二百九十一、トロツキー(その三、追放後)
平成二十四年
七月十九日(木)「旧ソ連崩壊の原因はトロツキー追放だつた」
レーニンの死後トロツキーはスターリンによつて追放された。スターリンの行つたことは権力奪取だけだつた。だから古参幹部のほとんどが次々と銃殺になつた。トロツキーの著作と、多数の人が粛清されたといふ事実が、共産主義は恐いといふ印象を世界中に与へた。旧ソ連崩壊はこのときに決まつたといつてもよい。
更に追い討ちを掛ける事件が三つ起きた。まづトロツキーが亡命先のメキシコでスターリンの刺客によつて暗殺された。二番目にスターリンの死後に後継者のフルシチヨフがスターリンを「血に飢へた暴君」と発表した。三番目にフルシチヨフが解任された。これでソ連崩壊は確実になつた。フルシチヨフ解任はスターリン批判とは別の理由だが、だとすればスターリン批判は継続すると宣言すべきだつた。
対立や殺人の起きる原因は、唯物論を自称するからだ。思考は脳髄の働きに過ぎないと考へるから対立が起きる。人間は物質の集まりに過ぎないと考へるから殺人が起きる。
七月二十一日(土)「マルクス経済学序説」
「トロツキー選集・補巻(3)ソヴィエト経済の諸問題」といふ書籍に極めて重要な一言を見つけた。この本は多数の論文を掲載してゐるが、そのうちの「マルクス経済学序説」である。
社会の土台にあるものは宗教や道徳ではなく、自然資源と労働なのである。
これだけだつたらトロツキーは、ウソツキーの野田と同じで批判しなくてはいけない。しかしトロツキーに限つてそんなことはない。さう確信して次を読むと
マルクスの方法は、意識から出発して存在に向かうのではなく、その逆に進むが故に、唯物論的である。マルクスの方法は、自然と社会とをその発展において考察し、発展自身は、相対立する諸力の不断の闘いであるとみなしているが故に、弁証法的である。
これなら100%賛成である。ましてやこれらの文章の直前に
経済科学にとって決定的に重要なのは、人々自身が自分の行為を何だと思っているかではなく、何を、いかに行為しているのかという点である。
があればますます同感である。
資本主義は唯物論だが共産主義と対抗するために唯物論ではないふりをした。新自由主義はソ連崩壊ののちに安心した資本主義が馬脚を現はしたものだ。だから資本主義と対抗する共産主義が、文化に拡げず経済に限定して唯物論で論じるのはよいことである。逆に妹尾義郎のように宗教者を自任しても唯物論を文化面に広げる人もゐたがこれは駄目である(百八十六、妹尾義郎はどこで道を間違へたか)。
七月二十二日(日)「裏切られた革命、その一」
「裏切られた革命」では、レーニンの書いた内容が引用されてゐる。
プロレタリアートは旧官僚機関を粉砕して、雇傭者および労働者からなる、自分自身の機関を創り出すであろう。そして、彼らが官僚に転化することを防ぐためには「マルクス・エンゲルスによって詳細に分析されている諸方策」がとられるであろう。
一、選挙制ばかりでなく随時にリコールしうる制度、
二、労働者賃金を超過しない俸給、
三、万人が統制と監督の職務を遂行し、万人が一定の期間『官僚』になり、そのためにまた、何人も『官僚』になりえなくなる状態へ、すみやかに移行する方策」(「国家と革命」第六章の二)
このうち一は重要ではない。多数派工作が行はれるからだ。追ひ落とし工作も出現しよう。二および三によつて一も有効となる。前に無欲な人による投票をプロレタリア独裁と名付けるべきだと主張したことがあるが、二および三はまさにそれである。トロツキーは次のように続ける。
プロレタリア独裁の体制は、かくしてそもそもの最初から、語の古い意味における「国家」---すなわち人民の大多数を隷属せしめるための特殊関係たることをやめる。(中略)官僚機関としての国家は、プロレタリア独裁の最初の日から死滅しはじめる。
七月二十三日(月)「裏切られた革命、その二」
「すべての経済は」とマルクスは言った---そしてこれは文明のあらゆる段階における、自然との人類のあらゆる闘争を意味するが---「結局は、時間の節約(エコノミー)に帰着する」。歴史はその本源的な基礎に還元すれば、労働時間の節約のための闘争以外の何物でもない。
同感である。しかしこれだけだとすべての人類は怠け者になつてしまふ。
社会主義はひとり搾取の廃止によって正当化されるのではない。それは資本主義によって保障されるよりも、もっと高度の時間の節約を保証しなければならない。
このとき西ヨーロツパの資本主義はかつての労働者が悲惨な段階を過ぎた。普通選挙も導入された。だから搾取分より技術発展分の恩恵のほうが大きくなつた。現在の地球温暖化の時代にあつては、資本主義は地球を滅亡させることを批判すべきだが、この当時では止むを得ない。
七月二十四日(火)「裏切られた革命、その三」
なぜスターリンは勝利したのだらうか。スターリンは権力志向が強くトロツキーは無欲だつたこともある。トロツキーは
大衆から孤立した、心から保守的そのもののクレムリンの指導部が、各国の革命運動で演じた破壊的な役割を暴露しようと試みた。
私は最近文化保守といふことで保守をよい意味で用いるようにした。だからここでトロツキーのいふ保守とは官僚主義、既得権守旧派の意味である。
・一九二三年の後半、ソヴィエト労働者の注目は、プロレタリアートが権力に向ってその手を伸ばしていたように思われていたドイツに熱情的に注がれていた。ドイツ共産党の遁走はソ連邦の労働者大衆に最大の失望を加えた。ソヴィエト官僚はただちに「永続革命」の理論に対するキャンペーンを開始し、左翼反対派に最初の残酷な打撃をあたえた。
・一九二六年と一九二七年の期間に、ソ連邦の人民は希望の新しい潮を経験した。すべての目は、いまや、中国革命の劇が展開されつつある東洋に向けられた。左翼反対派はその前の打撃から回復し、新しい支持者たちの密集隊を補充しつつあった。一九二七年の末に中国革命は、中国の労働者と農民を文字どおり裏切った共産主義インターナショナルの手中で、絞刑吏蒋介石によって虐殺されてしまった。失望の冷い波がソ連邦の大衆に吹きまくった。官僚は新聞や会合で、激しい窘め方をやった後に、ついに一九二八年、左翼反対派の大量検挙をあえてやってのけた。
ここで左翼反対派とはトロツキーたちのことである。世界情勢の悪化がスターリンを勝利させたが、世界情勢が悪化した時点でトロツキーも世界革命は放棄した筈である。世界情勢を悪化させないのがトロツキーの戦略だからである。
七月二十八日(土)「八〇を下らぬ言語」
連邦の学校では、現在、教課は八〇をくだらぬ言語で教えられている。これらの言語の大多数は、新しいアルファベットをつくるか、きわめて貴族的なアジア的アルファベットをもっと民主的なラテン字のアルファベットにおきかえるかしなければならない。新聞も、同じ数の言語で発行されている。
アメリカでは先住民を滅ぼし言語も英語を実質的に強制したことを考へれば、ソ連の八〇以上の言語の新聞が発行されるといふのはそれより良心的である。しかし新しいアルフアベツトを創るか民主的なラテン字のアルフアベツトといふところは、トロツキー自身がロシア語を母語とするから仕方がないが、反対である。
文字は先祖から伝はつたものを子孫に伝へるべきだ。ベトナムはフランスによつてアルフアベツトを強制されたが、共産主義国になつてそれを元に戻すことなく現在に至つた。北朝鮮も建国後にすぐ漢字を廃止した。韓国も北朝鮮に競争するためか漢字を少しづつ使はなくなり、今ではほとんど使はれない。
ベトナム人も韓国朝鮮人も勤勉な人達だが経済発展は無理だと思ふ。それは先祖伝来の文字を使はないためである。表音文字が優れてゐるのではない。表意文字にも特長がある。昔から使つたといふことは、その問題点も克服した。文化を破壊すると必ず弱者が被害を受ける。封建的な伝統は伝統ではなく、伝統の堕落したものである。或いは権力側が作り変へたものである。そのことを踏まへて伝統は保守すべきだ。
八月十二日(日)「世界革命論」
トロツキーに人気のない理由は世界革命論である。しかしそれは戦後の豊かな時代を経験したから感じるのであり、ロシア革命の起きた時代は世界中が不安定だつた。しかしスターリンはドイツの共産主義者を見捨て中国の共産主義者も見捨てた。蒋介石が共産党員を大量に銃殺したのはこのときである。もはや世界で革命の起きる可能性はなくなつた。
当時の事情を考へないでトロツキーを悪者にしてはいけない。しかもドイツはヒトラーが現れ、中国は蒋介石の狭量で内紛が絶へず日華事変の原因となつた。あのときスターリンが一国社会主義を唱へなければ第二次世界大戦は起きなかつた。世界中が共産主義になつたときに、私のように唯物論に異を唱へることは可能だらうか。トロツキーは決して弾圧はしないと思ふ。宗教が死滅するのを待つだけである。それどころか革命ののちは唯物論を唱へる必要のないことに気が付き、唯物論が死滅したのではないだらうか。(完)
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