二千六百十五(うた)1.地元の話題(北戸田から別の道)、2.母のお見舞ひ
新春前甲辰(西洋発狂人歴2025)年
一月四日(土)
先日、北戸田駅から家まで歩いて帰った。六十五歳の再雇用終了までは、定期券を南浦和迄と北戸田迄を半年ごとに交互に買った。気分転換である。値段はどちらも同じだ。だから北戸田から自宅も、よく慣れた道のはずだった。
再雇用終了後は、北戸田駅ではないが北戸田イオンモールへ行くことがあり、そのときはいつも南高校経由だった。それに対し、再雇用のときは日によって道を変へた。これも気分転換である。
先日は久しぶりに道を変へた。これは安売りスーパーへ寄る都合があった。前に鯉がゐた川の角に町内会のごみ置き小屋がある。小屋は古いが、分別がきちんと為されるやうだ。前回は町内会の当番がゐた。
今回は歩いたのが遅かったので扉は閉まり、当番はゐなかった。ゴミ庫横の建物は工事用囲ひに覆はれる。これを見た時、ここは団地でそのごみ庫だと思った。帰宅後に地図で、ここは物流倉庫だとわかった。
この少し先の右側に、かつて料理店があり、それを取り壊して家を建てるところを見た。今回は周囲に溶け込み、どこだったか分からなかった。
街中の小料理店と小売り店減り続けると社会が脆弱に


一月七日(火)
(前から続く)本日は、上の子といっしょに母のお見舞ひに行った。最初話が理解できない様子で、一週間でぼけたかと驚いたが、五分ほどして話が通じるやうになった。病院は刺激が少ないから、回復するのに時間が要るやうだ。
お見舞ひ終了後に、一階のコーヒー店で少し休んだが、上の子も最初は驚いたやうだった。病院を出たあと、小生はATMで入金するやう妻から云はれたため、駅の一階で分かれた。
来る時に、先日の倉庫が表から見えた。何と解体中だった。裏から再度見ようとして、用水路跡を歩いて道を間違へた。小学校裏と、化学工場前を歩いて、前にも通勤でときどき歩いたことを思ひ出した。
道違ひこれもかつてはときどきに歩いた道と今思ひ出す


一月十一日(土)
本日は独りでお見舞ひに行った。往路はR会と云ふ寺と貸ホールの先を右折、帰路は外環道を越えてすぐ右折し外環道に沿ひ、次の交差点を左折した。
電柱にかつて妙法釜風呂と看板あるも今R会

この場合は、先を右折し大きな駐車場が多数の戸建てになった先で旧中山道へ出るのが普通だ。母が救急車で運ばれた日の帰路は、この経路だった。
今回は真っすぐ歩き、R会の前に出た。北戸田が便利なのは、経路がたくさんある。気分転換になる。それに比べて南浦和は、道が斜めなので選択肢が少ない。他の道を歩くと遠回りになる。
病院では、リハビリの最中だった。数日前に従妹(母からは姪)がお見舞ひに行って最初から大丈夫だったので、今回も同じだらうと期待したら、そのとほりだった。前回は、寝てゐるところを起きてすぐかも知れない。
従妹のときからは、病棟が変更された。今までは面会コーナーだったが、新しい病棟は廊下でリハビリなので病室が見えた。カーテンで区切られて、中はベッドのほかにその1.5倍の余裕がある。
母が居るベッドと周り余裕あり 今日退院と勘違ひ もうすぐと云ひ別れ家路へ

反歌  退院を今日か明日かと待ち望む退屈せぬやうまた近きうち
(次へ)(終)

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