教完成の暁は来ない。それでも異論が出なかったのは、布教完成を目指したからだった。そして、会長の布教方法に太鼓判を押したのが法主だ。
悪いのは、法主絶対、布教完成の暁には極楽になる、の教義だ。

第四章 不仲にならない方法
それでは、宗派と信徒団体が不仲にならない方法は無かったのでせうか。永禅和尚が云ふには、僧侶は具足戒を受けるべきだと云ふ。良寛和尚は、読経のあと坐禅をするべきだと云ふ。
それは単に二和尚の宗旨を述べただけなので、別の方法として、宗議会に信徒団体を半数参加させるべきだった。本山と末寺は、昔からの檀家が総代だ。新しく信徒団体が寄進した寺は、信徒団体が総代だ。もし包括法人である宗派が信徒団体の意向に沿ひ過ぎるなら、昔から在る本山と末寺だけ離脱して、新しい宗派を作ればよい。
おそらく信徒団体が、包括法人を意のままにしよう、とは思はない筈だ。それは、宗議会に加はるうちに、信徒団体内にもいろいろな考へ方が出て来る。
それは宗派も同じだった。昭和二十年代は、法主の任期は七年で、宗議会は機能してゐた。引退法主もゐた。変になったのは、昭和三十年代中盤からだった。引退法主は必須で、ゐないときは現法主の引退を義務付けるべきだった。これが二和尚の一致した意見だった。尤も本当の一致した意見は
全宗派学派に戻り全僧侶自由往き来を目標として
(終)

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