二千七百八十三(朗詠のうた)最新の歌論(散文に混ぜる韻文)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
六月二日(月)
韻文は散文の中に混ぜる。これが昔の姿ではなかったか。万葉集の歌が作られた時代には、まだ文字が無かったから、散文と云ふよりは、話し言葉に混ぜたのが正解であらう。
だから万葉集の歌は、意味がある。歌だけ取り上げると、意味のあるものと無いものが出てくる。無いものは、元は散文に埋めてあったと、考へるとよい。順番を逆にする方法もある。意味の無い歌は、散文に埋めることにより、意味のあるものにする。
意味があるとは、美しい歌も含む。実効か美しさなどが、意味に含まれる。
昔は、歌や俳諧の師匠が生活できた理由もここにある。連歌や俳諧の師匠だった。散文ではないが、歌遊びに埋め込んだ。
歌及び俳諧発句散文や連歌に埋める楽しみがあり
---------------------ここから「初期仏法を尋ねる」(百三十八の二)--------------------
六月三日(火)
久し振りに良寛和尚の登場である。和尚の歌や漢詩は、書に埋め込んだ。これが当時の人々にとり正解であらう。そして、歌や漢詩を和尚の人生に埋め込んだ。これは後世の人々にとり正解であらう。
たまたま玄奘を特集中である。「玄奘三蔵大唐大慈恩寺三蔵法師伝」を読むと、良寛和尚は清国へ渡航したと、ますます思へて来る。
唐の代に三蔵法師玄奘は仏の国へ絹の道 良寛和尚江戸の代にもろこし行きは船の道 二人は旅の道連れに時と所を教へが超える
反歌
留まるを知らぬ和尚は旅の僧三蔵法師また旅の僧
日本では、お経は意味を知らずに唱へるものと、ほとんどの人が考へる。これは正解であらう。お経は有難いもので、意味を知るものではない。達磨大師の不立文字とも相性がよい。
意味を知らずとも、知ってほしいのは、お経は韻文と散文から構成されてゐる。梵語(サンスクリット)やパーリ語のお経も、漢訳されたお経も、当てはまる。
我々がお経から学ぶべきは、散文の中に韻文を埋めることだ。日本語にしてしまふと散文だけなので、有難さが無くなる。
「初期仏法を尋ねる」(百三十八の一)
「初期仏法を尋ねる」(百三十九)
前の、良寛和尚 次の、良寛和尚
---------------------ここまで「初期仏法を尋ねる」(百三十八の二)--------------------
前に、歌には美しさが必要だと書いた。今回は、意味があるとした。どちらも同じだが、最近は実用文に歌を埋めることが多いため、表現が少し変はった。
美しさ役に立つのも美しさかな 役に立つ美しもまた役に立つかな(終)
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