三百三、京都にて(神田香織を日本一の芸能人にしよう)

平成24年
9月17日(月)「全国交流集会」
全国交流集会は神田香織さんの講談で始まつた。神田さんは福島県いわき市の出身で、原発を講談の題材にしようと決意した。そのとき周囲からは「仕事がなくなる」「東電の圧力でテレビに出られなくなる」と心配されたさうだ。あと講談の中で「アメリカは昔もひどいことをしたが、今もひどいことをする」といふ話があつた。これらを聞いて「よし、我々の力で神田香織を日本一の芸能人にしよう」と決意した。
平成二年に本牧亭が閉店した。その二年前に一回聞きに行つたことがある。そのときは女性講談師で神田陽子が出演した。だから神田陽子と神田香織の比較が中心になる。

9月18日(火)「芸能人の素質順位」
芸能人の人気は
1、芸(講談師なら講談、浪曲師なら浪曲、歌手なら歌)
2、顔付き
3、話術

で決まる。このうち芸は一番だから最後に回し、まづ二番目の顔付きを考へよう。神田陽子と神田香織では神田陽子のほうがはるかに美人だとこれまで思つてきた。しかしインターネツトに載る二人の顔写真を比べると優劣が付け難い。すごいなあ化粧と着物の威力は、といふ話ではない。私の記憶に残る神田陽子は昭和64年、神田香織は平成二四年に労組の全国集会。
鬼も十八、番茶も出花といふことわざがある。若いほど美人に見へる。ましてや神田陽子は24年前の記憶では明るい性格だつた。おそらく今も明るい性格であらう。だからと言つて神田香織は暗い性格だなんてことはまつたく思つてゐない。ともかく神田陽子は明るい性格で実物以上に美人に見へた可能性が高い。つまり顔付きでは二人は同点である。

9月20日(木)「林家木久蔵」
株式会社アシストのビルトツテン会長は日米安保条約の欺瞞を指摘し、日本でも正論を語れる数少ない識者の一人である。昨年のアシストフオーラムには林家木久蔵が出演した。そこで感じたことがある。
林家木久蔵はテレビでは頭の悪いふりをしてゐるが、本当は頭が悪い。あ、これだと話は面白いが先に進まない。もう一度言ひ直すと、林家木久蔵はテレビでは頭の悪いふりをしてゐるが、話が面白い。といふことは本当は悪くはない。芸能人でも話の面白い人は少ない。例へば浪曲では国本武春、落語では木久蔵以外はここ20年ほど見ないから思ひ浮かばない。もしかするとゐないかも知れない。
だから神田香織の話が面白くなくても、芸能人の九割を占める多数派だから何ら恥じる必要はない。芸能人は芸が売り物である。今回の出演では話がほとんどで講談は最後だけだつた。これはよくない。話は芸をよりよいものにする補助とならなくてはいけない。
チェルノブイリと福島原発の話だけだと時間が短い。しかも内容が暗くなる。講談口調で原発の講義を入れる方法がある。あと、古典講談と組み合はせるべきだ。古典講談はいはば講談師の18番である。これで観衆を魅了しその勢ひで原発の講談に入る。

9月21日(金)「先代神田山陽」
先代神田山陽の「牡丹灯篭お札はがし」をインターネツトで聴いてみた。神田陽子と神田紅が女声で助演してゐる。神田山陽の弟子には変な人もゐた。しかし山陽自身は昔かたぎの講談師である。講談以外の話術は必要ないといふ典型である。
神田香織の「浜野矩随」もインターネツトで聴いてみた。今回の労組集会でも気になつたが講談で聞き取りにくい部分がまれにある。そこを意識するあまりはつきり話そうと余計不自然な口の動きになるのかも知れない。アナウンサーではないからはつきり話さうとせず普通に話せばよいのではないのか。年配の講談師のように速度を下げる方法もある。だからこのことは致命的ではない。「浜野矩随」は途中で二回ほどつかえた。単なる練習不足かも知れない。

9月22日(土)「宝井琴桜」
小金井芦州が「女でまあまあ一番巧いのは琴桜ですよ。私はね、他の人は知らんですよ。よその派は、けなしちゃ悪いから言わない」と誉めた。といふことで女性真打第一号、宝井琴桜の新作・五色桜物語を聴いた。
琴桜は発声が講談である。小金井芦州が誉めるだけのことはある。しかし講談以外の話術はそれほどではなかつた。講談は新作なので庶民どうしの会話が中心になる。会話を古典講談の名場面のせりふに如何に進化させるか。これは新作の課題である。

9月24日(月)「神田香織先生の話術」
講談の真打は先生と呼ぶことを忘れてゐた。といふことでこれからは神田香織先生と呼ぶことにする。香織先生の話術は九割の芸能人と同一水準である。だから話術で仕事をしてはいけない。特に問題なのが、前座時代に嫌な先輩のお茶にフケや鼻水を入れたといふ話と、「講釈師、見てきたような嘘を言ひ」といふ川柳を引用した講談紹介である。そういふ陰性な話をしてはいけない。前座のときは他人への気配りを学んだとせつかく陽性の話をしたのだから、そこで止める。講談は判らない部分は創作のこともあるが、聴く人を満足させようと江戸時代或いはそれ以前から当時の歌舞伎や講釈が苦労して創つたといふべきだ。

9月26日(水)「話術は講談を引き立てるために」
幾ら話術の優れた芸能人でも、話術は芸を引き立てるために使ふべきで主役にしてはいけない。今回の労組集会のように持ち時間の長い場合は、チエルノブイリと福島原発の講談だけでは時間が大量に余る。そのようなときは講談で原発の知識を入れるべきだ。講談は江戸時代までは庶民の貴重な知識源であつた。だから忠臣蔵では四十七士全員の名前が登場する。ウラン235に神田陽子ではなく本物の陽子が入り込み、と言ひたいが陽子は電荷を持つから原子核には入らない。中性子が入つて核分裂を起こし、1gで石油や石炭300 万g分の熱を出す。その過程を読み上げそして核分裂生成物の種類と半減期と放出する放射線の種類を読み上げる。
放射線が人体に与へる影響、つまり外部被爆について電離や遺伝子の破壊を読み上げる。そして核分裂生成物が人体に取り込まれる内部被爆に付いても読み上げる。
これで忠臣蔵並みの立派な講談になる。

9月29日(土)「まとめ」
神田香織先生に日本一の芸能人になつてほしいと思つたのは「アメリカは昔もひどいことをしたが、今もひどいことをする」といふ発言である。アメリカは原爆といふ人類史上最悪の犯罪を犯した。もちろん過去のことだから未来志向で友好を深めるべきだ。ところがアメリカは日本に内政干渉を繰り返し、アメリカの工作で日本には拝米といふ奇妙な連中が多くなつた。しかもアメリカは二酸化炭素削減に先進国で一番反対をしてゐる。このまま行けばアメリカが地球を滅ぼす。
非西洋地域で唯一の経済大国ともいふべき日本が先頭に立つて西洋文明に反対する必要がある。講談といふ芸能はその大切な一員である。(完)


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