二千七百六十四(うた)廣木一人「連歌入門」
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月二十一日(水)
連歌と和歌との差異、俳諧と俳諧発句との差異を調べる為に、廣木一人「連歌入門」を借りた。まづ連歌と和歌との差異で、連歌は短連歌、鎖連歌、長連歌がある。短連歌は、次の条件が必要だと云ふ。
五七五句と七七句の唱和であること、各句が独立していること、言葉遊びや謎解きなどの機知のあるやりとりであること、である。特に二つ目の各句の独立性(中略)が満たされていないと単なる短歌の合作になってしまい、連歌とはみなされなくなる。
連歌が和歌集に残らない理由がわかった。具体例は
夏の夜を短きものと言ひ初めし
と言ひて、
人はものをや思はざりけむ
(中略)を、連歌にせむ時は、
夏の夜を短きものと思ふかな
と言ふべきなり。
連歌と和歌は、別物だった。
短連歌残らぬ訳は短歌とは別の規準で美しさあり
次に鎖連歌は
五七五句に七七句と付けて、さらに五七五句を付け、場合によっては次に七七句を、と合計三句以上連なったものを言う。
これは、もう短歌では無いし、長歌でも無い。そして
短連歌であれば、短歌の合作ではないことを明確にしなくてはならなかったが、鎖連歌であればその心配はなくなる。(中略)句の独立性と諧謔性とは切り離すことのできないもので(中略)諧謔性もなくてよいということになる。
長歌でも短歌でも無し旋頭歌や仏足石歌と異なる連歌
次に長連歌は
句数を決め、百句なら百句詠む(中略)連歌を長連歌と呼ぶ。
そして
後鳥羽院を含めて、『新古今和歌集』歌人たちが長連歌を完成させたと言ってもよい。
連歌は、短歌を詠む力、つまり文章力向上の場だったのかも知れない。さて、諧謔性について
俳諧(括弧内略)とは諧謔・滑稽などの意を持つ語で、(中略)「俳諧」とは「連歌」の内容上の形容として使われたもので、正確には「俳諧(之)連歌」と呼ばれたものであった。
短連歌と短歌は、近い。短連歌と、鎖連歌や長連歌は諧謔性が異なる。鎖連歌や長連歌と、俳諧(之)連歌は、諧謔性が異なる。俳諧と俳諧発句は、近い。
以上を要約すると、短歌と俳諧発句は、諧謔性があることで近かった。五七五七七と五七五は、字数が近いだけではなかった。
前句の前句を打越と呼び、打越が「梅」、前句が「鶯」、今句が「梅」だと、句と句の間は問題ないが、打越が同じになってしまふ。
俳諧では、(中略)両側に対称的に開く戸のようであることから「観音開き」と称して避けるべきこととしている。
これは打越だけではなく、どの部分にも云へて、芭蕉は
三十六句形式(「歌仙」という)の俳諧について、
たとへば歌仙は三十六歩なり。一歩もあとに帰る心なし。(以下略)
と述べている。
連歌の内容が(中略)回転してしまう状態を仏教語を援用して(中略)三句のことでは「輪廻」、それより離れている場合では「遠輪廻」と呼んでいる。
さて
発句には(中略)時節・月日(十二月題)を詠み込むことが要求されている。
俳諧発句の季語と似てはゐるが、更に細かい。形を真似て、制限を緩やかにしたと考へられる。
さて、和歌は古典を意識して作るが
ゆっくり思い起こす時間的余裕があり、書籍を傍らに置いて参照することのできるものであった。しかし、連歌の場合はそうはいかない。
連歌は歌人にとり、修行の手段だった。
俳諧の連歌の発句短歌とは似ると異なる複雑さあり(終)
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