二千六百二十八(うた)報道を読んで(北陸新幹線、鉄道ジャーナル廃刊)
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月十五日(水)
北陸放送のホームページに
北陸新幹線延伸問題 “すれ違う”石川と福井「小浜先行開業」を唱える福井県・杉本達治知事に “石川県議会のドン”は「小浜は敦賀よりもっと小さな町」などと異論

が載った。
米原ルートを主張する当選12回、石川県議会の重鎮、自民党・福村章県議の新年の互礼会が14日小松市で開かれました。
南加賀の政界関係者が勢ぞろいする中、石川県の馳浩知事の発言にも注目が集まる中ですが、披露したのは得意の俳句です。
石川県・馳浩知事「新幹線敦賀の先に春の風」
(中略)このあと地元選出の自民党・佐々木紀衆院議員は、(中略)「本当はさっき(馳知事と)2人で話していたとき、「新幹線敦賀の先は米原へ」と言うはずだった。それが、季語がないのは俳句じゃないといって、春の風となった。知事らしい」

小生も作った。
つるが飛ぶ越の前から近江へと 静岡浜松名古屋岐阜 東の海と繋がり多し

発句  つるが行く米の原かな田植ゑ待つ
脇句  実り静岡名古屋と岐阜へ
北陸新幹線は米原へ6 兼(北陸新幹線は米原へ8)
------------------------ここまで「北陸新幹線は米原へ7」-------------------

--------------------ここから「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな178」----------
「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな179」へ移動
--------------------ここまで「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな178」----------

------------------ここから(路面電車、客車、その周辺、五十一)----------------
一月二十一日(火)
鉄道ジャーナル誌が廃刊になる報道を見た。鉄道雑誌は「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」「鉄道ジャーナル」があり、鉄道ファン誌は老舗、鉄道ピクトリアル誌は専門性、鉄道ジャーナル誌は大衆性、が売り物だった。
鉄道ジャーナル誌は、元毎日新聞記者が、フリーの「レイルウェイライター」と称して低俗な記事を書くので、これが嫌ひだった。今なら「レイルウェイライター」の語を日本語破壊行為として批判するところだが、当時は記事そのものを批判対象にした。鉄道ピクトリアル誌は、小生と同じことを感じてそのことを記事に書いたため、二つの雑誌で批判合戦になったこともあった。
この人だけだった同職者が、今では何人も出たので、その先駆けとしては立派だ。しかも同職者たちは、専門性の高い記事を書くので、悪い見本を示したのかも知れない。
小生は、鉄道に関して今は何の興味もない。昔の客貨車時代と路面電車に関しては調べるが、これは過去を調べるだけだ。だから鉄道ジャーナル誌が廃刊になることに、何の感想もない。まいどなニュースから引用すると
1967年創刊の(中略)鉄道ジャーナルは鉄道ジャーナル社(東京都千代田区飯田橋)が編集、発行し、成美堂出版(東京都新宿区新小川町)が発売する月刊鉄道雑誌。鉄道ジャーナル社の会社概要によると、 会社の創立は1965年(当初は鉄道記録映画社)、同社の主な業務は「月刊『鉄道ジャーナル』をはじめとする雑誌・書籍の編集・出版、および映像・ビデオ作品、DVDの制作・販売」で、従業員は8人(いずれも2015年12月現在)。
同社はまいどなニュース編集部の取材に対し、「現状を取り巻く出版状況の厳しさも一因」と休刊理由を説明した。

鉄道の三つ雑誌があるうちの一つが消えて 終戦後時代が一つ終はるを思ふ

反歌  調べるとピクトリア誌が最古にてファン誌ファン向けそれが理由か
反歌  鉄道誌鉄道模型未見にてダイヤ情報ほとんど未見
ピクトリア誌はCiNiiの論文採録対象誌で、鉄道図書刊行会(株式会社電気車研究会の団体)発行だと判った。(終)

追記一月二十三日(木)
現代ビジネスのホームページに
ニワカ「鉄道ブーム」が引き金に…?鉄オタが愛した『鉄道ジャーナル』が休刊に追い込まれた「意外な理由」

が載ったので、紹介したい。まづ三誌について
一番の歴史があり、研究誌・学術誌並みのディープな内容を誇る『鉄道ピクトリアル』(「ピク誌」と略す)、カラーグラビアが充実し車両中心の『鉄道ファン』(「ファン誌」と略す)、そして列車追跡ルポがウリで鉄道の経済的側面や社会性にも注目し、「鉄道の将来を考える専門情報誌」とのコピーが躍る「ジャーナル誌」が‟三大鉄道趣味誌”と呼ばれ、それぞれ持ち味があることから住み分けが出来ていた。

ジャーナル誌が『鉄道の経済的側面や社会性にも注目し、「鉄道の将来を考える専門情報誌」』とは知らなかった。
レイルウェイ・ライターの種村直樹氏が病に倒れ、(中略)また種村直樹氏と二人三脚で「ジャーナル誌」を牽引してきた鉄道ジャーナル社社長で名編集長と謳われた竹島紀元氏も高齢のため第一線から手を引いた。

なるほど名編集長は同感だ。しかし種村さんの記事は毎月一つだったから、倒れたことはそれほど影響しないと思ふ。
「ジャーナル誌」はある意味、竹島編集長の‟個人商店”だったので、晩年は迷走気味で(以下略)

なるほど。1995年から三誌を読まなくなったので、初耳だった。
世間では鉄道ブームが言われ、鉄道をテーマにしたテレビ番組なども続出、一般誌でも鉄道を特集すると売れることから企画が相次いだ。ここでいう鉄道のメインは鉄道旅行であり、実は「ジャーナル誌」の得意とするジャンルだった。
(中略)しかし、世間は専門的知識よりもムード的な鉄道旅行に流れることとなり、「乗り鉄」という言葉や「鉄道アイドル」などが隆盛を極めていく。
鉄道旅行がブームになっても、いわゆるライトな「乗り鉄」は「ジャーナル誌」に見向きもせず、一般誌の鉄道旅行特集やネットの鉄道旅行記事ばかりが注目されるようになったのだ。さらに、「ジャーナル誌」が得意とする鉄道の経済面や社会性を論ずるテーマについては、経済誌が相次いで特集を組むようになり、そちらにお株を奪われる状況となった。

経済誌の鉄道記事は、小生もよく読む。先日言及した植村さんの同業者とは、かう云ふ人たちのことだ。
それに比べると、「ピク誌」「ファン誌」の得意とするところは一般誌が参入できる分野ではないので、部数が漸減しつつも固定層が付き、(以下略)

これは安心した。

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