二千八百六十六(うた)良寛和尚の同郷、牧口さんを調べる
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
七月二十七日(日)
柏崎から長岡へ旅行したので、良寛和尚同郷人牧口さんを前回に続いて再度調べることにした。前回「牧口は、もっと研究されてもよい偉人なのだらう」と書いたが、約束を果たすことができた。価値論を中心に話を進めたい。
柏崎越後線にて二つ目の荒浜生まれ牧口は 良寛和尚同郷に 時代背景鎌倉の仏法により命を落とす

反歌  戦前は亡国の危機防ぐ為戦始まりとき間に合はず
牧口さんの美利善について、一部の人が疑問を持つのは「利」であらう。小生も疑問を持ち「生」にすべきでは、と思ってきた。美生善。人間には生きる価値観がある。
宮田幸一「牧口常三郎はカントを越えたか」には
牧口が価値について述べる時に、主観的な価値感情説に立脚する場合と、客観的な価値定義説に立脚する場合との、二通りがある。

として
次のように述べている時は価値感情説に立脚している。
(中略)「好悪」といふ(中略)主観的状態を以て反応し(以下略)
美醜・・・・・・・審美的価値
利害・・・・・・・経済的価値
善悪・・・・・・・道徳的価値

それに対し
次のように述べている時は価値定義説に立脚している。
主観の生命の伸縮の原因となる関係に対して(中略)その程度を価値といひ、利害的価値又は経済的価値、道徳的価値及び審美的価値と区別される(括弧内略)。

とは云へ
牧口自身はこの二つの考えを対立的には考えていないし、(中略)区別しうるとも考えていなかった(以下略)

同感で、小生が先程述べた美生善を、価値感情説で展開すれば
美醜・・・・・・・審美的価値
生死・・・・・・・先天的価値
善悪・・・・・・・道徳的価値
になる。「生」には生きるための収入、つまり「利」が必要なので、小生の定義と牧口さんの定義は、同一である。「利」と云ふと、利己的を連想し嫌悪感を持つ人もゐるため、言ひ換へただけだった。
次に書籍の題名にある「カントを越えたか」について、真善美の「真」が価値ではないことは、当然である。今の時代に真善美を云ふ人がゐないことでも明らかだ。科学の急激な発展による不均衡時代の一現象であった。つまり牧口さんの価値論はカントを越えた。
真善美 科学急激発展の不均衡の時代のみ通用するの理論にて それ以外には美利善か美生善にて幸せと為す

反歌は(資料編)へ(終)

----------------------------ここから「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百七十六)-----------------------
(7.30追記)良寛和尚の仏法は、戒定慧の三学を実施することで、貪瞋痴の三毒を越えるものだ。一方、牧口さんの信仰した宗派は戦後の或る時期(三つの案があり、講和条約締結後、経済発展が著しい昭和40年、布教活動を停止した昭和45年頃)から、これらとは逆になった。つまり貪(ご利益を求める)瞋(他人他団体への悪口)痴(六老僧の存在と身延離山後に八本山に分流した理由を認めない、二十六年前に現れた戒壇本尊後世偽作説を無視)もその理由は、非常時用の教へを平時に信仰するためであり、牧口さんの時代は非常時だったので、正しかった。
平時となった今では、佐渡以後は異常体験を原因とする異常心理であり佐渡以前が好ましい、しかし従来の流れを受け継ぐ旧本門宗は無形文化財として従来の教義を保持する、とするのが正しいのではないだらうか。
(当初は、良寛和尚のリンクしか張らなかったが、これは「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」の中の一部の為、追記を入れて「初期仏法を尋ねる」とした。)
「初期仏法を尋ねる」(百七十五) 「初期仏法を尋ねる」(百七十七)
----------------------------ここまで「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百七十六)-----------------------

前の、良寛和尚

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