二千八百二十二(朗詠のうた)「アジア仏教史 インド編 Ⅱ原始仏教と部派仏教」その二
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
六月二十五日(水)
「第二章思想の構成」に入り、四聖諦、十二縁起、四念処、八聖道、五蘊、四禅などについて
これらを内容的に見れば結局は縁起の自覚ということが釈尊の成道の根本

これは同感。小生は、戒定慧の三学、または貪瞋痴の三毒を克服、としばしば云ふが、比丘が解脱を目指すのに対し、それを除いた信者向けのものだ。
筏の譬の法を知るあなたがたは、実に、法をも捨てなければならない。(中略)(『中部経典』(以下略))。
たとえ真理であってもねそれに執着し滞ることは釈尊によって厳しく戒められる。

ここまで同感。そしてこれが初期仏法ではなかったか。年月を重ねる毎に教義が複雑化し、やがて「不立文字」の達磨大師が中国に現はれる。
学ぶもの毒(そこな)ふものは三つづつ後ろを発ちて前へと向かふ


「第三章実践の様相」に入り
現前サンガとは、「いま、ここに成立しているサンガ」ということである。(中略)四方に拡大するサンガが、四方サンガといわれ(中略)空間的(中略)だけではなく、時間的にも未来に広がることを意味している。

これはよい話である。五蘊よりも、悟りに役立つ。
当時、バラモン教の修行者は、雨季の間は出歩くことを止め、一つの場所にとどまることが定められていたが、釈尊と弟子たちは、初めの間は雨季のときでも一定不住の托鉢の生活を送っていた。これにたいして、バラモン教をはじめジャイナ教などの諸宗教の側から非難の声がおこった。(中略)釈尊は(中略)比丘たちが雨季の定住に入るのを認めた(以下略)

上座部と並び、禅宗系も雨安居を行ふので達磨大師は初期仏法を伝へたのでは、との思ひはある。
原始仏教においては、独り閑静な場所で禅定修行することが理想とされ、やがて雨季の定住を契機として(中略)精舎を中心に修行生活を行うようになったのであるが、(中略)精舎にのみとどまったいて布教活動に重きを置かなかったということではない。(中略)教化活動は、また比丘たちの実践すべき道であるとされた。

釈尊は「雨季の定住に入るのを認めた」のであって、年中精舎を中心に生活するやうになったのではない。内容に矛盾がある。とは云へ、決して自己の修行のみを目指すのではなく、教化活動を実践すべきとしたことは尊い。大乗側が呼ぶ小乗との蔑称が、的外れであることが分かる。

六月二十六日(木)
第二章の続きで、戒律について
戒はもともと単なる禁止的な条文をいうのではなく、(中略)比丘が自発的に悪を離れて人々を利益しようとする精神力を指すものであった。(中略)随犯随制といわれるように、最初は住処や園において、(中略)その都度制定されたものであった。比丘たちが独住の生活より出発し、住処・園における半永久的な定住段階を経て、次第に定住地で集合的な団体生活を行うようになると(中略)「律」が形成された。
(中略)『律蔵』では「サンガの規則」の意味にもちいられている。

ここで注意すべきことが、二つある。まづ、独住から、住処・園における半永久的な定住を経て、定住である。初期仏法とは独住であり、まさに良寛和尚の生き方だった。
前の、良寛和尚  次の、良寛和尚
---------------------------ここまで良寛和尚------------------------
二つ目は、半月に一回行はれる布薩で戒律は確認するから、これは規則である以上に、仏法儀式である。戒を授ける儀式もさうだし、日本は鑑真和尚の一行を律師として招聘した。律の重要性への言及が、この本には無い。或いは部派時代に始まったと考へてゐるのかも知れないが、小生は仏陀の時代だと思ふ。

三十七菩提分の話に入り
原始経典では、三十七菩提分(中略)が戒・定・慧の三学としてまとめられることもあった。

小生の考へと、ほぼ同じだ。
原始経典で説かれる阿羅漢は、(中略)アビダルマ教学のそれのように、到達困難なものとはされていない。

これも同感である。
布薩の日に、在家の信者は五戒にさらに三つの戒を加へ(中略)、説法を聞いたり、比丘・比丘尼に食物を布施したりして(以下略)

これをやらないと、信者として駄目だらう。小生はやらずに来たが、上座部仏法が広まった国とは異なる。
四向四果(中略)が確立された段階では、在家の信者は(中略)第三の不還果にまで到達することができるとされた。

上座部仏法の国だと、さうであらう。小生は布薩の日に行事をしないし、五戒の飲酒戒に違反するから駄目だ。と云ふより俗世間にあって、少しでも三学に近づくのに精一杯である。
この書籍は六年前にも読んだことが分かった。着目点がずいぶん変化したが、しなかった部分もある。
書き物を六つ年前に見たことを 始め忘れて終はる頃気が付き前に書く文は 今とほとんど変はることなし

反歌  書く所変はるも中味変はらぬは嬉し心が定まるが故(終)

「初期仏法を尋ねる」(百五十七) 「初期仏法を尋ねる」(百五十九)

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