三千三十三(朗詠のうた)最新の歌論文学論(短編物語を四十)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十二月十日(水)
短編物語を作り始めて分かったことは、筋書きの流動性だ。以前推理ドラマで、最後に逆転があり、今まで善人だった人が犯人のことがよくあった。原作者は、犯人が分からないやうに、わざとひねくれた筋書きにしたのだな、と作者に不快感を持った。しかしこれは、流動性の為せる技だった。
流動性は、別の言ひ方では不確定性だ。登場人物と状況を決めれば、あとは次々に、起きることが繋がる。つまり最初の時点では、結末は分からない。これまでに作った「戦争が引き分けだったら」についても、起きることを次々に並べた。かう云ふ結末にしようとは、まったく考へなかった。
推理ドラマでは、最初に殺人事件が起きるが、この時点では二通りやり方がある。犯人を最初から決める場合と、決めない場合だ。推理物語は作らないので、これ以上は分からない。
十二月十一日(木)
歌も、序詞や縁語を作る時は使ふつもりがなかったのに作ってみたら、使ったまたは少し直せば使ふ歌になる、と云ふことがときどき起きる。少し直せば使ふ歌になるときは、無論使用する。次に枕詞の場合は、第一句の時は最初から付けるが、途中に入れる場合はこれも結果として使った歌になった、の現象が起きる。
歌と物語は、完成するまでは生き物だ。完成すれば化石になるが、推敲すればまた蘇る。
秋津洲やまとの歌と物語血の満ち引きと息の入れ出し
十二月十二日(金)
来年の歌会始めは、お題が「明」だと昨日知った。締め切りが九月なので、今さら知ってもしょうがないではないか、と云はれさうだ。しかし天皇様を始め、たくさんの人達が年内に詠むのに、小生はいつも歌会始めのニュースを見てからだ。つまり、完全に忘れてゐる。そこで今回は、年内に作った。
年明けの歌作りには 我が歌も年明け前に 頭へはうたかいはじめ冠として
反歌
海原を高く登る陽輝きは命の元もはじめは微か
「明」を使ってゐないではないか、と云はれさうだ。隠喩として使った。それでは駄目だと云ふのなら
明るしを隠す譬に使ふ歌題に非ずと云はれれば 表に出して復た作る歌の命は多し喜ぶ
反歌
海原を高く明るし隠し雲今陽が出るぞはじめ一筋
推敲に近い作り方で新しい歌も、よいものだ。これは、本歌取りを兼ねる。(終)
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