二千七百五十一(うた)上野動物園、その二十一
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月十日(土)
四月から母が通ひ始めたデイサービスは、土曜の帰宅時間が遅い。そのため土曜はどこか寄れることになった。昔は土曜が半日で、帰りに寄ったのと同じだ。
本日は、上野動物園へ行った。サル山のパネル展示が4月15日から5月11日まである。それを見に行くためだった。展示終了が11月19日なので、半年間何をしてゐたのか、との思ひもある。そもそも上野動物園へ行かうと思ひ立ったのは、そろそろサル山を再開したのか、とホームページを見たところ、まだだった。代はりに、この催しを知った。
パネル展示自体は、五分で見終はるが、本日は久しぶりに動物をじっくり観た。象、世界の猿、プレリードッグ、バイソン、日本の家畜、子供動物園の展示館、カワウ、弁天橋、キツネザル、アイオイ、ハシビロコウ、キリン、サイ、カバ、コビトカバ、小獣館、レッサーパンダ、ゴリラ、虎、テナガザル、キジ、フクロウ、ワシ、タカ、閑々亭、タンチョウヅル。
最後の二つは、開園時から存在する貴重な建物である。そしてタンチョウヅルの横に橋がある。千川上水跡かと心が躍ったが、これが水路だとタンチョウヅル舎が水没する。横のもう一つの目立たない橋こそ千川上水跡であることは、前に読んだ書籍にあった。目立つ橋は、橋の辺りから湧き水が出る。動物園の案内図でも、橋の少し上から水色になる
動物園明治の面影今残る 閑々亭とツルの舎と 千川上水水道が敷かれる前の古き役割り

反歌  千川は観潮楼の前の道下り上りて上野の山へ
千川は、本郷湯島台地から観潮楼の前を木管で根津谷に降りて、そのまま上野谷中台地を駆け上った。サイフォンの原理で、水は吸い上げられた。

  
千川上水とツル舎                  ツル舎と湧き水の橋                 こいのぼり、右は旧正門。今は表門を正門と改称したやうだ。

こいのぼりは、男の子の祭りなので、真鯉(黒)が父親、緋鯉(赤)が男児だった。昭和6年の唱歌「こいのぼり」も、さう歌ふ。その後、昭和四十年前に青い鯉が加はり、緋鯉(赤)は母親、青い鯉が子供たちになった。
上野動物園のこいのぼりは、二つの解釈がある。
一、赤い鯉は祖母、黒い鯉と青い鯉が父母、それ以外は子供と孫。大きさは、年齢を表はする
二、母親は女子プロレスなど体が大きく、黒は父親、水色と紫は子供、白と緑は孫。
私は、第一案に賛成。我が家はこの形態だ。それにしても、街中でこいのぼりを見かけなくなったのは心配だ。
こいのぼり見かけざる世はしきたりを無視する世にて消滅早し

今回印象に残ったのは、ゴリラの説明板だ。日本のゴリラは半減した。子が生まれるが頭数が少ない上に、近親の子ばかりだ。海外の動物園と交換して繁殖しないと、日本からゴリラが絶滅する。その前提として、野生のゴリラが少なくなった。
丁度、奉仕説明活動(カタカナ語は避けた)をする女性二名がゐたので話を訊くと、今はニシゴリラとヒガシゴリラが別の種で、ニシがニシローランドとクロスリバーマウンテン、ヒガシがヒガシローランドとマウンテンの亜種に分けられるさうだ。
少し離れて同じく奉仕説明活動をする男性一人がゐたので、昔からゴリラ舎はここにあるのか訊いたところから、小生の池之端から都電が曲がってゴリラ舎の裏を走った話になり、その方も父親に連れられて、大塚から上野公園迄乗り動物園に来たさうだ。その方は七十四歳、小生は六十九歳。この年齢差が、夏の催しに参加しないか、したかの差かな。説明会で幹事長として挨拶されたのは、この方かな。因みに応募したが落選した。
今思へば、落選してよかった。母の送り出しと迎へ入れを、去年の途中までは家族無しでもできた。その後は家族がゐないと危なくなった。
トラの解説も興味深く読んだ。森林が草原になると、虎は目立ってしまふ。だから数が減った。
----------------ここから(歴史の流れの復活を、その五百三十四)----------------
ニシヒガシゴリラ棲息分断し 今や種も別数も減る 発狂人に任せておけぬ

反歌  ニシヒガシ人も分断地球破壊在るにさせるといよいよ滅ぶ
カトリックの教皇に中南米を活動拠点とした枢機卿が選ばれた。今こそ、AAAが中心にならう。彼はアメリカ人だ。アメリカを引き込む方法もある。AAAAの誕生である。
トランプを巻き込みトラをまづ守る次にゴリラとすべてを守る
(終)

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