三百二、顕正会入会記(その二、六千万人への道)

平成二十四年
九月十二日(水)「宗教と政治」
八年間で六千万人を達成するにはどうしたらよいだらうか。私なりに考へてみた。
創価学会が昭和三五年以降急上昇したのは選挙に進出したことが大きい。これで世間から注目を集めた。しかし組織と幹部に既得権を生み、これが活力低下の原因となつた。顕正会は一回限りで地方議会に立候補する方法がある。顕正会と国立戒壇建立を名乗り絶対に当選させる。二期以上議員をやると特権化するから一期に留める。国立戒壇建立の時も議員は全員非顕正会員で、全顕正会員の署名を受け入れる形で国立戒壇を可決する。これが望ましい。
それは八年後の話で、取りあへずは一期議員を出して世間の注目を集める。ここでかつての創価学会の時みたいに顕正会批判が起きるから、大論戦を展開すればよい。これで顕正会は困つた人が駆け込める宗教の地位を獲得できる。

九月十六日(日)「アジアの心、日本の心」
旧社会党は党内抗争にエネルギーのほとんどを費やし最後は消滅した。顕正会は旧社会党の二の舞を避けるため、創価学会との抗争は避けるべきだ。顕正会が人数を増やすと創価学会が対抗意識を持つ可能性が高い。当ホームページではときどき諸葛孔明や楠木正成を取り上げることがある。その訳はこの二人を取り上げることで創価学会がアジアの心と日本の心を取り戻せると考へるからである。
戸田第二代会長と池田第三代会長の違ひは世代の違ひである。それは敗戦により昭和元年あたり以降に生まれた世代はアジアの心と日本の心を失つたためである。創価学会がこれらを取り戻せば昭和四十年以前に戻ることも可能である。

九月十七日(月)「京都訪問」
労働組合の集会で京都を訪問した。往路の新幹線で新富士駅付近を走行するときに思つた。顕正会は解散命令を受けた後は富士大石寺の方角を向かひ遥拝を続けてゐる。その純粋な信心は立派である。
宗門側の折伏は大目的がないから誰も身が入らない。宗門独自でやつて行ける人数を確保しよう、創価学会に対抗しよう。そんな目的では誰も本気を出さない。国立戒壇と呼ぶか一国の戒壇と呼ぶか工夫の余地はある。ここは過去の経緯を水に流し顕正会を復帰させるべきだ。
そのときは私は宗門には行かないようにしようと思ふ。私は宗門側法華講のように、怠惰な連中が役員を締める組織は嫌ひである。もつとも顕正会が復帰すればそのやうな連中は自然淘汰されるが。

昔、法華講で奇妙なことをいふ人がゐた。常住ご本尊を持たない人は役員にしないと。大石寺に限らず日興門流の八本山は、各本山貫首しか本尊を書写できない。昭和三八年あたりから大石寺では信者の急拡大のため常住ご本尊は下付されなくなつた、宗制宗規は常住ご本尊を下付する規定が残つてゐたのだが。創価学会が破門になつた以降はどうなつたか不明である。
常住ご本尊を持たない人を役員にしないといふことは昔から信心をしてゐる(かどうかは不明だが名目上は墓檀家の)自分たちしか役員にしないといふことだ。信者のなかで役員にならうと思つて信心をする人は一人もゐない。だから誰が役員をやらうと一向に構はないが怠惰な連中が役員を占める組織は撲滅すべきだ。

九月十九日(水)「責任職と既得権職」
すべての役職は、責任職と既得権職に分類できる。そのことは判つてゐるつもりだつたが顕正会に入会して改めてそう思つた。役職者は折伏目標の人数のため毎日頑張つてゐる。そのことが判つただけでも顕正会に入会した価値がある。
中小企業の役職は概ね責任職だし官僚組織は既得権職である。日本だけではない。世界を見渡してもすべての役職はこの二種に分類できる。それにしても日本のシロアリ民主党と自民党は既得権職を代弁し自分たちも既得権職になりたいといふ実に腹黒い連中である。

九月二十日(木)「国民の感覚と乖離しない他宗批判、その一」
鎌倉時代は、大寺院が僧兵を持つてゐた。幕府や有力者とも繋がつてゐた。広大な荘園も持つてゐた。だからそのような宗派を攻撃することは当時の人々に支持された。しかし織田信長の時代の僧兵の解体や、江戸時代の寺請けによる寺院堕落を経て明治政府は仏教そのものを解体した。だから今は鎌倉時代と状況が異なる。
異なることは神天上の法門に見ることができる。日蓮大聖人は神札や神社参拝を禁止した。その理由は日本は謗法(他宗派を信じること)の国なので善神が国を捨て去り代はりに悪鬼が入り込んだためである。薩長政府は明治維新で神仏を分離し、僧侶妻帯を許可し、仏教は単なる葬祭業になつてしまつた。日本はもはや仏教国ではなく、神仏が分離し謗法とは切り離されたにも係はらず、先の敗戦を迎へた。つまり江戸時代といふ謗法の国のときは平和だつたが、神社を謗法から分離したとたん戦争が連続し最後は人類史上初めて原爆が使用された。他宗派が神社を祭る明治維新以前より悪くなつた。

九月二十一日(金)「国民の感覚と乖離しない他宗批判、その二」
消費税増税に多くの国民が反対する理由は、その非道徳性とその大嘘にある。鎌倉時代には多くの国民が他宗派攻撃を支持した。しかし今は得られない。まづ仏教は明治維新で壊滅したことを認識する必要がある。このようにいふと日本には多くの宗派が健在だと反論するだらう。しかし今存在する寺院は葬式仏教である。
明治維新の仏教壊滅は不十分だつた。それは葬式仏教で生き延びるとは誰も予想しなかつたためだ。顕正会は昭和四五年以前の創価学会と同じで大石寺の教義に忠実である。だから他宗派攻撃は激烈だが、今ではその矛先を堕落した仏教の壊滅が不十分だつた原因の葬式仏教に向けるべきだ。まづ墓地公営化法を可決させるべきだ。墓地の檀家はどの宗派でも他宗教でも無宗教でもよい。
それでも生き延びる宗教は鎌倉時代の既成宗教とは別だから攻撃をしない。顕正会は葬式仏教を攻撃することで国民の支持が得られる。(本当は僧侶妻帯も攻撃すべきだ。僧侶にも生活があるから妻帯僧は僧侶ではなく準僧侶の資格にして生活は今までどおりにすること、その前に自分の子どもは自分の弟子にはしないことをこれまで当ホームページは提案してきた。しかし顕正会が今後大石寺に復帰することを考へ、僧侶妻帯には言及しない)

九月二十二日(土)「可逆性の保障」
かつて社会党は、政権を取つたら元には戻れない制度を主張したこともあつた。つまり不可逆性である。これだと心配だから政権は取れなかつた。
顕正会は可逆性を保障すべきだ。大石寺支持勢力が国会の2/3を占めて憲法を改定し国立戒壇を決議する。その後、真宗大谷派が浄土真宗本願寺派と連立して政権を取れば国立戒壇の名称は廃止し首相の大谷祖廟公式参拝を実現する。その次は世俗勢力が政権を取つたり大石寺支持派が返り咲いたりするのがよい。

九月二十四日(月)「婦人部大会」
昨日顕正会の婦人部大会があつた。私は原発反対集会の帰りに顕正新聞を受け取つたが婦人部だつた関係で、今は婦人部組織に所属してゐる。入会した人はその組織で育成し、一人前になつたら男子部に移動させる。顕正会は昭和三十年代の創価学会を模範とするから、壮年部と婦人部と青年部(男子部、女子部)があつた。その後創価学会とは別の道を歩み、壮年部は戦力にならないので廃止し男子部に吸収した。
婦人部の全国大会が昨日あり、私も出席した。およそ1割は男子で、だから休憩のときは男子トイレも結構混んだ。

九月二十五日(火)「このままでは6千万人は不可能」
大会には私も意気込んで出席した。何しろ今年が婦人部、来年と再来年に女子部、男子部の大会を開催の後は8年後を目指して行はない。全国から来場するから、整理班、救護班、介護班、男子部による衛護隊が配置に付いてゐた。顕正会の衛護隊は創価学会や法華講連合会でいふ輸送班である。創価学会は昭和五十年ごろ輸送班を創価班と改名した。私は一日に入会したばかりだからもちろん何の役割もないが、元法華講連合会輸送班だから廊下を見て回つた。女子トイレは長蛇の列だが、廊下を進むと並んでゐないトイレもある。それを整理班や総合受付に連絡した。
だから時間がなくなり会場で弁当を食べようと思つたら余興が始まり、余興と余興の間の5分間に廊下のシヤツターの閉まつた立ち食ひ店舗のシヤツター前のテーブルの幅が15cmあるところにチラシ寿司の弁当を置いて立つて食べた。
そこまで意気込んで大会に臨んだのに、大会が終つたときこのままでは6千万人は無理だと心が沈んだ。全国から集まつたにしては水準が低い。公称会員150万人のうち実会員75万人、本部や東京会館に見られる熱心な活動家が全国に30万人はゐる。そう予測した。しかし私の席の周りの人達を見る限り、活動家ははるかに少ない。
例へば私の前の列にはお婆さんを筆頭におじいさんや大学生くらいの男子など7人くらい並んで座つた。暫くして別の中年の女性がおばあさんに向つて何か怒鳴つた。組織内で仲の悪い人がゐるのかと思つたが、30分後にこの女性が「あんたは班長や組長のいふことを聞かないで勝手なことばかりするのだから」とまた怒鳴り、弁当の数を数へるときも大変な苦労をしたから事情が判つた。私の隣の席のお婆さんは、浅井会長の講演の時にビニール袋に荷物を入れようと長時間に亘りガサガサと音を立てた。スーパーマーケツトの薄いビニールではなくユニクロなどの厚いビニールだからガサガサ大きな音がする。会長講演の後にまだ式次第が残つてゐるのに混雑をさけるためか帰つた。このままでは6千万人は不可能である。
とは言へ六千万人を信じて乗つた船である。次に対策を考へよう。

九月二十六日(水)「入会用のビラ」
原発反対集会のときに顕正新聞を受け取つたが、新聞は会員向けだから一般の人に必ずしも有効には機能しない。布教用のビラを会員が工夫して作つてももよいし組織が作つてもよい。その際に顕正会は数年前の強引な布教で逮捕者を出したから、インターネツトで見る限り評判が悪い。新興宗教ではなく七百数十年前から続くことと、布教こそ日蓮教義の根幹でありそれを実践してゐることを伝へる必要がある。

九月二十七日(木)「街頭布教活動」
世間の顕正会への誤解を解くには、街頭でいっせいに布教演説を行ふとよい。高圧的や教へてやるといふ態度ではなく、マイクを使はずへりくだつて布教させていただくといふ態度で好感を通行人に与へることが目的である。布教演説により入会する人は少ないが、好感度を増すことにより知人への折伏の大きな助力となる。
池上兄弟や四条金吾に見られるように知人への折伏は基本である。しかしそれには時機がある。新入会者があるとすぐその親戚や知人を折伏対象にしがちだが、これは顕正会の活動家比率の少ない一因と考へられる。まづ街頭布教を行ひ、折を見て縁故も折伏するといふ方法がよい。

九月二十八日(金)「既得権との闘ひ」
創価学会の或る最高幹部が昭和五二年頃に、創価学会は今の人数でやつて行く、人数を増やして反乱を起こされたら大変だ、と発言したことがある。創価学会は布教のための組織であり、広宣流布達成の後は解散するはずだつた。それがこの発言である。既得権に染まるとは恐ろしいことである。
顕正会も今後布教を拡大すると、どんな人が入るか判らない。その対策は立てるべきだが、一番の対策は生活指導と信心指導である。もし反乱する人がゐたら組織は別でも広宣流布はともに目指しませうと温かく送り出すくらいの慈悲が必要である。
選挙には進出しないほうがよい。十二日は世間の注目を集めるため150万人が投票すればと思つたが、世間の評判は布教演説で得るべきだ。創価学会は選挙の度に会員が集票活動をするが、毎回議員数が増へるなら活動の意義がある。活動しないと今の議員数を確保できないのならば、組織の活力を40年以上無駄に使つたことになる。そして竹入元委員長も矢野元委員長もその他の多くの議員も裏切つた。既得権とは恐ろしいものである。

九月二十九日(土)「日経ビジネスの記事」
日経ビジネスに営業コンサルタント横山信弘氏の「種まき水まきを習慣にしよう」といふ記事がある。概略を以下に記す。 横山信弘氏の話で注目すべきは連続五回優しく水をまくといふ部分である。これで人間性が試される。営業はとかく売上げだけを気にする強引な連中が多いが、この方法でそういふ連中は顧客側から排除される。

顕正会の布教を考へると、最初に顕正会だと名乗ることは必須である。布教を隠して世間話ばかりしてはかへつて不信感を与へる。優しく水をまく部分は街頭布教で行ふべきだ。全国一斉に街頭布教をすれば国民に馴染みになる。五回聴けば顕正会への信頼感も生まれる。そこで折伏に行くと効果が上がる。
街頭演説を聴いて入会を希望する人は地元の組織で受け入れるとよい。地元だとしよつちゆう顔を合はせから縁故も同然である。全国に地元受け入れ担当を決めるとよい。顕正会員にも折伏の得手不得手がある。そういふ人は地元受け入れで活躍の場を作れば活動家増大にも繋がる。


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