二千六百九十九(うた)谷中墓地、上野(動物園、公園)の桜
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
三月二十八日(金)
本日は仕事終了後、母迎へ入れまでの時間を使って、谷中墓地、上野動物園と公園の桜を観た。谷中墓地は、昭和45年頃に隠れた桜の名所だった。その後、ビニールを敷いて花見をする人が多くなった。今回行くと、宴会、場所取り禁止の立て看板があちこちにあり、専ら歩いて見物するやうになった。外国人観光客も目立った。
谷中五重塔跡を見た。この辺りは昔よく自転車で来たので馴染みではあるが。父が云ふには、弥生町の高台から上野と谷中の五重塔が見えたさうだ。説明板によると、五重塔は天王寺から東京都へ寄贈され、その後に放火で焼失した。てっきり焼失したので、寛永寺は同じ事件を防ぐ為に東京都へ寄贈したのだと思った。

 
谷中五重塔跡

幕府と結びついた大きな寺にとり、幕府が無くなった後は五重塔の維持ができないのだらう。谷中墓地の案内図を見ると、徳川家墓地の区画が何ヶ所かある。
五重塔放火で消える 犯人を恨みてみても戻らずに 谷中の景色惜しみ上野へ

反歌  亡き父が上野と谷中二つある五重塔が並びて見える
次は上野動物園へ正門から入った。専ら桜を観るためだ。以前は表門と称したが、今は正門と呼ぶやうだ。不忍口から出たあとは、蓮池に沿ひ桜を観た。

  
ジンダイアケボノか                 オオシマザクラ                    カンザンか

  
ヤマザマラ                     カンヒザクラ                    カンヒザクラと思ったが、別の種か

  
コマツオトメか                                             オオシマサシグラか

動物園内は園内のお花見地図、公園内は「うえの桜まつり」のお花見地図を見ながら写真を撮り続けたが、ボート池と蓮池の境で諦めた。この後、出店を見ながらABAB前の三叉路へ至った。このあと昔の都電停留所から公園へ抜ける道(映画館横)を公園正面から再び入り、桜大通を歩いた。ここでも宴会、場所取り禁止の立て看板があちこちにあった。上野公園の高台部分は何回か来たので、軽く見ただけで帰宅した。
花を見に 玉の宮居は丸の内まづ上野へと遊び来て 大島桜関山や山桜など見るうちに 疲れ歩きて出店見物

反歌  桜木の種類を見ると来て見たが分からず疲れいつもへ戻る
「玉の宮居」は丸の内の明治期枕詞、「玉の宮居は丸の内」は「近き日比谷」「まづ上野」の序詞、「まづ上野へと遊び」は「電車唱歌」の本歌取り。(終)

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