三千(朗詠のうた)歌論文学論(短編物語、心が文に表れる)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月十七日(月)
現在進行中の短編物語は、二十四に達した。これは会津の巨城が始まりで、会津旅行の後に、向羽黒の巨城跡を知ったことに縁る。
水上旅行の後に、若山牧水への本歌取りに始まり、本歌取りが三十七続いたことに続く。尤も旅行が、いつも新しい文学の試みになるとは限らない。近江へは二回行ったが、まったく影響が無かった。
コロナ騒ぎで、ミャンマーの経典学習会がかなり長期に亘って休止になった。母が、デイサービスへ行く時と帰る時に、家にゐないとならなくなった。そのため南伝仏法と疎遠になり、その間に良寛和尚を調べることが進んだ。それが原因で、ますます南伝仏法と疎遠になったが、九日前に南伝仏法にも関係する医師の講演を聴く機会があり、再び南伝仏法に軸足が戻った。そのため借りた三冊のうち二冊は、あまり読まずに返却した。もう一冊のNHK出版のものは、もともと出来が悪く返却した。
草枕旅と文との関りは 奥の細道筆がしら 伊勢物語二つ目に 数を越えての物語かな
反歌発句
旅と文すべての人が生き草枕
「生き草枕」は「生きる旅かも」だと、「旅」が重複するので避けた。重複は禁句ではないが、心のうちでは禁句になった。
十一月十八日(火)
昨日南伝仏法の話をしたのは、心は文章に影響する。詳細に述べると、心は文体には影響しないが、内容に影響する。そして、内容は文体に影響する。つまり、心は間接で影響する。
南伝仏法について、来週の土曜から祝日の月曜まで、和光のお寺で瞑想会がある。月曜は母の見送りを妻に頼み、参加したい気持ちはある。しかし妨げる要素もある。家からお寺は、直線距離で6Km、道路では7Kmだが、バス、武蔵野線、東上線、バスと乗り換へが多い。バスはそれぞれ歩いても20分弱なので、歩く方法もある。日本人は歩くが、ミャンマー人はバスに乗る。
日本とミャンマーの価格差を考へると、ミャンマー人が歩きさうだが、日本に住むミャンマー人は仕事があるから、日本の価格に慣れてゐる。そしてミャンマーの国内は暑いから、遠くまでは歩かない。そのため、逆転現象が起きる。
交通機関が参加の障害だ。かつては自転車で行ったが、今は危ないので廃車にした。
肝向かふ心が響く歌と文中が良ければ見栄へは光る
もう一つ障害がある。長時間瞑想をすると、肩こりが起きる。
十一月十九日(水)
妻に、月曜の送り出しを頼み、瞑想会へ出席する事にした。文体がどれだけ変はるか、楽しみだ。
歌作り心を正し文をも直す 三(さき)枝(くさ)の中を正せば外まで光る(終)
「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百九十)
「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百九十二)うた(一千五百四十一)
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