二千五百九十六(うた)地元の話題(駅の階段下の店、スーパーの自動レヂ、路線バス)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月二十二日(日)
数日前、南浦和駅西口の階段下に、シュークリーム屋が開店した。前は「銀だこ」「からあげ縁」だったが6月30日で閉店した。旧浦和車掌区(今は武蔵野線高架下へ移転)の建物を解体して、商業施設を作るためだらうと予想したが、解体せず開業した。半年も空いたので、解体新築を計画したが、建築費の高騰で断念したのかも知れない。
今までは株式会社JR東日本都市開発の直営だったが、賃貸に変へたとも考へられるが、半年の空白は長すぎる。
駅前の一等地にて営業を再開すれば盛(さか)る場所 JRでは役所的賃貸するが最善となる
反歌
西口の商業施設か一度は期待を持つも小さく終はる
同じく数日前から、駅前スーパーの自動レヂに、購入した品物とレシートを確認させていただくことがあります、と云ふ掲示が貼られた。
万引きは犯罪だから、この処置に大賛成だ。
自動レヂ指定席券券売機自販機などで社会崩壊
今は会話抜きで、購入や手続きができるやうになった。便利だが、副作用がある。小生は、待ち時間が少ないので自動レヂに賛成だが。
十二月二十五日(水)
一昨日に薬局で薬を貰ふまでの間、壁に貼ってあるバスの時刻表を見て驚いた。平日14往復、土日13往復だ。かつては南浦和発で、戸田車庫行きと、六辻循環(このバスは薬局前は通らない)が、同じくらいあった。
イオンモール北戸田が出来て、戸田車庫行きと同じくらいイオンモール行きが出来た。戸田車庫行きとイオンモール行きは、ほとんど同じ経路だから、本数が二倍になって便利になった。
その後、戸田車庫行きが大きく減便になった。そして、イオンモール行きがどんどん減って行った。南浦和と北戸田の間で、歩くのが大変な範囲は少ない。しかしそれは、埼京線が開業した昭和六十(1985)年から同じだ。自家用車がますます増えて、買ひ物に車を使ふ人が多いのだらう。
七十歳超えたら車運転するな 老いたなら社会基盤の維持に協力
戸田車庫と南浦和の間は、回送バスが多い。あれを南浦和行きとすれば、回送で空気を運ぶよりいいと思ふのだが。日中は、乗客を乗せても空気と変はらないのかも知れない。
五十年前には南校循環が北浦和まで走るあり 戸田車庫行きと少し重なる
反歌
東京へ通勤客が多くなり市内どほしの往来が減る(終)
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