二百九十二、都労委と中労委の事務局は中立か(小宮山洋子批判、その六)

平成二十四年
七月十日(火)「都労委事務局」
私の所属する労働組合は中労委に再審申立をして一年以上争つてきた。和解しようと努力した三者委員には心から敬意を表する。さて、都労委の命令に対して中労委に再審申立をした理由は偏に都労委の事務局にある。都労委の担当者は定年間際の女性だつた。この女性の名前をいふと組合関係者は皆顔をしかめた。「あの人は個人加盟労組が嫌いだ」「意地悪だ」「落とし穴があるから気をつけろ」。
実際に落とし穴があつた。通勤定期代は6ヶ月に1回支払はれる。その通勤定期代を支給した月の支給額を会社側が提出した。労組側は6ヶ月に1回しか支給されない月を提示すれは毎月それだけもらつてゐると思はれるし、そもそも通勤定期代は賃金に含めるべきではないと主張した。ところが都労委の命令にはこの資料を引用してゐた。
そのため中労委に再審申立をした。中労委の事務局は都労委の事務局の女と違つて中立であつた。ところが結審の二回前の調査(裁判でいふ法廷)で事務局の担当者が突然別の人に変はつた。

七月十日(火)その二「中労委結審」
結審の1回前の調査では、陳述書を労使双方が出し、それへの反論を結審の一週間前に出すやう指示があつた。労組はそれに従つた。ところが使用者側は反論を提出しなかつた。
当然使用者側の最終陳述はないまま結審のはずである。ところが結審で、結審の一ヶ月後までに結審日の日付で最終陳述書を提出することになつた。これでは使用者側は労働側の最終陳述を見て反論できる。労働側は反論ができない。これほどの不公正はない。しかし三者委員に敬意を表し従ふ予定であつた。ところが事務局が電話で疎明書と労働組合該当書を出せといふ。最終陳述書なら今日にでも出せるが疎明書とは何のことか判らぬ。労働組合該当書は意味は判るが何を書けばいいか判らない。穏健、普通、過激と書いて過激に丸をつけて提出すればいいのか。疎明書と労働組合該当書をすぐに出せる訳がない。
私の頭に浮かんだのは、当ホームページが厚労相の小宮山を批判したことと、消費税に反対し財務省を批判したことである。財務省の官僚が厚労省の官僚に電話する。あり得る話である。事務局は中立では有り得ない。

七月十一日(水)「かつての職員」
かつては都労委や中労委の事務局にも、労働基準監督官にも、都道府県の労政事務所にも、弱者の側に立つて熱心に職務を遂行してくれる人がゐた。社会党員だと言ふ人もゐた。かつての総資本対総労働のよき時代の話であつた。
今はどうか。公務員と大手の社員はもはや弱者ではなくなつた。しかし中小では退職勧奨や解雇が後を絶たない。更にその下の派遣や有期雇用も出現した。本当の弱者を置き去りにして必要のないところに労働組合がある。
大企業のほとんどがユニオンシヨツプである。労組に入りたくない人が強制加盟させられる。しかし組合で波風を立てると昇進に影響するから黙つてゐる。会社側も労組を第二職制として活用する。世界でも日本でしか起こらない現象である。農民一揆の伝統に従はず西洋の労働組合の都合のいいところだけを真似するからかういふことになる。

七月十二日(木)「大労組は労働委員会に人を出すな」
労組関係者が顔をしかめる都労委事務局職員の夫は連合の要職であつた。あの当時は我々の労組も連合に加盟してゐたのにこの状態である。大企業労組は労組とは言へない。不当労働行為は存在しない。そんな連中が労働側委員をやつても不当労働行為の審査などできない。
労組関係者の間で言はれてゐることがある。労働側委員より使用者側委員のほうがまともである。

七月十五日(日)「退化した通信手段」
事務局の前の担当者とは電子メールで一年間行つてゐたのに事務局の担当が替はつたら電話で連絡を寄こすやうになつた。連絡手段の退化である。
電話の内容は疎明書と労働組合該当書を出せといふ件である。どちらもあつた。疎明書とは労働組合の人数や支部数などを書いた書類のことだつた。委員長が今年の一月に提出しようとしたところ要らないと言はれて保管してゐた。なぜ今ごろになつて要るといふのか不明だが、ともかく結審の1ヵ月後(土曜だからその前日の十三日)に、六月十四日付の最終陳述書とともに郵便で送ることができた。

七月二十二日(日)「弁護士を公益委員にすることは考へものだ」
都労委で弁護士を公益委員にすることが多い。これは考へ物である。弁護士には労働側弁護士と、会社側の労働問題を扱ふ弁護士がゐる。かういふ人達を公益委員にするなら労働問題に詳しいから問題はない。しかし労働側か使用者側だから公益委員にはしにくい。そこで無関係な弁護士を公益委員に任命するのだがこれはよくない。労働問題を知らないから非常識な発言があつたりする。「あんな弁護士が公益委員では駄目だ」と労組の会議では不満が爆発する。
団体交渉で、会社側の顧問弁護士かなんかで労働問題に詳しくない人が出てくることもある。これもやめてもらいたい。団体交渉で社長が発言してゐるのに弁護士が横から口を出し「あんたの話を聞いてゐるのではない」「後で聞くからまづ社長の話を聞きたい」と口論が激化しつひに「黙れ」と言つたらその弁護士はそれ以降一言も話さなくなつただとか、弁護士事務所で団交をやつてゐたら会社側弁護士が「出て行つてくれ」といふから「それなら出て行きますよ」と団交が中断したといふ例もある。労働紛争が長引くばかりである。

七月二十四日(火)「岡田か小宮山を罷免しろ」
岡田が一昨日小樽で「税収が減る中、社会保障費は膨らみ続ける。将来にツケを回さないために、今やらなければならない」と言つた。まづ増税が必要なら直間比率を変へずに全体を上げるべきだ。一方で負担能力を考へれば直接税を上げるべきだ。今回の増税はそのどちらでもない。民主党新自由主義派は国民の生活を考へないといふとんでもない連中である。
「税収が減る中」といふが小宮山は総合こども園の給料を上げるのに使ふと日本記者クラブで言つてゐる(小宮山洋子批判、その四)。野田は岡田か小宮山のどちらかを罷免すべきだ。
函館では「4年間は増税しないと言っておきながら、増税を決めたのは申し訳ない。増税分は社会保障の財源になるので、理解願いたい」とうそぶいた。申し訳ないでは済まされない。野田内閣は増税を撤回し全員辞職すべきだ。社会保障の財源になるといふが、社会保障は政府の義務である。なぜ消費税に限るのか。しかも社会保障とは所得再配分である。逆進性の著しい消費税を使ひ再配分するのは筋が通らない。

七月二十五日(水)「小宮山が馬脚を現はした」
小宮山がつひに馬脚を現はした。衆議院厚生労働委員会で労働契約法改正案が可決された。我々の労組はこれまで社民党、民主党、民主党離党者、国民新党(亀井派)などの議員に面会し反対を陳情してきた。委員会の傍聴、お昼からの抗議行動にも労組は参加した。小宮山はとんでもない女である。といふか小宮山が所属する野田前原グループはとんでもないグループである。自分の議席とマスコミに目立つこととアメリカのご機嫌取りしか考へない。国民のことを考へないからこんな法律が通る。
非正規雇用を認めたら、我々の世代はよいが子供や孫の世代は大変なことになる。否、既にさうなつてしまつた。民主党大嘘派はそんなことも判らないのか。野田と小宮山はパナソニツク労組出身の怪しげなニセ労組会長ではなく、国民の声を聴け。総評が健全だつた時代には派遣労働も有期雇用もなかつた。これらが現れたのは連合の前進である全民労協が現れてからだ。パナソニツク出身の怪しげな連合会長は、これまでの連合の活動を反省すべきだ。

七月二十六日(木)「小宮山の無能が明らかになつた」
数日前に東電下請けの原発作業員が作業員の線量計を鉛板で覆つた事件が明るみに出た。これに対して小宮山は「労働者の被ばく管理の根本を揺るがす問題であり、事実であるなら極めて遺憾だ」と記者会見で述べた。「事実であるならば」ではなく事実である。数日前から各紙、各テレビが報道してきた。なぜ今頃になつてそんなことを言つてゐるのか。
駄目な政治屋ほど「遺憾」といふ言葉を好む。小宮山は「遺憾」だと発言したが東電を批判したのか下請けを批判したのかそれとも自分の無能を反省したのか。「遺憾」といふ語は意味不明である。

七月二十八日(土)「政府と東京を無視して地方から日本を再生しよう」
都労委と中労委の事務局は駄目だが、地方ではがんばつてゐるところが多い。福島県労働委員会では十年前からメールマガジンを発行してゐる。私は創刊号からの読者である。昨日号の最初の部分を以下に抜粋しよう。
                                               2012年7月27日発行
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  <No.215>

              ◇  うつくしま労委メールマガジン   ◇ 

                       発行:福島県労働委員会
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 (中略)

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                ◆目 次◆
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1.労委の窓
  「労働相談」 
                        
2.労使困りごと相談Q&A
  「賃金台帳の記入事項について」 ~労働者からの質問~
                            
3.裁判例紹介

九州の或る国立大学の院生と2ヶ月前、同じく九州から来た労組役員と1ヶ月前に話をする機会があつた。二人とも「東京は日本ではないみたいですね」と驚いてゐた。昔は東京も高層ビルは霞ヶ関と浜松町しかなかつた。今はやたらと高層ビルが多い。確かに見渡せば東京は日本ではない。
地方から日本を再生するしかない。東京はアメリカの猿真似が過ぎてもはや日本ではなくなつた。労働委員会も同じである。地方にはかつての労使の香りがまだ残る。
福島県について言へば、東北線沿線は東京弁でも話す人が多いのに対して、二十年前に常磐線沿線を訪れて道を聞いたところ30代くらいの人が東北の発音で教へてくれて、素朴さを感じたものだつた。常磐線沿線は農業がさかんだつた。その常磐線沿線が福島原発で大変なことになつてゐる。


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