二百九十一、トロツキー(その二、文化革命論)
平成二十四年
七月十四日(土)「和田あき子訳」
和田あき子訳トロツキー「文化革命論」といふ本がある。芸能人の和田アキ子ではない。和田あき子さんはたぶんロシア語の専門家でトロツキーにも造詣が深いのだらう。一九二七年にソ連国立出版所から出版された『トロツキー著作集』第二一巻「過渡期の文化」を日本語訳にしたものである。一九二一年から一九二七年までのトロツキーの演説、論文などを集めたものである。
これを読むとトロツキーには権力性がまつたく感じられない。権力者は堕落するが、トロツキーが堕落しないのは性格なのだらうか。或いはレーニンに次ぐナンバー2の地位に留まり、レーニン無き後はスターリンとの抗争があつたためだらうか。いづれにせよこの著作を読むと、レーニン自身も権力とは無縁の人だつたのではといふことが浮かんで来る。
七月十五日(日)「一九二一年一〇月の論文」
一九二一年一〇月一日のプラウダに掲載された論文は「ささいなことに注意を」と題が付けられてゐる。「破壊された経済を復興しなければならない。建設し、生産し、修理し、補修しなければならない。(中略)経済過程というものは一つ一つの部分から、細部、部分、些事からなり立っている」で始まるこの論文は、トロツキーが細かいことにも気が付く人物であることが判る。
現在の生産状態のもとで、軍服と靴を軍隊に保障することは、容易ならざる課題である。調達機関はたびたび大きな停滞をひき起こす。それにもかかわらず、軍服や靴の保存について適宜な補修についての注意深い最新の配慮は、ほとんどみられない。(中略)靴ずみのぬってない長靴は、とくにもし濡れれば、すっかり乾ききるまでには何週間もかかる。
一九二三年にこの一文が書籍に収録される際にトロツキーは「この章は二年前に書かれたものである。今日軍隊においては銃や靴は当時とは比較にならないほど注意深く取り扱われている。しかし一般に『ささいなことに注意を』というスローガンはいまも全面的に有効性をもちつづけている」と付してゐる。
こまかいことやささいなことに対する注意というと、われわれのところでは官僚主義と混同されがちだ。だがそれはとんでもない誤解である。官僚主義は、内容や事柄にはかまわずに、空虚な形式に注意を払う。官僚主義は形式主義に陥り、つまらないことにかかずらわっていて、実際的な細部には眼もくれない。それどころか逆に、官僚主義というやつは、事物をなしている実際的なこまごまとしたことをつねに回避して、文書上の辻褄を合わせることだけに気を配っているのである。
こののちトロツキーとスターリンの構想が始まり、トロツキーはスターリンを官僚主義と攻撃するようになる。トロツキーのこの気配りが旧ソ連にあれば、崩壊することはなかつたのではないのか。
七月十五日(日)その二「人は政治のみによって生きるにあらず」
一九二三年七月十日のプラウダに載つたこの論文は、共産主義が唯物論を克服するものである。
いまわれわれに必要なのは、仕事における文化、生活における文化、日常生活における文化である。
スターリンはソ連に上から押し付けてプロレタリア文化を創らうとした。毛沢東も旧文化を破壊する文化大革命を実行した。しかしトロツキーは「プロレタリア文化」を実験室的方法によってつくり出そうとする傲慢な方法と一九二三年に既に批判してゐた。西ヨーロツパと比較してトロツキーは
わが国の労働者は---その最上層部をのぞくと---ごく普通の文化的習慣や意識(身だしなみ、読み書き、几帳面等々のこと)を全面的に欠いている。ヨーロッパの労働者は長いあいだにだんだんに、ブルジョワ体制の枠内で、これらの習慣を身につけてきた。そのために彼らは、その上層を通して---民主主義、自由な資本主義的ジャーナリズム、そのほかの福祉をもったブルジョワ体制と非常に強く癒着してしまった。
トロツキーのいふ文化が、人造のプロレタリア文化ではなく、西洋文化でないことも明らかである。戦後の日本で安保反対闘争や社会党総評ブロツク、共産党による社会主義路線が人気を得た理由は、西洋化による生活破壊に対する国民の抵抗に他ならない。
もちろん民主主義や自由や福祉はこれからも進めなくてはいけない。これらは経済の発展と技術の進歩に伴い可能になつた。決して西洋から入つたものではない。その証拠に明治維新後も長いこと普通選挙は実施されなかつた。経済の自由化が為されたのは昭和六十年あたりからである。
七月十五日(日)その三「ヴォトカ、教会、映画」
4週間前に図書館から借りたトロツキーの本6冊は、本日が返却期限である。といふことで昨日と今日でトロツキーが進展してゐる。
一九二三年七月十二日にプラウダに載つたこの論文では、
労働者国家は精神的教団でもなければ、修道院でもない。われわれは、自然がつくったままの人間、古い社会に一部分教育され、一部分損なわれたままの人間をたいせつにする。(中略)楽しみたい、気楽に暮らしたい、しばらくぼんやりしていたい、笑い興じたいといった願望は人間本性のきわめて当然の願望だ。
これはまつたく同感である。教団や修道院は希望者だけが参拝する。一方で国家は住民総てが影響を受ける。国家を教団や修道院にしてはいけないのは当然である。しかしトロツキーはこの文に続けて
われわれは、この欲求にますます高い芸術的質をもったすべての満足を与えると同時に、教育的監督や、無理強いして心理の道へむかわしめるのではなく、娯楽を集団教育の武器とすることができるし、しなければならない。
これには100%反対である。娯楽は誰かが下心を持つて操作してはいけない。戦後のテレビが昭和四〇年あたりから特にポツプスやアメリカのスターを登場させ視聴者に拝米を植えつけてきた。数年前に見つけたのだが子供向け雑誌に米軍が主人公の漫画が載つてゐた。かういふものを見て育つたら属領根性丸出しの大人に育つだらうと心配になつた。娯楽に目的を持つとはかういふことである。
娯楽は真夏の夕涼みに近所が将棋をやつたり盆踊りに行つたり浪曲を聴く。庶民の素朴な楽しみでなくてはいけない。
ロシアの労働者階級の中には宗教心などほとんど完全にない。(中略)正教の教会は習慣になった儀式であり、官製の組織に過ぎなかつた。(中略)ここでも原因はやはり、教会をも含めた古いロシアの非文化性にあった。
教会が皇帝と結びつき官製の組織となつたことは、共産主義が宗教を軽視する大きな原因になつた。宗教を生活の習慣と見抜いたのは鋭い。その通りである。宗教は習慣である。習慣を破壊すると世の中は不安定になる。道徳崩壊社会といつてもよい。資本主義とともに世の中は不安定になつた。だからその経済上の補正手段として社会主義が出たのだが、当時は科学は進歩すると考へられた。だから宗教は不要になると信じられた。しかし今でも初詣に行く人は多いし、それ以外の宗教行事も多い。この事実に気が付けば、各国の共産党や共産主義団体(日本では新社会党、第4インター、中核派、革マル派など)は党員の宗教団体への参加を推奨してもよいくらいである。
七月十五日(日)その四「古い家庭から---新しい家庭へ」
同じく七月十二日に載つたこの論文では、
今日どれほど家庭的絆が以前よりもやすやすと頻繁にこわれている(紙の上ではなく、実生活の中で)か、簡単には言えない。(中略)プロレタリアの家庭をも含めて家庭がぐらついていることを認めざるをえない。この事実は、モスクワ市のアジテーターたちの懇談会でもまったく確かなこととみなされ、だれひとり異議をさしはさむ者はなかった。
新しいことを新しいという理由で始めると不安定になる。現状に問題
があるから改善する。これなら問題は起きない。まづ新しいことが何でもよいとする風潮は改めなくてはいけない。新しいことは選択肢が多い。つまり不確実性が高い。この場合の解決法はロシア正教と連携すべきだつた。
ロシア労働者は、生活のいろいろな分野で、権力掌握後はじめて、いま文化的第一歩を意識的に踏み出さなければならない。強力なゆさぶりに影響をうけてはじめて個性は慣習になった、伝統的な、教会的な形式や関係を断ち切っていくのだ。---よしんば古いものに対する個性の抵抗や決起が、はじめのうちはアナーキーな、より乱暴な表現をすれば、放埓な形式をとったとしても不思議だろうか?(中略)「極左」、パルチザン主義、会議主義といったあらゆる形をとったアナーキーな個人主義がそうだ。なかんずく、このプロセスが、家庭の分野でもっともインチメントな、それゆえにもっとも病的な表現をとったとしても、不思議だろうか?この場合、自分の生活を古いものに従ってではなく、新式にうち立てたいと思っている目ざめた個性は、「放蕩」や「乱暴」や、モスクワ市(アジテーター・大衆宣伝員)の懇談会で話題になったそのほかの非行にはしっているのだ。
七月十五日(日)その五『赤軍における「おまえ」と「あなた」』
一九二二年七月十九日の「全ロシア中央執行委員会報知」に載つたこの論文は『イズヴェスチャ』といふ新聞の記事をまづ紹介してゐる。国境守備隊長官と兵士の
「おまえは私を知っているか?」
「はい、あなたは国境守備隊長官であります」
(中略)赤軍兵士たちは互いに、同志として、だがまさに同志として、同志としてのみ、おまえで話すことができるのだ。だが、赤軍においては、もしも部下があなたで答えたならば、長官のほうから部下に対しておまえで対応してはならない。そうでなければ、勤務上ではない個人的不平等がうまれることになる。
このような細かいところにまで気が付くトロツキーは偉い。やはりトロツキーと同じくこの時代に活躍したレーニンは権力とは無関係の人だつたのだらう。
七月十五日(日)その六「品質向上、官僚主義反対、社会主義をめざそう!」
一九二六年六月二日の「プラウダ」は講演が掲載されてゐる。
・製品の品質向上のたたかいにおいては、さまざまなやり方で進むことが可能だ。資本主義経済は自分の方法、つまり競争を利用している。一般法則からして、この道に立つことはわれわれには不可能である。(中略)高度に発達した資本主義においても---トラスト支配のもとでも---品質は、むき出しの競争によってではなく、実験室によってスタンダードを通して、いっそうよく調整されていく、ということは言っておく必要があろう。
この後、アメリカとイギリスの新聞を皆に示し
これが『タイムズ』だ---大新聞である。---困った奴である。(笑い、拍手)これは大ブリテンの出版の主要な機関紙であり、外交政策の問題では全面的に政府---リベラルで、保守的で、マクドナルド労働制ふと称してさえいるが、外交政策ももちろん国内政策も保守的な政策をとっている---を支持している保守新聞である。
外国の例を示しながら国内の問題点を解決するのはよいことだ。この当時のソ連は決して西側諸国と比較不可能な状態ではなかつた。
七月十五日(日)その七「一九二四年の二つの講演」
一九二四年にトロツキーは二つの講演をしてゐる。一つは図書館事業活動家第一回ソヴェト大会である。
同志諸君、話しはじめたばかりなのに、私はすでに二度あるいは三度「文化」ということばを使った。いったいそれはなになのか---文化とは?文化とは知識と能力---これまでのすべての歴史の間に人類が蓄積してきたいっさいの知識およびいっさいの能力の総体である。
まつたく同感である。宗教も文化の重要な一部として尊重される。しかし宗教も堕落する。長い間に権力側に立つたり国民から搾取するようになる。それに反対するのは当然である。宗教がそうではなくなつたなら、各国の共産党や共産主義組織(日本なら新社会党、第4インター、中核派、革マル派など)は党員の信仰を推奨したほうがよい。
次に文化活動家第二回全連邦大会での労働者クラブについての講演を見てみよう。二四年の党大会で労働者クラブを広範な労働者の共産主義教育センターに変へて行くといふ決定が為された。この講演では八つの課題について語つてゐる。その七番目の「反宗教宣伝」でトロツキーは次のように述べてゐる。
諷刺雑誌『無神論者』を見てみた。(中略)おそらくは宗教的迷信とのたたかいの本道を突きすすんでいそうにはない。ここではエホバ、キリスト、アラーとの決闘、才能ある画家モールと神との一騎打ちが、倦まずどの号もどの号もおこなわれている。(中略)決闘は引き分けで終るのではないか、と私は危惧する。
旧政府とは無縁で信者の浄財で運営されるなら、教団と闘う必要はない。トロツキーは次にマルクスは若い頃言っている、「宗教批判はいっさいの他の批判の前提である」と話す。
自然科学でもさうだがニユートンやアインシユタインの言つたことがすべて正しいわけではない。アインシユタインだつて間違つたことを言つてゐる。マルクスも同じである。正しいことも間違つたこともいふ。何より、宗教を批判すれば社会主義がうまく行くと考へることのほうがよほど迷信である。
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