二千七百五十四(うた)西田発言と、それへの批判者発言にも、間違ったところがある
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
五月十一日(日)
保守には、西部邁さんの独立国保守と、安倍やら葛西の属国保守がある。独立国保守は西部さんだけではなく、長谷川三千子さんもさうだし、アメリカの貿易センタービル崩壊事件のときに西部さんがそれを茶化したことを批判した西尾幹二さんについて、西部さんが西尾さんも反米のはずなのに、と発言したやうに、本来は独立国保守である。西尾さんが批判したのは、大事件を茶化したことだった。
それなのに、これらの人々が第一線から遠ざかると、属国保守が出て来た。かつての米ソ冷戦時代に、日本国内で昭和四十年辺りまでは、革新と呼ばれた社会主義勢力に勢ひがあった。だから左右に分裂した社会党が再統一したときは、自由党と日本民主党が慌てて「保守合同」を自称し、自由民主党を結党した。
この時は、革新への勢ひを止めるためだから、保守の語は正しかった。しかし、社会党から民社党が分裂し、新左翼が社会破壊運動になり、更にポルポトや文化大革命の失敗やソ連の崩壊があり、湾岸戦争のアメリカ勝利以後はアメリカ一極が続いた。
世界情勢がアメリカ一極なのはまだしも、日本国内でアメリカ猿真似をすると、国が滅びる。この状況で、親米はあり得ない。そもそもアメリカ一極化で、親米は拝米になった。だから安倍やら葛西の属国保守は間違ひである。
ここで期待されるのが西部邁さんの独立国保守で、西田昌司さんは西部邁さんの系統である。ところが最近は、小生と西田さんに違ひが多くなった。一番は北陸新幹線、二番目は地球温暖化、三番目は萩生田と組んだ状態で高市さんを応援してよいのか。
そのやうななかで、西田さんがひめゆりの塔をめぐって発言した。

五月十二日(月)
日刊スポーツのホームぺージに
サンモニ膳場貴子、西田昌司氏の“ある発言”に注目「本音が透けて見えた気がした」と指摘

が載った。
元NHKのフリーアナウンサー(氏名略)が(中略)TBS系「サンデーモーニング」(中略)で「西田議員は、問題の発言があったシンポジウムで『自分たちが納得できる歴史をつくらなければならない』とも語っている。(以下略)」

現在の歴史観が正しいのに、自分たちが納得できる歴史を作らうとしたなら、大問題だ。しかし現在の歴史観は、欧米が世界のほとんどを植民地にして、しかも世界大恐慌のときに第三国が自国植民地への輸出を禁止したから、植民地を持たない国は大変なことになった。この事実を無視した。
西田さんの「自分たちが納得できる歴史」は誤解を受けるが、日本で流通する歴史観が米英仏蘭のものであるのば事実だ。そして、他国を誉める歴史を続けると、社会を破壊し国を亡ぼす。
米英の歴史観には植民地無視する上に 大恐慌保護主義により大戦を引き起こすさへ無視をする この歴史観国を亡ぼす

反歌  混乱は敗戦責任一位二位岸と三位の東條にあり
批判は、岸信介と東條英機に対して行はう。

五月十三日(火)
見解を求められたTBS出身のジャーナリスト松原耕二氏も(中略)、事実関係としてはそういう展示は存在していない。

これは西田さんが悪い。一方で
松原氏は「沖縄の方に話を伺ったが、沖縄戦を体験した方は、たとえば旧日本軍が来て(中略)住民を追い出したんだというような話や、米軍は優しかった、という話はいくらでもある」とも主張。

戦争は、勝つ側が優しくなる。負ける側は自分たちに全滅の虞があるのに、他のことに気を配る余裕はない。沖縄を早い段階で降伏させなかった参謀本部、総軍、方面軍、軍の責任は重大である。今からでも遅くはない。誰が悪いか責任を検証すべきだ。
その上で「戦前も戦後も、沖縄の方は軍に抑えつけられ、苦しんできたという記憶がある。西田氏はこの事実を知るべきだ(以下略)

これは同感。沖縄県民の本土復帰の熱情に答へなかった自民党歴代政権の責任は重大である。
沖縄の米軍縮小させぬ岸 敗戦責任カルト呼び最悪男罪悪多し

反歌  戦争は負けてはならぬ鉄則に反する二人岸と東條(終)

追記五月十四日(水)
元NHKアナウンサーなる女の主張は、西田さんの言葉尻を捉へたもので、極めてよくない。文章全体を読めば、自分勝手な歴史を作らうとするものでないことは明らかだ。

追記五月十七日(土)
新左翼が社会破壊運動になった理由は、ヨーロッパの学生運動の真似だった。外国の真似をすると、真似した物より劣化する。この法則が、ここでも当てはまる。


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