二千九百九十九(うた)短編物語「光秀山崎で戦はず」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月十七日(月)
第一章 京都撤退
織田信長を打ち取った光秀に対し、予想外のことが起きた。毛利と戦闘中の秀吉が、急遽引き返してきた。最低でも三ヶ月は掛かると見てゐたが、それなら光秀は京都から撤退がよい。安土城と坂本城と亀山城に撤退した。
昔よりひとたび京を占めたとき立ち退くことは難しく 義仲死すはその典型に
反歌
光秀が京の魅力を越えたなら権力者へと復帰の道も
秀吉軍は、所詮寄せ集めである。光秀が三つの城のどこにゐるのかも不明だし、最初は包囲したものの、櫛の歯が欠けるように少なくなって行った。光秀は毛利と連携し、毛利軍が近畿を目指して進軍してきた。秀吉は毛利と有利に和睦するためにも、戦ふために急いで引き返した。信長が死んだだけに、五分に持って行かないと和解は無理になった。
第二章 長期戦
光秀の狙ひは長期戦だった。信長は、晩年に狂った。信長近くの者は、皆が知ってゐた。知らないのは細川幽斎など、信長の日常に接する機会がない者たちだった。狂っても、家臣が来たときは形式ばった挨拶なので、誤魔化すことができた。
昔から勝ちて兜の尾を締めよ 普通の人は慢心を織田信長は狂ひ始める
反歌
秀吉は勝ちて兜の尾を締めず朝鮮を攻め唐土までも
反歌
家康は勝ちて兜の尾を締めず下を虐げ直訴は死罪
しかし数ヶ月を経るうちに内情が分かり、光秀こそ常識を持った天下人、と大名たちに思はれるやうになった。そもそも秀吉も、信長については狂った、の感覚しかなかった。本能寺の変を聞いた時は、内心喜んだが、黒田官兵衛にそのことを見透かされて、いや天下を取れる喜びだ、と誤魔化したくらいだった。
第三章 将軍京都へ
この混乱をまとめるには、将軍しかゐない。毛利に逃げ込んだ将軍が、京都へ戻った。明智と毛利が管領家になり、他の大名は直臣、織田の家中は別々の大名の家臣、つまり将軍から見れば陪臣になるべきところを、特別に直臣の上に領土を安堵、と云はれ、皆が喜んだ。羽柴秀吉は、百姓のせがれが将軍の直臣だ、と一番喜んだくらいだった。
信長が死して喜ぶ近き者遠き人々それが分からず
大名たちは、戦疲れしてゐた。ここらあたりで安堵したい。誰もがさう考へた。そのため幕府に反抗する者は現れなかった。(終)
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